暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

名峰大山 風と霧と-1

2014年08月09日 | 京暮らし 日常編
               昨秋の伯耆大山 (2013年11月撮影)

台風12号と台風11号の合間を縫って
8月5日、中国地方の名峰・大山(弥山1709m)へ登りました。

昨秋11月、足立美術館(島根県安来市)へ行った折、はじめて大山を見ました。
バスの車窓から見る雄大な山容は場所によって印象がガラリと変わります。
伯耆地方から見ると「伯耆富士」、出雲地方では「出雲富士」と、
呼び名も変わるそうですが、富士という呼び名の如く、
麗しい大山の山容に魅せられ、いつか、否、登れるうちに出来るだけ早く
登りたい・・・と思ったのです。


           蒜山(ひるせん)高原から大山を望む (2013年11月撮影)


今回の登頂メンバーは3人。主人と次男が同行してくれました。
8月4日、JR高速バスで京都から中国自動車道、米子自動車道を走り、
米子駅から「るーぷバス」に乗り大山寺で下車、ホテルで次男と合流しました。

台風の合間なので、天気が気がかりです。
5日の予報は、午前は曇り、午後から雨の確率が高かったので、
朝食と昼食の弁当を作ってもらい、7時前に出発しました。

私たちが登った夏山登山ルート(一般向き)は次のコースでした。
(登り)
ホテル~夏山登山口~大山寺阿弥陀堂(重文)~三合目~五合目~行者谷別れ
~六合目(避難小屋)~八合目~弥山山頂(頂上避難小屋)

(下り)
弥山山頂~頂上避難小屋~六合目~行者谷別れ~元谷(雨で元谷避難小屋へ)
~大神山神社奥宮(重文)~大山寺~ホテル

            
                 ホテル近くの弘化地蔵尊

出発して間もなく気持ちが悪くなり、阿弥陀堂まで行くと、吐いてしまいました。
「今回は無理かしら? 2人だけで登ってきて・・・」
と言うと、息子からお叱りが・・・。
「折角ここまで来たのに、弱音を吐くのが早いんじゃないの!
「大山へ登るんだ!」と声を出して自分に言い聞かせ、
 自分のペースでいいから登ってごらん・・」と。

それで気を取り直し、マイペースでゆっくり登ることとし、
息子には先へ行ってもらい、六合目避難小屋で待ち合わせることに。

            
                     六合目避難小屋

ゆっくり登り、やっと身体が山登りに馴染んでくるのを感じながら、
ブナが美しい樹林の道を進みました。
左右の山がだんだん低くなり、標高1000mを越すとブナの樹林が途切れ、
道も険しくなってきます。
五合目を過ぎるとまもなく、元谷から上がってくる行者谷別れと合流。
時折、雲と霧がさっと晴れて、麓の牧場や集落が見え、雄大な景色が
しばし楽しめました。

            
                   六合目にて休憩と朝食

六合目(1300m)は、高木限界を過ぎヤナギやウツギの低木帯となりますが、
まだ風も強くなく、霧もでていません。
六合目休憩場で息子と再会し、朝食のおにぎりとおかずをがんばって食べ、
少し元気がでてきました。
さあ~、これからが大山登山の本番です。           

                          のち 

           名峰大山 風と霧と-2へつづく

                      

涼を求めて-保津川下り

2014年07月31日 | 京暮らし 日常編
7月18日に涼を求めて保津川下りへ初めて出かけました。
MさんとTさんがいらしたので、私たちも便乗です。

JR花園駅から山陰本線で亀岡駅まで行き、
そこから保津川下り乗船場へ徒歩10分でした。

乗船前に「お焼き」とお茶を買い込み、浮き浮きと大人の遠足みたい。
10時出発の舟に間に合い、前から2列目に座りました。

梅雨の最中だというのに水量が少なく、船頭さんは3人でした。
「今年は空梅雨で、今が一番水量が多い時なのですが・・・。
 水量が多いと危険も増すので、船頭を増やし、最大5人になります。
 安全第一でいきますが、救命胴衣を腰に付けてください」

          
             奥に見えるのが6月に登った愛宕山

最初はほとんど流れがないような川を下って行くので
若手の船頭さんが棹を使い、舟を押し進めます。
真剣な棹捌き、吹き出す汗が飛び散って、目を見張るような働きぶり、
爽快感すら感じました。

ベテランの船頭さんは手漕ぎの櫂を操りながら、
保津川下りの歴史や見所をを話してくれました。

慶長11年(1606年)豪商・角倉了以が木材や物資を京都を経て
大阪へ輸送するために保津川を整備し、水運として栄えたそうです。
下って行くと、川を見守る神社、川湊の石積の跡、舟を人力で曳いたという山道、
船頭の棹の跡がついた岩穴が数ヶ所あり、400年の歴史を伝えています。

           
              JRの鉄橋と何度も交叉します

昨年9月に襲来し、嵐山の渡月橋付近が浸水の被害を受けた台風18号。
その時の爪痕が今だに見られ、
「あそこまで増水したんです。JRの線路まであと少しでした」」
崖崩れや倒木など、それとわかる場所も多く、水害の恐ろしさを感じました。

           

瀬に差し掛かると、飛沫よけのビニールをかぶり、
大きな岩と岩とのはざまを滑り抜けていきます。
水量が少ないので舟底に石があたる感触が怖いような、愉しいような・・・。
大きな叫び声を出して、思いっきりスリルと涼しさを体感しました。

           
            うらやましいな! ラフテイングの訓練中

実は(遠い目)・・・川下りが大好きでした。
大きな河・・・ミシシッピイ河、テムズ河、長江、ナイル河
       (1週間から数日かけての観光川下りですが・・・)
小さな川・・・天竜川、木曽川、四万十川、吉野川、球磨川
       相模川(カヌー体験)、
       北海道美々川と釧路川(カヌー体験)

そして今回、保津川下りが加わって嬉しい!

「舟は歩かないで楽しめるから楽でいいわねぇ~」
近寄ってきた舟の売店でみたらし団子を買ってみんなでパクつきました。

           
            舟の売店・・イカを焼く匂いが食欲をそそります

1時間40分の保津川下りの終着場は嵐山です。
春の桜、秋の紅葉、雪景色など季節を変えてきたいな・・・と思ったら、
前席の女性は7回目だとか(・・気合いが違いますね)
またみんなで来れるといいなぁ~!

           

            
                 終着の嵐山・渡月橋近辺 

                                        

法金剛院の蓮

2014年07月29日 | 京暮らし 日常編

7月18日の朝、祇園祭にいらしたMさん、Tさんと4人で
JR花園駅近くの法金剛院へ寄りました。
法金剛院は蓮の名所で、以前から気になっていた寺院です。
7月12日~8月3日まで早朝7時から観蓮会が行われています。

            
               待賢門院が建立した法金剛院

鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子(康和三年(1101)-久安元年(1145))が
平安時代初めからあった寺を中興し、大治5年(1130)、
都の西方に極楽浄土を求めて壮麗な伽藍を建て、法金剛院と号しました。

最盛期には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所が立ち並んでいたそうです。
度重なる災害により、当時の面影はありませんが、
平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘され、復元されています。

回遊式浄土庭園の池には蓮が高く生い茂り、白い蓮が見ごろでした。

いろいろな蓮(約90品種)があるようですが、私には二種しかわかりません。
純白の白と可憐なピンクと。

ピンクもあるのですが、白が多く、早朝の清々しい気配の中、
白蓮の気高い美しさが心に残りました。

横浜・三溪園の早朝観蓮会を懐かしく思い出しましたが、
三溪園はピンクが多かったので、池一面の白い蓮が珍しく、嬉しいです・・・。


  

            


待賢門院に仕え、中宮と共に落飾した待賢門院堀河の歌碑が庭にありました。
百人一首に選ばれている次の歌です。

   なかゝらむ心もしらす黒髪の
       乱てけさは物をこそおもへ    待賢門院堀河


            

            

本堂へ上がると、広々とした畳敷きの空間で、風が通り抜けていきました。
大の字になって昼寝をしたらさぞや・・・と思ったら、貼り紙が・・・。
「昼寝をしないでください」

本堂の裏の仏殿へ廻り、大きな阿弥陀如来さま、美しい十一面観音さま、
衆生を救ってくださる地蔵菩薩さまを拝観しました。
どの仏さまも私たちを極楽浄土へ導いてくださる、慈悲の心に溢れ、
朝夕、祈りを捧げたであろう、待賢門院璋子の晩年をふと想いました。

さぁ~、これから保津川下りへ出かけます。

                                                   

京仏師 樋口尚鴻展

2014年07月12日 | 京暮らし 日常編
                      「合掌観音」

6月24日、金戒光明寺塔頭・西翁院(さいおういん)で開催された
「京仏師 樋口尚鴻(しょうおう)展」へ出かけました。

ご案内を頂き、横浜行を1日遅らせ、喜んで馳せ参じました。

   京仏師  樋口尚鴻 展
    -平かな気持ちで 仏の心をもとめて-
    
     平成26年6月24日(火)-29日(日)
     午前11時~午後5時
     会場  金戒光明寺塔頭 西翁院 (左京区黒谷33)

           

それには2つ、訳がありました。
京仏師・樋口尚鴻氏とは川口美術で行われた葵祭の祭り釜
初めてお目にかかりました。
「どんな仏像を彫る方なのかしら?」
送られてきた案内の写真「慈母観音像」のお顔がやさしく穏やかで、
どこか作者・樋口氏の面影があり、個展へ誘われるものがありました。

もう1つは、会場の西翁院。
庸軒流の祖・藤村庸軒遺愛の茶室「澱看席」があるところです。
我が家から近いのですが、いつも拝観見学謝絶で、近くて遠い存在でした。
樋口氏と奥様は庸軒流をこちらでお習いしていたそうです。

自転車で主人と西翁院へ着くと、門が開けられ、
樋口氏が書かれた看板の字が目に飛び込んできました。

            

            
                     「不動明王像」           

玄関正面の不動明王像、樋口氏の御好みでしょうか、
韓国骨董のパンダジ(収納箱)が台座に使われ、素敵でした。
どの仏像にも奥様が活けられた花が添っていて、仲の良さを感じます。

            

本堂右に阿弥陀如来像がおわしました。下に次のような言葉がありました。

   この立像八寸阿弥陀如来像は
   二十年前に彫り始めましたが制作を
   中断しておりました。
   尚鴻還暦の本年結願となり
   開眼の時を迎える事になりました。
   台座はこの阿弥陀像に合わせて
   制作したものです。
             京仏師  尚鴻拝

20年かかって開眼の時を迎えた阿弥陀如来像に手を合わせました。
・・・今日の日を迎えた、京仏師 樋口尚鴻氏の思いを熱く受け止め、
胸中を慮って写真は遠慮しました。

でも樋口氏は淡々としてらして
「いつ彫るのですか? 何かサインがあるのですか?」という私の質問に
「仏像を彫るのは午前中、時にはビバルディを聞きながら・・・
 でもこの阿弥陀如来像には20年という時間が必要でした」

           

                        「 菩薩像 」

           
            仏像が置かれた、富岡鐵斎の富士画のある霞床 

本堂左手に葉書の「慈母観音」がおわしました。
さらに奥座敷にも仏像や書画が展示されていて、一つ一つゆっくり拝見しました。
トネリコ材という柔らかい材で彫ったという「合掌観音」がお気に入りです。
杢目が荒いのですが、それが個性的な味わいになっています。
どの仏像も慈悲の心に溢れていて、観るだけで温かく、自然と穏やかな心になります。

           
                 庭伝いに呈茶席の茶室へ

           
     はるか淀、山崎を臨む       淀看席(反古庵、宗貞囲の席とも)
                 

樋口氏が庸軒流の奥様と知り合ったという茶室(広間)で美味しい呈茶を頂戴し、
藤村庸軒によって貞享2、3年(1685、6年)頃に建てられたという
「淀看席(よどみのせき)」(反古庵:ほうぐあん)をちらっと見学もでき、
とても心満ち足りた時間を過ごしました。 
丁寧に対応して頂き、心から感謝申し上げます。
                                       



播州播磨の旅

2014年06月22日 | 京暮らし 日常編
              「思い出」  たつの市・ギャラリー池川にて

水無月の茶事の後、親友Kさんと播州播磨の旅へ出かけました。

一番の目的は、6月6日の「どくだみ茶会」なので
姫路に一泊して気ままな旅のつもりでしたが、
「どくだみ茶会」のご亭主Kさんが訪問先を考えてくださって、
姫路と龍野を急ぎ足で廻りました。

主なコースは
姫路城~好古園にて薄茶~(姫新線)~本竜野駅~ギャラリー池川~
~Nさん宅にて濃茶と薄茶~(姫新線・新幹線)~帰宅

                

                
姫路は、NHK大河ドラマ「官兵衛」ゆかりの地で興味津々です。
黒田家の時代に小さな城があり、「官兵衛」はここで生まれました。
その後姫路城は、羽柴(豊臣)秀吉、池田、本多、松平、榊原、酒井など城主を変え、
築城や拡張などを繰り返し、現在の姫路城となりました。
切支丹だった官兵衛(洗礼名:シメオン)ゆかりの十字紋の鬼瓦が
「に」の門の櫓に残されています。

現在、姫路城はまだ修復中、城の覆いははずされましたが、
天守閣のある本丸へ攻め込むことはできず、
西の丸の千姫ゆかりの化粧櫓や長局(百間廊下)を見学しました。
1993年12月、姫路城は法隆寺とともに、日本初の世界遺産に登録されました。

               
               

姫路城に隣接した好古園へ行き、池泉回遊式の庭園を散策しました。
御屋敷の庭、苗の庭、茶の庭など9種類のテーマの違う庭があり、
見応えがあります。
鵬雲斎大宗匠が監修された茶室・双樹庵にて薄茶をなぜか2服も頂戴し、
再び姫新線に飛び乗り、「本竜野」駅へ向かいました。

               
                      好古園・御屋敷の庭
               
                      好古園の茶室・双樹庵

出迎えのKさんが車で「ギャラリー池川」へ。
「折角、龍野へいらしたのだから・・・」
茶友Kさんをステキな空間へ案内してくださいました。

6月の庭は苔と楓が一際美しく、雪ノ下の花が風に揺れ、
「思い出」の字が目に飛び込んできました。
葎庵で行われた茶事個展を思い出し、陶芸作品も大好きな池川邸も
当分見納め・・・・泪が出そうになりました。

               
                     青苔と雪ノ下  ギャラリー池川にて

たつの市近辺には陶芸家・池川みどりさんを中心に茶事仲間がいらして、
その一人Nさんから思いがけず、お声掛け頂きました。

「古いだけで、部屋数が多く、お掃除が大変なの・・・」
と伺ってはいましたが、玄関を入ると、
黒く太い梁が見える天井、広々と板敷の土間が広がっていて、
立礼席や囲炉裏を囲んだ席もあり、もうびっくり!
築300年を経た古民家だとか・・・素晴らしいお茶環境です。

「立礼席で薄茶を・・・と思っていましたが、
 茶室にて一服差し上げたく思います」とNさん。
(別棟の茶室をご主人と一緒に設計・監理して建てられたそうです・・

               
                ギャラリー池川にて(N邸の写真がないので・・・)

二人のKさんと一緒に庭の腰掛待合へ。
ご亭主Nさんは表千家流です。枝折り戸でつくばって挨拶を交わしました。
蹲踞で身心を浄め、にじり口から席入りすると、
茶室の床に「浄心・・・」とあるのを、「洗心・・・」と読んでしまい、
「洗心」が3つ続いたので、驚きました。

するとご亭主から、
「家にあった古いお軸で読み方はわからないのですが、
 身心を浄め、清らかな心をもって何事にも接し、受け入れる
 ・・・という意味だと伺っています。
 茶室にはいつもこのお軸を掛けることにしています」

火相、湯相もよく、主菓子を頂き、濃茶を三人で頂戴しました。
菓子銘も茶銘もメモしなかったので忘れていますが、
とても練り加減よく、まるく甘みのある濃茶でした。ご馳走さま!
水指は一目で池川みどり作とわかりました。
ゆったりと存在感があり、灰釉の緑青色が実に味わい深い水指でした。

するとご亭主から、
「この水指は池川さんの個展で、主人が気に入って求めたものです。
 炉にも風炉にもぴったりなので、茶室の水指はこれに決めています」

              
                      ギャラリー池川にて
お話を伺って、
Kさん同様にNさんもまた、自分のお茶に徹していらして
「潔く、シンプルなスタイルがなんてステキなんだろう!」
と感激し、刺激をたくさん受け取りました。

濃茶の後は、母屋の屏風の前に設えられた立礼席でくつろいで
干菓子と薄茶を楽しみました。
お茶をやっていてこそ、思いがけない出会いがあり、茶談義が尽きず、
「思い出」というお土産を旅行カバンへいっぱい詰め込みました。

またいつか訪れる日が来ると嬉しいです・・・。

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