昨年、12月に発行された分厚い「アメリカ都市計画の誕生」(鹿島出版会)という本を読んだ。かなり、専門的な固い本なので、その一部をご紹介したい。
アメリカで最初に都市計画のきっかけとなったのが、1902年のワシントンの「総合都市計画」である。マクミランという上院議員が建築家とタイアップして、広いモール(百周年大通り)を中心に官公庁施設を配置する案を提案した。見事に描かれた鳥瞰図で示している。現在のワシントンの街並みの原型となった。
また、1897年から1902年にかけて、アメリカ各地のいろいろな団体で都市美運動が広がっていた。自治体芸術、村落改良、公共空間改良、野外芸術を推進する組織同士が交流しあい、アイディアを共有しあい始めた。都市美運動がアメリカ全土に広がり、マクミランの計画を歓迎した。
その一つのモデルがハリスバーク市の運動である。最初の取り組みは婦人団体からで、家庭園芸、清潔な街路、公共ごみ箱、河岸でのごみ廃棄の禁止など様々な目標を掲げて活動した。マイラ・ロイド・ドックという婦人活動家が「都市美」について、あちこちで講演会を開いて、啓発活動を行った。これらの運動から「ハリスバーク自治体改良連盟」が組織され、市議会に起債限度の引き上げ、計画案を実施する公共事業委員会を創設することに成功した。さらに、改良事業に着手し、公園緑地システム、河岸散歩道、広範囲の街路舗装、上水道濾過、洪水防止などを行った。ハリスバークの計画が全国に広がっていった。
私が感銘を受けたのは、アメリカの都市計画の出発がまさに、市民運動から始まっていることである。市民運動のさらに発端となったのは、婦人団体というのがうなずける。
普段、地域のこと、生活のことをきちんと考えているのは、女性だからである。
日本の場合、都市計画は役所主導で、さらに男性が主体となって計画している。日本の場合、市民団体の活動の歴史が浅くまた貧弱である。
ワシントンの場合は、一人の政治家と一枚の鳥瞰図が人を動かしたといえる。
日本では、このようにビジョンと実行力を持った政治家が少なかったと言える。