マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『ひとりよがりのものさし』・・・美術館as it isそのまんま。 そして 『麦も毒麦も育つままにしておきなさい。』

2016-07-23 22:54:15 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。

 『ひとりよがりのものさし』


                          ¥5800

友人から、「この方の美術館にあなたと御一緒したいわ」、『本』が届いた。
表紙にも裏にも、『本題』も『文字』もなく、渋い布の装丁のみ。 衝撃な本です。

『本』の作者は  坂田和實(かずみ)

『古道具 坂田』 主人。                   東京・目白           

『古道具』といえば、
私がまず考えつくのは、『そば猪口』。

ヨーロッパや東洋の国々で日常生活に使われていて、今も残っている品々を、
その美しさに魅かれて手元に置き、今、日常で使用する。 その程度の考えです。

というわけで・・・・

今日は、読書三昧、美術鑑賞眼養成三昧、の一日でした。


『木彫聖者像』

『スペインのカタロニア地方、あるいは南フランスの作。
13世紀後半~14世紀初頭。 木に彩色。 高77㎝。
田舎生まれで、まだロマネスクの雰囲気を色濃く残している。

ロマネスク時代の職人は自分の名を作品に残さなかった。
村人たちの浄財により、『神のための彫刻』を刻んだ。
一方、ルネサンス以降の作家たちは、人間の為の美を志向し、
同じ彫刻でも、内に込められた刻み手の思いは、両者では全く違う。
その違いは数百年の時のフルイにかけられて、今ハッキリと露呈している。

私は、この静かで優しい像となら、のんびりと一緒に過ごせそうだ。』
      坂田氏の奥方は、この木彫聖者像のようなお方だそうですよ?!

えぇ!!
『古道具』って、『古美術品』も含まれるの? 古道具の店は、古美術品も売るのね。 
贈られた『本』は、『美術本』ではないかしら? わけわかりません。


『脱穀機』

『農業大国のフランス製。20世紀。 木、石。 180×106㎝。

木に石を打ち込んであり、収穫した麦の上を牛や馬に引かせるもの。
トルコやヨーロッパ全域で、ローマ時代から延々と使われてきた。
用途に忠実な道具で、自己表現の作品ではない。

用途が主な目的に作られた『工芸』。
一歩高尚な自己表現の創造活動の『純粋美術』。

『工芸道具』の道を真摯に歩む人達も、『純粋美術』の天才の道に果敢に挑む芸術家も、
どちらの道を行く人も、その到達する所は同じ。』

えぇ!!
私が描く『絵』も、『工芸』にはあらず、『純粋美術』ということですね。
確かに…私も、天才ではないが、役に立たない自己表現をしていることは確かです。
そして・・・私も、天才の芸術家や素朴な工芸者と同じ、『究極の終点』へ到達するのね。


『エチオピアの聖書』

『エチオピアの革製巻物。携帯聖書。19世紀。革に彩色。185×7,5㎝。

エチオピアのキリスト教は、中世以前にヨーロッパの教会から異端として排除され、
現在も原始キリスト教の姿のまま続いているという。
この巻物が、初期キリスト教美術といわれるロマネスク時代の作品と
どこか同質の雰囲気を持つのはその為である。』

えぇ!!
『隠れキリシタン』て、秀吉や家康に排除された当時の日本だけでなく、
ヨーロッパキリスト教から排除されたエチオピアには、現代も続いているの??


『逗子』

『小さな厨子。厨子とは仏様を安置する箱である。言い換えれば仏様のお住まいである。

それにしても、もう少しどうにかそれらしき物、金箔を貼るとか、飾り扉を付けるとか、
ぼんぼりを吊るすとか、何かこれを見た時に敬いの心を引き出すための装置を加えたくなりそうなもの。

むくの自然素材とはいえ大安物のペラペラ杉板、安住するにはやけに狭く、まあ、良く言うと単純素朴なつくり。

特別注文性の誇大妄想用色メガネをかければ、何んと、
その静謐な宗教的空間は、有名なル・コルビュジエのロンシャン礼拝堂や、安藤忠雄の光の教会にも負けない。
この建築物は、感性を論理的思考で昇華、発展させた近代知性の最上の創造物だろうし、
かたや貧乏たらしい厨子は、美醜、善悪などと物事を知性で分類する以前の、
「只」とか「無」とかいう世界に属するものかもしれない。

貧乏たらしいと言えば、インドのお釈迦様は育った城を出て、ボロ布一枚をまとった姿で悟りを開かれたそうだし、
キリスト様だってお生まれになったのは粗末な馬小屋だった。
現代まで続く偉大な宗教もその始原の時には、
余計な持ち物なぞ一切ない、質素で素朴なものだったのだろう。』

  この厨子は、坂田氏の厨子になるのかしら? お釈迦様やキリスト様に似て! 

えぇ!!
贈られた『本』は、『哲学書』なの? いえいえ、『作者の好き物図鑑』です。


『美術館 as it is』  坂田和實・59歳に開館。以来12年間。今に至る。千葉・長生郡

美術館というのは、栄華を極めた個人や国家が巨万の財力で買い集めたり、
時には武力で独奪した世界中の珍奇な品物に、チチンプイプイと文化コショウをふりかけて、
うやうやしく展示する見世物小屋

その場所でしかめっ面をし、腕を組み、深くうなずいていると、とたんに「考える人」になれるという異空間。
男たる者、功成り名を遂げれば、まず欲しくなる究極の宝物。

そこで、不肖この私が皆様に成り代わってこれをゲットしてみた。それが『美術館as it is』である。』

なるほどね~!! 
では、お邪魔してみなくては!功成り名を遂げられた坂田氏にお目にかかりたいものです。
        お目にかからねばなりません。

えぇ!
『本』の作者・坂田和實。
只今71歳。 28歳で『古道具 坂田』開店。 以来43年間、現代も店主。
卒業校は、私がもぐりで入りびたっていた学校。 ひょっとして、お会いしていたかもしれない!!

友人が、『あなたと御一緒したいの!』と言われるのが、途中から、色々の意味で、良くわかりました。
   
行くしかないね。

『人は皆違う人格を持つのだから、
自分が好きだと思う品々の選択が、人それぞれが異なるのは当たり前。

美しさは知識からは見えてこない。自由な眼と柔らかな心がその扉を開く鍵らしい。
僕は自分のモノサシに油を塗り、使い込んで柔らかくして、何ともない身の回りの工芸品から美しいものを選択して行こう。
それは又、自分自身を確立し、歩こうとする道を明らかにすることでもあるはずだ。』

            『』内の『薀蓄ある言葉』は、作者の言葉の転記でした。
          それにしても。。。坂田氏の薀蓄は楽しかったです。読み応えがありました。


そして。
今日は7月23日。年間第十六土曜日。
   『今日の福音 イエスの言葉』

『イエスはたとえを持ち出して言われた。

「天の国は次のようにたとえられる。
良い人が良い種を畑に蒔いた。人々が来て眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。

刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」』  マタイ福音書 13章24-30

私の貧しい『芸術鑑賞力』も、『真の芸術』に触れていくうちに、必ず、育っていくのでしょう!

同様に。

世の中には、良い人も、悪い人も、一緒に暮らしています。
私の中にも、良い心と、悪い心が、一緒に暮らしています。

悪いからと・・・悪い人を、一気に排除してしまうことは、残念なことです。不可能なことでもあります。
  悪い人に、
良い人の見本となること、又、良い人に育つのを忍耐強く待つことが、私達に求められていることです。
  自分の悪い心を、
良い心の人々を見倣って、良い心に直すように努力することが、私達に求められていることです。 
                  頑張りましょう!

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『本物』が何であるのか見極めるのは、難しいことですよね。 難しいから面白いのですけどね。
明日の日曜日が素敵な一日でありますように! 異空間の美術館を訪問はいかがですか。

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本日・23日のラン距離:10㎞ 

5時半。走り始めの、ひんやりとした空気の気持ち良いこと! でも30分で、暑い夏の日の始まりです。 
           7月ランニング合計距離:92㎞