マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

夫の誕生日・・・『老いては子に従え』 そして 『聖レオ一世教皇教会博士 記念日』・・・『この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』

2021-11-09 19:00:00 | 夫のこと
11月10日。水曜日。曇り時々雨。


昨日・11月9日は夫の誕生日でした。
コロナ禍の中で、
記念の外食も旅行もひかえて、
自宅でお祝いでした。


          『祝宴』
 

         『老いては子に従え』

  めでたいめでたい夫の誕生日。
  💕娘夫婦から、めでたいめでいと、
   ぐい呑『金杯』と、酒に浮かべる『金箔』が贈られてきました。
      (私用の金杯は今年のMy誕生日にすでに贈与すみです)
  💕息子夫婦からは、めでたいめでたいと、
    金沢の近江市場直送便の『バイ貝と甘エビ』&丹波篠山直送便の『黒豆』が贈られてきました。
      (バイ貝は私が金沢の料亭のレシピで煮ました)
  💕私からは、めでたいめでたいと、
    『祝酒』で、純米吟醸・無ろ過原酒・しぼりたて・『雪彦山』を贈りました。
      (日本酒発祥の地の壺坂酒造 & 純米吟醸は私の好みなのです♡)


     子どもたちに『祝宴』を用意されて祝う『親の誕生日』
        美味しい肴をあてに、金箔の浮かぶ金杯。
        夫には最高の誕生日だったことでしょう。


   夫の誕生日を迎え、しみじみと考えました。
        『老いては子に従え』  

   元来は、中国の「礼記」や仏典に由来する、「三従の教え」で、
   「若い時はに従い、盛りにしてはに従い、老いてはに従う」といい、
       『三従』の『女子教育規範』とされてきたそうです。
               『大智度論』(大品般若経の注釈書)より
    『三従』の女子教育とは・・・驚きです。知りませんでした。 

  それはともかく・・・

    私たちは、我が子にいたわられる年齢になったということでしょうか。
    でも、当分は、「老いては子に従え」という気はありません。
    むしろ、私たちの人生はすでに大詰めに差し掛かっているのだから、
       当分は、「自由に、好きなようにさせてね」
             「見守っていてね」  ですね。

     今年11月9日の夫の誕生日は、まだまだ元気な夫と私でした。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は11月10日。年間第三十二水曜日。
    
    『聖レオ一世教皇教会博士 記念日』
 
   
  イタリア中部のトスカーナ地方にまれた。
   
 440年。 教皇に選ばれた。
   よい牧者として、また信者たちの救霊のために尽くす父として、活躍した。

   あらゆる手段を尽くしてキリスト教の正しい教えを擁護し、
   教会の一致を保つために熱心に努めた。
   また、
   民族大移動で襲ってくる緒部族の侵入をできるかぎり防ぎ
   あるいは、少なくともそれを和らげるために力を注いだ。

 461年。 在位21年間、真の牧者として活躍し、死去。

   96の説教集や多くの書簡集を残した。
   レオ1世のとき、聖ペトロの後継者として初めて、「教皇」という称号が用いられ、
   後世、大教皇という称号を与えられ、「大レオ」と呼ばれている。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『父である神よ、
使徒のいわおの上に建てられた教会は、あなたに支えられて暗闇の力に打ち勝ちます。
 教皇聖レオの取り次ぎを求めるあなたの民を、真理と平和の内にお守りください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスはエルサレムへ上る途中、
   サマリアとガリラヤの間を通られた。

ある村に入ると、
    重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
   遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、
   
       
  「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
                    と言った。

    イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、
  「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 と言われた。
      彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

    その中の一人は、自分がいやされたのを知って、
           
     大声で神を賛美しながら戻って来た。
    そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
      この人はサマリア人だった。

      そこで、イエスは言われた。
   「清くされたのは十人ではなかったか。
     ほかの九人はどこにいるのか。
 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

      それから、イエスはその人に言われた。
                   
 「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」』
     ルカによる福音書 17章11-19節


    今日のイエス様は、
   重い皮膚病の十人を癒やされます。


   重い皮膚病の十人は、
   病気を癒やす力を持っているイエスのうわさを聞いていたのでしょう。
   通りすがるイエスを見かけて・・・
   「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
      ・・・と、イエスを主であり、神であるとは知らないままに
          「先生、癒やしてください」と頼みました。

   イエス様は、
   病人の十人をその場で、御自分で癒やすことをなさらず・・・
   「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 
    ・・・と言い、
     ①イエスの『言葉』通りに司祭の所へ行くかどうか、
     ②そして、その後の反応はいかなるものか、
     ③治った後、イエスの所へ戻り、感謝を述べるかどうか、
     ④イエスを主と認め、イエスを通して『神の愛』を見ることができるかどうか、
           十人の反応を、見たかったのでしょう。
   
   重い皮膚病の十人は、
   イエスの言葉の通りに、司祭の所へ向かいましたが・・・
     司祭の所へ行く前に、病気が治りました。清くされたのです。
   すると、
   十人のうちの九人はユダヤ人だったのでしょう。
    喜び勇んで、飛び跳ねて、司祭の所へ、律法の定めの通りに、
        清くなったことの報告に行きました。
   ところが、
   異邦人の一人だけが、
   イエスにおいて神が働いておられることを認めたのでしょう。
     律法の定めには関係のない立場でもあり、
     司祭の所へ行かずに、きびすを返して、
     大声で神を賛美しながら・・・
     イエスに感謝するために、イエスの所へ戻って来たのです。
   
    
       病気を癒やされたのは十人でしたが、
  イエスにおいて、神の働きと恵みを見て、『神の愛』を見出して、
       信仰が生まれて救われたのは一人だけでした。


    私たちも、
    恵まれていることに気づかず、感謝が足りないことが多々です。
    神からの恵みを、自分の力だと思ったり、当然と思ってしまうこともあります。
       本当にイエスから救われたいものですね。
            祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『どんなことにも感謝しなさい。
 これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』
        テサロニケへの手紙Ⅰ 5章18節   アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
誕生日は嬉しい日です。
巡り来る新しい年齢を最上の年齢に致しましょう。 お元気で!

小菊の候・・・『夕風や盛りの菊に吹渡る』 そして 『ラテラン教会の献堂 祝日』・・・『イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことであった。』

2021-11-09 11:50:20 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
11月9日。火曜日。曇り。

今朝の明け方までは大雨でした。
日が明ける頃までには雨は止みましたが、
一日中の『強風注意報』が出ました。
今日は『木枯らし1号』の便りが届くのでしょうか。


  いよいよ冬も始まり・・・

       我が家にも・・・   『小菊』
 
                    白、赤、黄、小菊が美しい。かわいい。

       『夕風や盛りの菊に吹渡る』 樗良作

   吹く風に、玄関先に咲き誇る小菊の香が、我が家にも吹き渡ります。


        今日は、明後日にひかえた登山のために、
    早めに『聖書100週間』の予習を終えることに致しましょう。
        コロナ禍で遠のいていた登山の再開です。
      明後日の 未来の『希望』は、日々を楽しくします。
               感謝!感謝!


そして。

今日は11月9日。年間第三十二火曜日。

     『ラテラン教会の献堂 祝日』
   

         11月9日はラテラン教会の献堂記念日です。

 324年。コンスタンティヌス皇帝により、
    ミラノ勅令でローマの『禁教令』が解かれた翌年の324年、
    『ローマ司教座教会』として建てられました。

    大聖堂の記念は、十二世紀からこの日に行なわれたと伝えられている。

    初めこの祝日は、ローマ司教区だけで祝われていたが、
    「ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭」
    と呼ばれたこのラテラン大聖堂をたたえるために、
    ローマ典礼の教会で祝われるようになった。
    
1123年。   はじめてここで公会議が開かれました。
毎年聖木曜日。ローマの司教でもある教皇は、この大聖堂を訪れ、「主の晩餐式」を行います。

    この祝日は、ペトロの座に対する一致と親愛のしるしである。
          『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

 『いつくしみ深い神よ、
 あなたは年ごとに、ラテラン教会の献堂を記念させてくださいます。
 あなたの家でいつも清いいけにえがささげられ、豊かな救いの恵みが与えられますように。』 
    

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『ユダヤ人の過越祭が近づいたので、
   イエスはエルサレムへ上って行かれた。

      そして、神殿の境内で
    牛や羊や鳩を売っている者たちと、
  座って両替をしている者たちを御覧になった。

 イエスは
    縄で鞭を作り、
    羊や牛をすべて境内から追い出し、
    
    両替人の金をまき散らし、その台を倒し、

      鳩を売る者たちに言われた。
     

     「このような物はここから運び出せ。
     わたしの父の家を商売の家としてはならない。」

 弟子たちは、
    「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」
        (詩編 69章10節)   と書いてあるのを思い出した。

 ユダヤ人たちはイエスに、
 「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」
                    と言った。
 イエスは答えて言われた。
    「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」
 それで
 ユダヤ人たちは、
    「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、
      あなたは三日で建て直すのか」 と言った。


  イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。


     イエスが死者の中から復活されたとき、
   弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、
     聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。』
             ヨハネによる福音書 2章13-22節


     今日のイエス様は、
     エルサレムの神殿を清めた後、
     『本当の神殿』は『自分の体』であることを示されました。


  旧約時代。
  エルサレムの神殿は『神の家』と言われ、
  神がその民と一緒におられる『しるし』でした。
  民は、そこで祈り、神に出会い、供え物を献げていました。

  新約時代。
  救い主の時代になると、
  ※イスラエル人は『新しい神殿』が出来ると思っていました。
  ※イエスの到来によって、新しい時代が始まりました。
   神が人間・イエスとなられたということは・・・
   神が民と共にいたい。神が人間の中に御自分の住まいを造りたい。
      との、『しるし』でした。

    
      これからの『神の本当の家』は『イエスご自身』です。
       イエスは『新しい神殿』となっておられます。
       イエスは、いままでの神殿を清めるどころか、
       『新しい神殿』:『神の新しい住まい』を造るために
        この世に来られたのです。


     これからは、
     イエスにおいて、人は神に出会うことが出来るのです。
     そして、
     イエスは、信じる人に、ご自分の霊:『聖霊』をお与えになります。
     私たちは、その与えられた『聖霊』において、
     私たちが『神の神殿』となるのです。自分の心の中で神に出会うのです。

  更に・・・

     イエスにおいて、『新しい礼拝』が始まりました。
      『新しい供え物』は『イエスご自身』です。
           
        それは、
           イエスの体、
      すなわち人々のためになさったすべての活動、
           イエスの愛の生活、 
         特にその『死と復活』です。


       ミサの時、イエスの『死と復活』を祝います。
       十字架を囲んで集まるのです。
   十字架を眺め、イエスがすべての人を終わりまで愛してくださったと、
       思いだし、感謝するのです。

       
    私たちキリスト者一人一人は神殿なのです。
    神が共にお住みくださる神殿なのです。
    神が、その私たちから期待なさる『供え物』は『愛の生活』です。  
    私たちが、毎日、自分の神殿で、神に出会いたいものですね。
           祈りましょう。

 
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。』
         歴代誌下 7章16節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
忙しい師走を迎える前の穏やかな11月の日々です。
何か楽しみを見つけて、楽しい11月でありますように。 お元気で!