マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

バイク・ドライブ・・・『自転車輸送』 そして 『息子は、死んでいたのに生き返り、 いなくなっていたのに見つかった。』

2022-03-27 09:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
3月27日。日曜日。晴れ。


今日は、
櫻満開の道路を
自転車で走ります。


   婿殿と共に・・・   『バイク・ドライブ』
   
     今の娘夫婦の自宅から、建設中の新居まで。
     約12kmの距離を、婿殿とサイクリング。
     家族の自転車の運搬です。

     孫たち、
     ”おばあちゃん大丈夫?” と心配します。
     私は、
     ”おばあちゃんはトライアスロンアスリートよ! 心配ご無用!” 
                     と返事しました。

思い出すのは、
あるトライアスロン大会の日。
小雨が降り出しましたが、決行となりました。
泳いだ後・・・
次は自転車です。
全速力の自転車で、下り坂まで来ました。
下り坂の突端で左に曲がります。
私の前の全速力で走る男性が、
雨に濡れた道で左に曲がり切れず、
全速力で転倒、崖っぷちに落ちていきました😲😲

同様に全速力で走る私は、
申し訳ないが何もできません。
途中で立って経過をチェックしている人に
連絡が入ったことでしょう。
トライアスロンのこわさを
目の前に見て、実感した瞬間でした。

       
        人は、経験から沢山を学びます。 
        今になって考えると、
        トライアスロンのこわい経験から、
        どれほどトライアスロンの多くのことを学んだかわかりません。
        トライアスロンの知識はまずは本から学びました。
        そして
        トライアスロンの楽しさと深さ、風を切るときの風の匂い、等々、
        トライアスロンの本質を知ったのは、
            体で知ったそのときでした。



         今日も、
         満の満開を楽しみながら、
         1時間の自転車ドアイブを楽しみことができました。
              感謝!感謝!
        
        
そして。

今日は3月27日。四旬節第四主日。

『今日の入祭唱』

   『神の民よ、喜べ。
    神の家を愛するすべての者よ、喜べ。
    神は豊かな慰めであなたを満たしてくださる。』
       イザヤ書 66章10-11節参照


『今日の福音 放蕩息子のたとえ

   『徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
     
    すると、
     ファリサイ派の人々や律法学者たちは、
     
   「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」
                  と不平を言いだした。
    そこで、イエスは次のたとえを話された。
     「ある人に息子が二人いた。

  の方が父親に、
  『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』
                      と言った。
      それで、父親は財産を二人に分けてやった。

         何日もたたないうちに、
     下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、
   そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。

         何もかも使い果たしたとき、
   その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
   それで、
      その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、
        その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
     彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、
        食べ物をくれる人はだれもいなかった。
   そこで、
          彼は我に返って言った。
      『父のところでは、
     あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、
        わたしはここで飢え死にしそうだ。
        ここをたち、父のところに行って言おう。
     「お父さん、
      わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
        もう息子と呼ばれる資格はありません。
          雇い人の一人にしてください」と。』

       そして、
       彼はそこをたち、父親のもとに行った。
     
     『放蕩息子の帰還』      レンブラント作品 

        ところが、まだ遠く離れていたのに、
   父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
   息子は言った。
   『お父さん、
    わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
       もう息子と呼ばれる資格はありません。』
   しかし、
   父親は僕たちに言った。
      『急いで一番良い服を持ってきて、この子に着せ、
       手に指輪をはめてやり、足に履き物を履かせなさい。
      それから、
      肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
        この息子は、死んでいたのに生き返り、
       いなくなっていたのに見つかったからだ。』
          そして、祝宴を始めた。』
         ルカによる福音書 15章1-3&11-24節


 今日のイエス様は、
  『父親の心を知らなかった二人の息子のたとえ話』で、
      『御父・神の心』を現します。
    『神の深い慈悲』を教えられるのです。
   
  
   『神の慈悲』は、
    すべての人を大切になさるということです。
    だから、
    神は、罪人を棄てることはなく、改心を呼びかけられるのです。

    私たちは、
    すべての人が、改心が必要な、『失われていた弟』なのです。
    一人では改心ができません。

    神様は、
    『放蕩息子の父』のように、私たちを捜していてくださるのです。
    そして、
    私たちが、神の慈悲を思い出して、
    少しでも『改心の心』を見せるなら、神は喜んでくださるのです。


   私たちは、
   神に対する信頼は少なく、お人には愛が足らないことが多くあります。
   それを認めることが、『改心の第一歩』となるのです。
   自分の過ちを認め、それでもありのままに愛してくださる神の慈悲を、
     深く信じるようになりましょう。
       祈りましょう。
    
    
『今日の詠唱』

   『父のところに行って言おう。
 「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。」』
       ルカによる福音書 15章18節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
美しく咲く桜を眺めながら穏やかな日々をお暮らしください。
私は、娘夫婦の引っ越し手伝いを楽しんでいます。 お元気で!