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港区まち創り研究会(まち研)ブログ

港区まち創り研究会の活動の状況やまちづくりについての様々な情報をお伝えします。
海外の街あるきの報告もあります。

New Zealand 42年前のニュージーランド Vol.3 北島ドライブ

2016-01-10 15:58:24 | ニュージーランド
ニュージーランドの国土は、日本の3/4で、北島と南島に分かれている。この時は、北島3泊、南島4泊で、合計7泊の旅であった。南半球なので、当然北島の方が暖かい。マウント・クックで飛行機に乗り遅れた結果、北島でのスケデュールは、かなりきついものとなった。
ウエリントンで、再びレンタカーを借り、オークランドへ向かった。途中、ロトルア近くの小さな一軒家風のモーテルに2泊した。台所設備が充分で庭には温泉までついていて、とても使いやすくて驚いた。ロトルアで、ロトルア博物館や温泉が噴き出す間欠泉を見学した。またロトルア郊外のマオリ族のも訪れた。北島での1番の目的地は、ワイトモの洞窟だった。夜光虫が星のようにきらめく洞窟内は、幻想的で生涯忘れられない。今回、この場所でのネガフイルム一本が劣化し、うまく復元できずでとても残念。ワイトモの町を暗くなってから出発した結果、田舎の道を延々と運転し、夜10時すぎにやっとオークランドのホテルにたどり着いた。妻と二人で交代しての運転だったから何とかなったが、時間に追われてのハードなドライブであった。翌朝あわただしくオークランド市内を見てから、次の目的地、南太平洋のタヒチへ向かった。
ニュージーランドでのドライブの感想。オークランドへのドライブが、きついものになったのは、単に自分達の時間配分が悪かっただけ。ニュージーランドは、日本と同じ左車線運転で、車は運転しやすい。国道もほとんど舗装されていたし、運転マナーも良く、東京で運転するより、よほど運転しやすかった。何しろ当時は車の数が少なく、2時間運転して、車数台にしかあわないということもあった。ただ山あり谷ありで、アップダウンが多かったことをおぼえている。現在は、車も飛躍的に多くなっただろうと思う。42年前、ニュージーランドのレンタカーの旅は、我々夫婦の冒険の旅であった。大きい都市のホテルだけを事前に予約し、二人で道や宿を探しながら、協力しながらの旅で、強く思い出に残っている。
(写真の無断転載は、固くお断りします)

延々と牧場が続く、のどかな光景

あちらこちらで、羊の放牧に遭遇した。日本とニュージーランドは同じ島国、温泉もありと似ているが、日本は人間多し、ニュージーランドは人より羊がいっぱいと、実感した

ロトルア周辺で滞在したモーテル、台所設備が充実していて庭にはプライベート温泉までついていた。宿泊代金も安く、当時の日本では考えられないほど、よくできていた。

このレンタカーで、ウェリントンからオークランドまでずっと走った。車名は忘れたが、一度も故障せずしっかり走ってくれて助かった。

ロトルア博物館にて

マオリ族の入り口。
当時は、ミニスカートの全盛期で妻のスカート丈も短かかった。今も時々、ミニスカートやパンタロン風の装いの女性を見かける。流行は繰り返すということだろうか。


マオリ族の(の名前を忘れて残念)
中でマオリ族の踊りを見ることができ、楽しんだ

間欠泉、ニュージーランドが日本同様、火山の多い国としっかり認識した場所でもあった

ロトルア湖

旅の途中で訪れた美しい湖(名前は、おぼえていない)

美しい湖

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New Zealand 42年前のニュージーランド Vol.2 マウント・クック

2016-01-06 08:20:25 | ニュージーランド
42年前のニュージーランド旅行、第2回です。
クライストチャーチからレンタ・カーで、ジェラルディーン、テカポを経て、マウント・クック国立公園へ向かった。(南島で最も有名な観光スポット)この国立公園の40%はタスマン氷河となっている。原生林のようなところを走ったり丘をこえたり小さい川や湖があったりで、景色に感動しながらのドライブだった。マウントクックとタスマン氷河の遊覧飛行が、旅の一番の目的だった。セスナ機発着場まで車で延々と砂利道を走った。今思うと、二人とも若くて勇気があった。(私はこの時30才、妻は25才だった) 
初めて乗るセスナ機は、思ったより小さかった。私も妻も、素晴らしい景色に最初は大喜びだったが、途中から気流が悪くなり、上下左右に大揺れし死ぬほど怖かったのをおぼえている。空から見る山と氷河の光景はまさに絶景で、生涯忘れることはできない。飛行場はすいていて、オーストラリア人夫婦と我々二人しかいなかった。仲良しになり、一緒にお茶をして写真をとった。
前回同様、個人写真を載せるが、夫婦二人とも年とり若い時の面影なしで、笑って見てください。(なお写真の転載は、固くお断りします)

こんな小さなセスナ機に乗るのは始めてで、少し不安だった

操縦席で記念写真

セスナ機の前で

飛行場で仲良くなった、オーストラリア人夫妻と

飛行場と言っても、野原に滑走路が一本あるだけの粗末なものだった。
今は、もっと設備が充実しているのではと思う。

セスナ機からの撮影

雄大な氷河の景観に、圧倒される

セスナから、雪山、氷河を望む

荘厳で、息をのむ美しさ

このあたり、機体が上下左右に大きく揺れて、二人で悲鳴をあげたのをおぼえている。
かなり怖くて、写真を撮るどころではなかった。



山に接近する


山と氷河の素晴らしい景観

気流がおさまり、ホットして帰路につく

素晴らしいマウント・クックの景観

マウント・クックの前で、見渡す限り何もなく空気が澄んでいて、最高の気分だった

今はいくつかのホテルがあるようだが、42年前、マウント・クックが見えるホテルは、ここしかなかった。(たぶん、The Hermitage hotel.今あるのが、同じ建物かどうかはわからない)ホテルから見える眺望は、素晴らしいものだった。

マウント・クックの素晴らしい景観を前にして、開放感いっぱい!

マウント・クックに一泊した翌日午後、とんでもない失敗をした。マウントクックの飛行場からウエリントン行きの飛行機に(途中どこかで乗り換えたかもしれない)乗る予定が(チケットも購入済みで)時間を感違いして飛行機に乗り遅れてしまった。飛行場に車で着いた時に、飛行機が離陸しているのが見えて「Oh My God~!」だった。今と違って当時は一日2~3便しかなく、そこでもう一泊することになり、とてもがっかりしたのをおぼえている。確かB&Bか何かに泊まったのだと思う。翌々日やっとウェリントンへ着いた。飛行機乗り遅れは、今までの旅行で一回だけだが、この失敗のために北島でのスケデュールがとてもきつくなった。

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New Zealand 42年前のニュージーランド Vol.1

2016-01-03 08:55:11 | ニュージーランド
「世界の街から」番外編として、42年前のニュージーランドへの新婚旅行のネガフィルムのデジタル化に成功したので、何回かにわけて、ご紹介します。当時、ニュージーランドへ行く直行便はなく、香港、シドニー経由で、ものすごく時間がかかった。また日本人含むアジア人がほとんどいなくて、珍しがられたのをおぼえている。妻と二人で国際免許をとり、北島と南島をレンタカーで1週間かけて回った。主なホテルだけ予約し、あとは気のむくまま毎日車で移動する旅。二人とも若くて元気で、ニュージーランドは、我々夫婦の旅の原点であった。飛行機に乗り遅れたり、道を間違えて荒野を3時間ほど走ったりと、失敗も多々あったが、今では全てが楽しい思い出である。
夫婦二人とも年とって、若い時の面影なしで、夫婦二人の個人写真も載せる。子供達からは「へえー、父さん母さん、こんな若い時もあったのね」が感想だった。
第1回として、南島のクライストチャーチを紹介する。
ガーデンシティとして有名なクライストチャーチは、公園が多く花が咲き乱れていて、静かで美しい街だった。石造りの古い建物が続いていて、古きよきヨーロッパの街並みのようであった。タクシーの運転手が、英国紳士のように礼儀正しかったのを憶えている。
市内で道に迷い、道路の途中でウィンカーを点滅して地図を見ていたが、後ろの車2~3台が静かに待っているのに途中で気がつき、お詫びしてあわてて発車した。当時、東京ではクラクションをならすのが当たり前だったので、とても印象に残っている。
ここは2泊滞在したが、もう一度訪れて見たい街の一つである。
最近、大地震で大聖堂など古い建物が全壊したとのこと。残念である。
(写真の転載は、固くお断りします)


古い建物が続く街並み

静かな雰囲気の街並み

花が咲き乱れているガーデンシティ 

Christchurch 国立公園で

花のそばで

美しい庭つきの家がずっと並んでいて、楽しんだ

エイヴォン川のほとり


我々日本人が珍しかったようで、少年たちが手をふってくれた
コメント (1)
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