

神の教えを心に抱き、よろめくことなく歩く。』

だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

多くを学び、 大きな希望を頂き、
『宣教』を続けたのです。
召された者には、神の力、神の知恵であるキリストです。』
3月23日。月曜日。快晴。
コロナウイルス対策・外出自粛の日々が続きます。
今日も。
読書三昧で・・・ 『それから』
ネット購入代金:326円 (本体69円&送料257円)
日曜日新聞の私の楽しみは、『コラム』:『昨日読んだ文庫』
コラム投稿者の『記事』に共感すると、
すぐに。
①:『コラム』 を切り抜き、 『日付』 を記入しておく。
②:ネットで、『昨日読んだ文庫』 を予約する。
(購入を忘れることがなくなる)
数日後。
③: 『予約本』が届いて、早速、読書三昧の一日となる。
私は、 『コラム』:『昨日読ん本』 が大好きです。
コラムニストの『読書体験』 を、追体験させていただく。
コラムニストの追体験が、
一冊の本を、私とは違う、別方面から読む楽しみを与えてくれる。
15日・日曜日の 『昨日読んだ文庫本』 は 『それから』
でした。
「思えば、古典小説を真剣に最後まで読み切り面白いと思ったのは
『それから』 がはじめてだった。」 と
コラムニスト・古幡氏の読書体験も,
なるほどね! と面白く読んだ。
私は、『古典』 が大好きです。
私は、現代本はまず読まない。読む時間もない。
『古典』には、現状の世の『外』に心が向かう現代本に比べて、
自分の 『内』 に向かわせてくれる、魅力がある。
作者の描く『自分』 を、追体験させていただく。
作者の追体験が、
私の中に、 『外』に惑わされない、 『普遍』 を築き上げていく。
私の中に培われた 『普遍』 を強固なものとしてくれる。
『温故知新』
古きを心に温め、私の心に生き返らせ・・・『新しい自分』 を創造するのです。
今日も、心が満たされる『古典三昧』で、『外出自粛の一日』は瞬く間に終わりました。
感謝!感謝!
そして。
今日は3月23日。四旬節第四月曜日。
『今日の集会祈願』
『救いの秘跡によって世を新しくされる神よ、
わたしたちがあなたの恵みのうちに成長し、
困難の中にも助けを見いだすことができますように。』
『今日の第一朗読 主の御言葉』
神様は、個人だけでなく、世界中を新しくなさいます。
『主は言われる。
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
初めからのことを思い起こす者はない。
それはだれの心にも上ることはない。
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。
わたしは創造する。
見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして
その民を喜び楽しむものとして、創造する。
そこには、泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。
もはや若死にする者も
年老いて長寿を満たさない者もなくなる。
彼らは家を建てて住み
ぶどうを植えてその実を食べる。』
イザヤ書 65章17-21節
神様は、『新しい世界』
の創造を告げられました。
神は、新しい天と新しい地、を創造され、
これまでの『敵対』は消え去るのです。
病も死もなく、泣く声、叫ぶ声も聞こえない、新地なのです。
主のまなざしは、貧しい人、虐げられている人に、向けられたのです。
神は、全ての人を神のもとに集め、
神は私たちと共に住まわれるのです。
『新しい世界』 は 『神とアブラハムとの約束の成就』 なのです。
そこは、この地ではなく、『神の国』 なのです。
私の造り上げる『新しい心』も、神が造り出される『新しい国』も、
古きを心に温め、心に生き返らせた、
『真理』が支配する境地ですね。
『今日の詠唱』
『善を求めよ、悪を求めるな。
お前たちが生きることができるために。』
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出自粛の日々、屋内の楽しみを見つけて、穏やかにお過ごしください。 お元気で!
12月3日。木曜日。曇り時々雨。
室内楽・・・ 『クラリネットと弦楽四重奏』
音楽好きの方が2階大広間を開放されて、演奏者は5人、聴く者は25人
『クラリネットと弦楽四重奏 フレンドリーコンサート』
5人演奏家ともが大ベテラン
『出演者』
クラリネット奏者は、大学のオーケストラ部以来の「僕の人生はクラリネットと共にある」、私の同窓生。
チェロリストは、ヴィオラ奏者の妻と第一バイオリンの息子と、家族三人で演奏家、見事なご家族。すばらしい!
第二バイオリン奏者は、いつもニコニコと全体を和ませ、緊張を消しフレンドリーさを生む、初老の好紳士。
王侯貴族の館の部屋で演奏される世俗音楽を指す「ムジカ・ダ・カメラ」(部屋の音楽)という言葉が
『室内楽』のはじまりです。
私にとって、目の前で演奏を聴くなんてことは、初めての経験でした。
映画のシーンのようでした。
『曲目』
ロベルト・フックス
:『クラリネット五重奏曲 変ホ短調 op.102』
アントニン・ドヴォルザーク
:『ソナチネ ト長調 Jack Brymer 編』
元々は『4重奏曲』に作曲されたのをクラリネットとの五重奏曲に編曲されたとか?
一曲、30分の演奏です。
「どうしてこんな難曲ばかりを選んだのですか?」といわれる、難しい曲でした。
すばらしい、息つく間もない、感動の演奏でした。
私の友人のクラリネット奏者は、弦楽器を引っ張るような時もあり、額から汗を流しながらの、名演奏でした。
一人女性の美しく華奢なヴィオラ奏者は、「フルマラソンを走った後のようだわ!」と、演奏後の一声でした。
全員(私の友人以外)が、自分のお仕事を持ちながらの、二つ目の顔は『演奏家』です。
私の友人は、神戸市民交響楽団に属して演奏会、『木管五重奏団』を作りあちこちに講演活動、
教会の式典の演奏も引き受け、『演奏家』の第二の人生を送っています。
すばらしい演奏を聴きながら・・・
”私は学校卒業以来、
演奏家の皆様のように、何かを残してきただろうか?”
私の友人のように、施設訪問をして『懐かしのメロディー』演奏で、お人の人生を輝かしているだろうか?
世界に時代を超えて『曲』を遺された二人の作曲家のように、何かをお人のためにしてきただろうか?
・・・と。私の心揺り動かされた そして 5人の演奏家のお顔ガ輝いた、『演奏会』でした。
そして。
今日は10月3日。年間第二十六木曜日。
『今日の第一朗読 祭司エズラの言葉』
祭司であり学者であったエズラは、
バビロン捕囚から帰還するユダヤ人たちを
エルサレムに導き帰った指導者でした。
『その日、民は皆、水の門の前にある広場に集まって一人の人のようになった。
彼らは書記官エズラに主がイスラエルに授けられたモーセの律法の書を持って来るように求めた。
祭司エズラは律法を会衆の前に持って来た。
彼は水の門の前にある広場に居並ぶ男女、理解することのできる年齢に達した者に向かって、
夜明けから正午までそれを読み上げた。
民は皆、その律法の書に耳を傾けた。
エズラは人々より高い所にいたので、皆が見守る中でその書を開いた。
彼が書を開くと民は皆、立ち上がった。
エズラが大いなる神、主をたたえると民は皆、両手を挙げて、「アーメン、アーメン」と唱和し、
ひざまずき、顔を地に伏せて、主を礼拝した。
レビ人がその律法を民に説明したが、その間民は立っていた。
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。』
ネヘミヤ記 8章1-12節
エズラは、
バビロン捕囚前にある程度まとめられていた聖書や口伝などの資料と、
捕囚期の新しい資料とを、総合的にまとめる作業をしました。
現在私たちが手にする聖書の大部分が、このときに完成しました。
エズラは、
ユダヤ教の厳格主義を貫き、異邦人とイスラエル人との分離を推進し、
ユダヤ教を国家宗教とするために働きました。
イスラエルの人々は、
エルサレムに戻ってもペルシャの支配下にあリ、異教徒に囲まれて暮らしていたが、
エズラの話や教えに耳を傾け、
神に選ばれた民として、
安息日を守り、定期的に祭りを行い、モーセの教えに従う生活ができるように、
日常生活を安定させることに、配慮していったのです。
エズラは勿論、イスラエルの人たちは、
生涯をかけて、信仰を守り、国の復興を計ったのですね。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私も、演奏家や聖書の中の人々から元気と勇気を頂き、生涯をかけて『一つ事』に挑戦です。 お元気で!
9月1日。日曜日。晴れ。
12時~5時。
『最終卒業学校校友会関西支部 2019年度総会』
100人ほどの懐かしき友たち。 於。リッツカールトン大阪
『だから、目を覚ましていなさい。その日、その時は、誰も知らない。
いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなた方にはわからない。
だから、あなた方も用意していなさい。主は思いがけない時に来るからである。』
マタイ福音書 23章36-44節
総会は、『開会祈祷』 で始まる。
『開会祈祷』を、私の担当であり、必ず、『主の御言葉』で、まとめることにしています。
『5月1日より令和元年が始まって以来、今日で、ちょうど4か月がたちました。
皆様にとって、新年号:令和の始まりはいかがでしたでしょうか?
素晴らしい始まりであったことを、願う次第です。
しかし、日本全国を大雨や大洪水が襲う、想定外の令和の幕開けでもありました。
被害に遭った皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
主イエスは、災害がそうであるように、
人の最期の時は、災害以上に、突然襲うというのです。
私は、自分の兄と友で、それを経験しました。
”ちよっと待ってください。” ”もう少し猶予を下さい。”
と、申し上げることはできませんでした。
だから、主イエスは、その『時』は突然来ることを忘れることなく・・・
『目を覚ましていなさい。用意していなさい。』 と言われるのです。
私たちも、最期の時に、”我が人生に悔いはなし!” と言えるように、
隣人と仲良く、神に感謝しながら・・・十分な準備をしていましょう。』
我が母校の『スクールモットー』 は 『地の塩、世の光』 マタイ福音書5章13&14節
長年にわたり学ぶ学校の『モットー』は、
卒業生皆の『アイデンティティー』となって、卒業生の一人一人の人生を輝かしていきます。
旧友たちの謙遜の素晴らしさに感動する『秋のひと時』でした。
そして。
今日は9月1日。年間第二十二主日。
『ファリサイ派のある議員の家で食事をするイエス』
『左側が上席』
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい。』アレルヤ、アレルヤ。
マタイ福音書 11章29節
『今日の福音書 イエスの御言葉』
『安息日のことだった。
イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
人々はイエスの様子をうかがっていた。
イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、
彼らにたとえを話された。
「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。
あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、
『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。
そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。
そうすると、
あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。
そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。
だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
また、イエスは招いてくれた人にも言われた。
「昼食や夕食の会を催すときや、宴会を催すときには、
むしろ、
貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。
そうすれば、
正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」』
ルカ福音書 14章1-14節
食事に招かれたエス様は、
『最期の食卓』:『神の国の宴会』 を考えていました。
そこで、
ファリサイ派の人たちに、忠告なさったのです。
『目を覚ましていなさい。その日、その時は、誰も知らない。
いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなた方にはわからない。
だから、あなた方も用意していなさい、主は思いがけない時に来るからである。』
『神の国の宴会』
ここに招待されるためには、この世での『愛神愛隣』
の行いが、問われる。
と、イエスは言われるのです。
あなたは、貧しい人をお食事に招き、『隣人愛』を示しましたか?
あなたは、いつも、上席ではなく、下席に座る、『謙遜』 さで生きましたか?
あなたは、いつも、どなたとをも平等に、『差別』 を遠ざけましたか?
あなたは、小さな一人にしたことは神へしたことであり、『隣人愛』を実行しましたか?
イエス様は、
その地上での生涯においても、今も、『隣人愛』と『謙遜』に満ちた方で、
誰にも『差別』ない御方です。
イエス様の愛も、神様の愛も、
海よりも深く、空よりも高く、
差別なくすべての人を、『救い=天の国の宴会』 に招いてくださいます。
私たちは、
『神の愛』を受ける資格のない者であると、自覚を忘れることなく、
目の前で宴会場の門が閉められることなないように・・・
目を覚ましていましょう! 準備いていましょう!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昔の友と同級会や同窓会でお会いするのは、自分を振り返る好チャンスですね。 お元気で!
NHKの『ドキュメント72時間』。 テーマが面白い時には録画しておいて、興味深く観ます。
27日・金曜日の録画は・・・ 『京都 静かすぎる図書館』
京都の街中:観光エリアの一角にある『私設図書館』
『私語厳禁』の図書館でした。
本が備えてある図書館のイメージとはまるで違って・・・
ただひたすら、静寂を守り、自分のブースの中で、自分の本に向かう人々。
朝10時の開館~夜中12時の閉館。1階と2階がある。お安いが有料です。お茶コーナーが別室にあります。
勉強の事情はさまざまです 。変化が激しい業界で生き抜こうと勉強する若者。再就職のためにスキルを磨く人。目標大学合格に向けて5年ほど通う高校生。将来の目標:医者を目指して猛勉強をする小学生女子。仏教を学ぶ外人さん。様々です。
『私語厳禁』であるのですが・・・・
10年以上通う常連は、「見知らぬ者同士なのに、不思議な、そして 居心地の良い、連帯感がある。」と語るのです。
独りになりたいけど、孤独はイヤだ・・・。
『史上最も静かな図書館』から見えてくる、『現代人の孤独との距離感』が、ある、とかの結論でした。
なるほどね。 さもありなんね。 と、とても面白かったです。
人は一人になりたい。されど 独りはさびしい。 てことでしょうかね。
思い出しました。
2年前に乗ったオランダの電車・・・・ 『SILENCE 車』
1車両全席・・・『私語厳禁 沈黙車』
黙々と読書の人。パソコンに向かう人。目をつむって冥想?する人。私たち:娘と孫娘と私は車窓を楽しみました。
すばらしい『静寂空間の計らい』に、”さすが!”、と驚き感心 かつ 感動した私でした。
皆様は、一人読書を楽しむ時は、『どこ』で本を開きますか?
私のお気に入りの場所・・・ 『青少年自習コーナー』
地域の区民センタ―2階にあり、学生さんたちが、『私語厳禁・沈黙』、勉強をしています。
私は、ぽっかり空いた日は、午後の3時間ほど、とてもよく利用します。
静寂で、本に集中でき、とてもお気に入りの『空間』です。いつも、若者の中に私一人がおばさまです。
秋深まり・・・『読書の秋』
それぞれのお気に入りの本を、それぞれのお気に入りの場所で読む。 素敵なことですよね。
NHKテレビを見ながら、『三つの場所』のどこも、それぞれの個性があって素敵な場所だな、なんて考えました。
そして。
今日は10月29日。年間第三十主日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは言われた。
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
マタイ福音書 22章34-40節
そして。
今日の司式司祭も言われました。
「皆さま!それは大変なことですが…ともかく、隣人を自分のように愛してみてください。頑張ってください。
必ず…いつも…皆様のお顔に笑顔があふれますよ!」
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
あれこれ理屈を考えないで・・・今週は、隣人を自分のように愛してみましょうか!? 今週のチャレンジですね。
又の台風到来前で雨の一日・・・『秀吉と利休』の完読。
三人:利休と秀吉と家康の関係を想像する私が、利休の最期を迎える三人の『心の取引』を読むには、胸がえぐられる程の緊張感が伴う。
まずは、利休。
『一日おいての二十四日は、家康が晝の茶に見える日であった。
利休は、ま新しい十徳姿 で、うやうやしく出迎えた。
昨日も夕方近くまで床にあったようにはない、きりっとした身ごなしで、物静かで、愛嬌あふるる笑顔は、
大徳寺の出来事など、とんと知りもせぬひとの如く見えた。』
客の家康。
『家康は、灰ねずみの紋服にほとんど同じ色の綸子の短袴、茶いろの綾織りの肩衣、
秀吉とはうって変わった地味な装いで、寛ろぎであった。』
そして、秀吉。
『秀吉は利休を睨んで喰いしめた口をくわっと犬のようにあけ、荒々しく叫んだ。
「不屈者奴、面も見たくない、地獄のどん底に失せろ。」』
信頼し合う仲間や、師弟が、ある出来事の真意を理解し合えぬままに、今までの信頼関係が揺らぐことがある。
野上彌生子は、そのようなことが育った環境が原因の時もある。と書く。 さもありなんか?と思ってみる私です。
秀吉は、何事においても相談相手であった利休に、蟄居と切腹を命じます。
人を育てる、人が育つ、ということがいかに難しいことかと、今日も思い知らされました。
そして。
今日は10月28日。 『聖シモン 聖ユダ使徒 祝日』
『今日の福音 イエスの12人の使徒の選び』
『イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。
朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。
『それは、イエスがペテロと名付けられたシモン、その兄弟アンドレ、そして、ヤコブ、ヨハネ、フィリッポ、
バルトマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、熱心等と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、
それに後に裏切り者となったイスカリオテのユダである。』
ルカ福音書 6章12-19
沢山の弟子たちは・・・イエスについていき、親しくなり、イエスと信頼関係で結ばれていたのでしょう。
イエスは・・・御自分の『使命:人類の贖罪』の時が近いことを知り、神に祈りながら、神から与えられた『仕事』の続く方法を考えたのです。
そこで。
イエスは、
12人の弟子を選んで、『使徒』と名付け、イエス亡き後の『宣教』を託したのです。
11人の弟子(裏切り者のユダを除く)は、
イエスから遣わされた者として、イエスの十字架上の死と復活の証人となり、自分の使命を果たしました。
同様に。
私たち・キリスト者も、
イエスから遣わされた者です。イエスの証人となる『仕事』を託された者なのです。
イエスは、弟子たちを教育すること、育てることの難しさを知っておられました。
12人の弟子たちは、イエスと共に過ごし、復活してイエスに出会い、イエスの愛弟子として育てられました。
12人に続く私達は、聖書を読んでイエスを深く学び、イエスに出会い、イエスの本当の弟子になることを求められているのです。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
台風が接近していますので気をつけましょう。 穏やかな日曜日をお祈り申し上げます。
自称『ハルキスト』の私。
村上春樹の最新作・・・
『騎士団長殺し:Killing Commendatore』
ついに発表。 早速購入。
『第一部 顕れるイデア編』 第二部は未購入
帯の『言葉』 = 『旋回する物語 そして変装する言葉』
帯の『言葉』にすら、私の胸はドキドキ、期待が大きく膨らむ。
「『海辺のカフカ』より長く、『1Q84』より短い小説。とても奇妙な物語になります。」
朝日新聞より「その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。
夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた・・・・・
それは孤独で静謐な日々であるはずだった。 騎士団長が顕れるまでは。
『騎士団長殺し』背表紙より
難解と言われる『村上文学』
お得意のメタファーも健在でしょう。
「顔のない男」という、いかにも『村上ワールド』な登場人物が現れてくる。そうです。
私の『ハルキスト』である理由。
村上春樹の世界観…見える世界と見えない世界の共存の不思議さと確実性。
『理性によって認識される存在』 を思い知らされます。
そして。
今日は2月26日。年間第八主日。
『使徒パウロの言葉』
『皆さん、
人は、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。
この場合、
管理者に要求されるのは忠実であることです。』 コリントの信徒への手紙Ⅰ 4章1-5
使徒パウロも、村上春樹同様、平易な言葉を用いながら、難解な課題を出す。
私たちは、『神の秘められた計画をゆだねられた管理者 』、だというのです。
確かに・・・
人は、生命の不思議を体験しながら、『人の親』となり、『神の計画の管理者』となります。
教師たちは、教育の大切さを体験しながら、『人の師』となり、『神の計画の管理者』となります。
国の指導者たちは、国民の平和を維持するために、『国主』となり、、『神の計画の管理者』となります。
管理者に要求されることは・・・
神の秘めた計画をゆだねられた管理者として、『神への忠実』です。
神の秘めた計画への、『絶対なる服従』なのです。
『人は、キリストに仕える者なのです。』 同4-1
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
使徒パウロは『人は神の計画の管理者』であると断言します。 村上春樹は『人間の本質』を突きつけてきます。
『真実』を知った私たちは、真摯に生きるべきなのでしょう! 頑張りましょう!