11月10日。水曜日。曇り時々雨。
昨日・11月9日は夫の誕生日でした。
コロナ禍の中で、
記念の外食も旅行もひかえて、
自宅でお祝いでした。
『祝宴』
『老いては子に従え』
めでたいめでたい夫の誕生日。
💕娘夫婦から、めでたいめでいと、
ぐい呑『金杯』と、酒に浮かべる『金箔』が贈られてきました。
(私用の金杯は今年のMy誕生日にすでに贈与すみです)
💕息子夫婦からは、めでたいめでたいと、
金沢の近江市場直送便の『バイ貝と甘エビ』&丹波篠山直送便の『黒豆』が贈られてきました。
(バイ貝は私が金沢の料亭のレシピで煮ました)
💕私からは、めでたいめでたいと、
『祝酒』で、純米吟醸・無ろ過原酒・しぼりたて・『雪彦山』を贈りました。
(日本酒発祥の地の壺坂酒造 & 純米吟醸は私の好みなのです♡)
子どもたちに『祝宴』を用意されて祝う『親の誕生日』
美味しい肴をあてに、金箔の浮かぶ金杯。
夫には最高の誕生日だったことでしょう。
夫の誕生日を迎え、しみじみと考えました。
『老いては子に従え』
元来は、中国の「礼記」や仏典に由来する、「三従の教え」で、
「若い時は親に従い、盛りにしては夫に従い、老いては子に従う」といい、
『三従』の『女子教育規範』とされてきたそうです。
『大智度論』(大品般若経の注釈書)より
『三従』の女子教育とは・・・驚きです。知りませんでした。
それはともかく・・・
私たちは、我が子にいたわられる年齢になったということでしょうか。
でも、当分は、「老いては子に従え」という気はありません。
むしろ、私たちの人生はすでに大詰めに差し掛かっているのだから、
当分は、「自由に、好きなようにさせてね」
「見守っていてね」 ですね。
今年11月9日の夫の誕生日は、まだまだ元気な夫と私でした。
感謝!感謝!
そして。
今日は11月10日。年間第三十二水曜日。
『聖レオ一世教皇教会博士 記念日』
イタリア中部のトスカーナ地方に生まれた。
440年。 教皇に選ばれた。
よい牧者として、また信者たちの救霊のために尽くす父として、活躍した。
あらゆる手段を尽くしてキリスト教の正しい教えを擁護し、
教会の一致を保つために熱心に努めた。
また、
民族大移動で襲ってくる緒部族の侵入をできるかぎり防ぎ
あるいは、少なくともそれを和らげるために力を注いだ。
461年。 在位21年間、真の牧者として活躍し、死去。
96の説教集や多くの書簡集を残した。
レオ1世のとき、聖ペトロの後継者として初めて、「教皇」という称号が用いられ、
後世、大教皇という称号を与えられ、「大レオ」と呼ばれている。
『毎日の読書』より
『今日の集会祈願』
『父である神よ、
使徒のいわおの上に建てられた教会は、あなたに支えられて暗闇の力に打ち勝ちます。
教皇聖レオの取り次ぎを求めるあなたの民を、真理と平和の内にお守りください。』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスはエルサレムへ上る途中、
サマリアとガリラヤの間を通られた。
ある村に入ると、
重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、
遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、
「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
と言った。
イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、
「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」 と言われた。
彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
その中の一人は、自分がいやされたのを知って、
大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
この人はサマリア人だった。
そこで、イエスは言われた。
「清くされたのは十人ではなかったか。
ほかの九人はどこにいるのか。
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」』
ルカによる福音書 17章11-19節
今日のイエス様は、
重い皮膚病の十人を癒やされます。
重い皮膚病の十人は、
病気を癒やす力を持っているイエスのうわさを聞いていたのでしょう。
通りすがるイエスを見かけて・・・
「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」
・・・と、イエスを主であり、神であるとは知らないままに、
「先生、癒やしてください」と頼みました。
イエス様は、
病人の十人をその場で、御自分で癒やすことをなさらず・・・
「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」
・・・と言い、
①イエスの『言葉』通りに司祭の所へ行くかどうか、
②そして、その後の反応はいかなるものか、
③治った後、イエスの所へ戻り、感謝を述べるかどうか、
④イエスを主と認め、イエスを通して『神の愛』を見ることができるかどうか、
十人の反応を、見たかったのでしょう。
重い皮膚病の十人は、
イエスの言葉の通りに、司祭の所へ向かいましたが・・・
司祭の所へ行く前に、病気が治りました。清くされたのです。
すると、
十人のうちの九人はユダヤ人だったのでしょう。
喜び勇んで、飛び跳ねて、司祭の所へ、律法の定めの通りに、
清くなったことの報告に行きました。
ところが、
異邦人の一人だけが、
イエスにおいて神が働いておられることを認めたのでしょう。
律法の定めには関係のない立場でもあり、
司祭の所へ行かずに、きびすを返して、
大声で神を賛美しながら・・・
イエスに感謝するために、イエスの所へ戻って来たのです。
病気を癒やされたのは十人でしたが、
イエスにおいて、神の働きと恵みを見て、『神の愛』を見出して、
信仰が生まれて救われたのは一人だけでした。
私たちも、
恵まれていることに気づかず、感謝が足りないことが多々です。
神からの恵みを、自分の力だと思ったり、当然と思ってしまうこともあります。
本当にイエスから救われたいものですね。
祈りましょう。
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』
テサロニケへの手紙Ⅰ 5章18節 アレルヤ、アレルヤ。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
誕生日は嬉しい日です。
巡り来る新しい年齢を最上の年齢に致しましょう。 お元気で!