マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

日常に戻って・・・・。  そして  『残ったパンくずを集めると、十二の籠いっぱいになった。』

2015-03-13 18:32:02 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

名古屋ウイメンズマラソンを走ってから、五日目。
すっかり疲れも取れまして・・・日常に戻りました。 

    日常に戻って、一番したかったこと。
         それは。
ランニング練習中は気が回らなかった、家中の大掃除。 そして 庭の手入れ。

午後半日。 

       家中の大掃除。 幸せ!
   私は、掃除 と 片付け が大好きなんです。
 

バタバタと マラソンに気を向けていて・・・

  気づかなかった・・・         『我が庭の桃の開花』

花も大好きです。  花のように・・・すべてを任せて。  花の心にあこがれます。

 
午前半日。

先週は名古屋入準備で、自主休講。    
                 『聖書講義』 

    今日のテーマは。
             『五千人に食べ物を与える』

      『弟子たちは言った。
   「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

      イエスは、
五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお与えになった。

      弟子たちは、
   そのパンを群集に与えた。 すべてに人が食べて満腹した。

       そして、
  残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
                                                              マタイ福音書 14章17~20節

                    講師の講義。

    弟子の持っているものは、パン5つ と 魚2匹 にすぎません。
           その少なさは・・・
      弟子の力の無さ。 弟子の心の狭さ。 を表します。

   それでも。

     弟子が・・・
       その少ない弟子の持ち物を、神に捧げ、神におまかせすれば・・・
神は、その少ない弟子の捧げ物を利用して、多くの群集を満腹させるることができたのです。


     それこそが、人の捧げ物を通して実現する 『神の救い』 なのです。


     5つのパンと2つの魚を捧げた弟子。 

その弟子同様に。

      イエスは、
          神の力、すべての人を満腹させる力、を信じていました。
イエスの捧げることが出来るものは、人の目には愚かに見える、
 『十字架上での我が身の奉献』 でした。

       イエスは、神を信頼して、神におまかせして、わが身を捧げました。

       神は、 『イエスの奉献』 を利用して・・
  人類に、 二度と飢えることの無い、 『永遠の命』 を与えました。

    イエスの一度の奉献で・・・・
      『満腹のパン』 を、全人類に与え続けるのです。

     毎日のミサで・・・・
  『キリストの体であるパン と キリストの御血であるぶどう酒』 を、神は、人類に与えます。
         その『パンとぶどう酒』 は、 毎日、 多くの人を満腹させます。

   そして

     毎日、 『残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになる。』  のです。

     
       なるほどね~。            以上。今日の講義の一部でした。

 

  イエスも花も、同様に、美しい。気高い。
       それは
                         神にすべてをゆだねている姿です。
 
     春はそこです        『我が庭のしだれ梅は満開』

 
皆様!
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