古い話で恐縮です。私が大学の卒業式の時の想い出です。
厳正な卒業式で大学の教授も大勢の卒業生もぴかぴかの服装で出席していました。
会場の隅の方で、いがぐり頭で小柄なしろっぽいジャンパー姿の人が一人うろうろしていました。どう見ても、大学の清掃用務員しか見えませんでした。
なぜ、こんな卒業式に用務員がうろうろするのだろうと思いました。
後で、それが名誉教授で考現学で著名な「今和次郎先生」だったということがわかりました。
今和次郎先生はある時からどんな時でもジャンパー(菜っ葉服)にしようと決意し、冠婚葬祭の時はもとより、天皇陛下の前でもジャンパー姿で通したそうです。
私は残念ながら、今先生、当時78歳であったため、講義を受けることもなかったし、お話することもなかったです。
ジャンパー姿だけが記憶に残っています。
人間、外観だけで判断してはいけないと肝にめいじています。
今先生はスケッチの名手で、その時代の人やまちの様子をスケッチで表現したそうです。
吉阪隆正先生もその伝統を受けついでおり、儀式や冠婚葬祭の時はいつも決まって黒いガウンに大学帽でした。また、常にスケッチノートを持参しており、短い時間でもスケッチをしていました。
また、吉阪先生は、ネクタイを忌み嫌っており、ネクタイはしないということに徹していました。
厳正な卒業式で大学の教授も大勢の卒業生もぴかぴかの服装で出席していました。
会場の隅の方で、いがぐり頭で小柄なしろっぽいジャンパー姿の人が一人うろうろしていました。どう見ても、大学の清掃用務員しか見えませんでした。
なぜ、こんな卒業式に用務員がうろうろするのだろうと思いました。
後で、それが名誉教授で考現学で著名な「今和次郎先生」だったということがわかりました。
今和次郎先生はある時からどんな時でもジャンパー(菜っ葉服)にしようと決意し、冠婚葬祭の時はもとより、天皇陛下の前でもジャンパー姿で通したそうです。
私は残念ながら、今先生、当時78歳であったため、講義を受けることもなかったし、お話することもなかったです。
ジャンパー姿だけが記憶に残っています。
人間、外観だけで判断してはいけないと肝にめいじています。
今先生はスケッチの名手で、その時代の人やまちの様子をスケッチで表現したそうです。
吉阪隆正先生もその伝統を受けついでおり、儀式や冠婚葬祭の時はいつも決まって黒いガウンに大学帽でした。また、常にスケッチノートを持参しており、短い時間でもスケッチをしていました。
また、吉阪先生は、ネクタイを忌み嫌っており、ネクタイはしないということに徹していました。