港区文化芸術助成事業「第6回私と町の物語」のイベントの一つ港区の江戸 三田寺町ツアーに参加しました。
立命館大学の中村琢巳先生の講義を聞きながら、面白い話がいっぱいの有意義なツアーでした。
まず、三田寺町の特長は二つあり、一つは三田寺町が関東大震災、第二次世界大戦の大空襲の被害を受けず、江戸時代の建物がほとんど残っていること、もう一つはいろいろな宗派のお寺が混在して建てられているとの説明でした。
様式の違った江戸時代の種々の寺院建築を見ることができる貴重な場所だそうです。
まず、真言宗の宝生院(1635年)を見ました。外観は塗り壁で質素な感じですが、内部の空間はきらびやかで飾りも多く豪華な印象でした。江戸時代には様々な建築ルールがあり、まず外壁は防火上安全な塗り壁にし、外観はあまり飾りをつけて派手にしないこと。梁間3間以内の大きな建物はつくらせないなどの約束事があった。しかし、梁間3間のルールは増築などをしたようにし実際は大きな建物をつくっていた、外観は派手にしないかわりに内部は飾りなどをした豪華なつくりにしたなど、うまく抜け道をつくり建築が行われていたことなどの説明がありました。
次に浄土真宗の明福寺を見ました。浄土真宗の建築様式は細かく決められており、大きいお寺も小さいお寺もプランはほぼ同じだそうです。信者が集まって念仏を唱える場所を広くとっていることが特徴で、内外陣の境界を豪華にしています。約200年前の建物ですが、梁や柱は、輝いておりあまり古さは感じられません。手入れがきちんとされているようでした。柱は円柱で、円柱の方が大きな木材から切り出すので、高価だそうです。
最後に真言宗の明王院を見ました。真言宗でも江戸時代の札所めぐりのお寺で宝生院とはまた、違った建築でした。入り口の紅白のしだれ梅が見事に咲いていました。
見物は本堂の格天井に描かれた絵です。寄進された240枚の絵が天井にはめこまれています。寄進した方はお寺周辺のかたが大半ですが、その他の地域の方もいるとのこと、武家と商人の寄進は半々位だったそうです。
三田寺町はまさに江戸の寺町がかなり残っているにもかかわらず、街並みは現在ではその雰囲気をあまり伝えていないのが残念です。
宝生院の質素な塗り壁の外観
きらびやかな内部
明福寺の門
明福寺の豪華な内外の空間の境
ししの襖絵
明王院の外観
明王院の格天井
立命館大学の中村琢巳先生の講義を聞きながら、面白い話がいっぱいの有意義なツアーでした。
まず、三田寺町の特長は二つあり、一つは三田寺町が関東大震災、第二次世界大戦の大空襲の被害を受けず、江戸時代の建物がほとんど残っていること、もう一つはいろいろな宗派のお寺が混在して建てられているとの説明でした。
様式の違った江戸時代の種々の寺院建築を見ることができる貴重な場所だそうです。
まず、真言宗の宝生院(1635年)を見ました。外観は塗り壁で質素な感じですが、内部の空間はきらびやかで飾りも多く豪華な印象でした。江戸時代には様々な建築ルールがあり、まず外壁は防火上安全な塗り壁にし、外観はあまり飾りをつけて派手にしないこと。梁間3間以内の大きな建物はつくらせないなどの約束事があった。しかし、梁間3間のルールは増築などをしたようにし実際は大きな建物をつくっていた、外観は派手にしないかわりに内部は飾りなどをした豪華なつくりにしたなど、うまく抜け道をつくり建築が行われていたことなどの説明がありました。
次に浄土真宗の明福寺を見ました。浄土真宗の建築様式は細かく決められており、大きいお寺も小さいお寺もプランはほぼ同じだそうです。信者が集まって念仏を唱える場所を広くとっていることが特徴で、内外陣の境界を豪華にしています。約200年前の建物ですが、梁や柱は、輝いておりあまり古さは感じられません。手入れがきちんとされているようでした。柱は円柱で、円柱の方が大きな木材から切り出すので、高価だそうです。
最後に真言宗の明王院を見ました。真言宗でも江戸時代の札所めぐりのお寺で宝生院とはまた、違った建築でした。入り口の紅白のしだれ梅が見事に咲いていました。
見物は本堂の格天井に描かれた絵です。寄進された240枚の絵が天井にはめこまれています。寄進した方はお寺周辺のかたが大半ですが、その他の地域の方もいるとのこと、武家と商人の寄進は半々位だったそうです。
三田寺町はまさに江戸の寺町がかなり残っているにもかかわらず、街並みは現在ではその雰囲気をあまり伝えていないのが残念です。
宝生院の質素な塗り壁の外観
きらびやかな内部
明福寺の門
明福寺の豪華な内外の空間の境
ししの襖絵
明王院の外観
明王院の格天井