港区まち創り研究会(まち研)ブログ

港区の情報、まちづくり情報をお伝えします。
海外の街あるきの報告もあります。

世界の街から70--オーストリア ウィーンその3 シェーンブルン宮殿

2012-10-31 16:52:17 | オーストリアの街から
シェーブルン宮殿
シェーンブルン宮殿は、ウィーン郊外に1696年レオポルト1世が夏の離宮としてバロック様式で建てはじめたもので、1700年にはほぼ完成していた。その後、一時、工事が中断していたが、マリア・テレジアによりロココ様式に大改造増築された。外壁も濃い黄色に塗り替えられた。
 マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットもこの宮殿で娘時代を過ごした。
 部屋数は1441室あり長さが180mもある桁違いに巨大な宮殿である。
内部は豪華絢爛のインテリアであるが、外観は左右対称の比較的シンプルな印象を受けた。
感心したのは、庭の広さと造園の見事さである。東西1.2km、南北1kmもある。丘の上からウィーンの街が一望できる。
訪れる観光客も多いためか、手入れが行き届いている壮大な庭園である。

アプローチの並木

シェーンブルン宮殿外観

シェーンブルン宮殿外観

庭園と宮殿

遠くにウィーン市街地を望む

池の間から見える宮殿と庭園

庭園

庭園の丘の上の建物 グロリエッテ
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世界の街から69----オーストリア ウィーンその2

2012-10-29 17:20:43 | オーストリアの街から
・ウィーンところどころ
ウィーン郵便貯金局
 近代建築の父と言われるオットー・ワグナーの作品を一つは見ようと思い、郵便貯金局に行った。1906年の作で外観は、石材パネルを鋲で固定し、鋲を目立たせるデザインになっている。飾りがなく現代の建物を変わりがない。
 ホールの空間がすごい。アーチ型のガラス屋根からトップライトの光が入り、明るくドラマチックな内部空間になっている。アルミが多用されている。床も一部ガラスプロックが使われている。
ウィーン国立歌劇場
 ウィーンに行ったら国立歌劇場でオペラを見ようと何となく考えていた。全く知識がなく、ウィーンに着いてからどうしたらチケットが手に入るかホテルで聞いたらとっくに売り切れているよと言われた。運が良ければ、当日の昼劇場に行けば、チケットを売りにくる人がいるからその人から買いなさいと言われた。劇場に行ったらほんとにチケットを売りたいという人がいて半額で売るという、そのチケットが本物かどうか売り場で確かめた上、買うことにした。
 劇場の外観は重厚で歴史が感じられる。中に入ると、絨毯が敷かれていて内装もきらびやかであった。ほとんどの観客も目一杯正装しているので、我々二人は旅行着のような簡単な服装でちょっと恥ずかしかった。席に案内されてびっくり、バルコニー席の最前列という特等席であった。出し物はモーツアルトの魔笛であった。
 それぞれの歌い手は、よく通る声ですばらしかった。
あまり知識のない我々が見るのは申し訳ないと思っていたら、となりのバルコニー席は、やや品のないアメリカの家族連れであまり集中して見ていないようなので助かった。
 今考えると、歌劇場でオペラを見るためだけに、ツアーに申し込む人がいるので、ほんとに運がよかったと思う。
ウィーン市立公園
 環状道路に沿って作られて細長い公園で、花が植えられ手入れの行き届いた公園になっている。ヨハン・シュトラウスの像が建てられている。
ホイリゲ
 ウィーンの森にある屋外のガーデンで新酒のワインを飲ませる場所で、ウィーンの名物の一つとなっている。なかなかよい雰囲気で大勢の人で賑わっていた。比較的安く食べて飲むことができる。こんな場所が港区にもあったらよいのにと思う。

ウィーン郵便貯金局 外観

ウィーン郵便貯金局 内部

ウィーン国立歌劇場

ウィーン国立歌劇場

ウィーン市立公園の日時計

ヨハンシュトラウスの像

ホイリゲの入り口の看板

ホイリゲで飲み食べる場所
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世界の街から68 オーストリア ウィーンその1

2012-10-28 15:45:02 | オーストリアの街から
私がウィーンを訪れたのもおよそ10年前であるが、3日間の滞在であったが、記憶に残っており、もう一度訪れたい街の一つである。
ウィーンはオーストリアの首都であり、人口は170万人を超える大都市であるが、大都市という感じではなく、人間的で暖かみがありそれでいて洗練された街という印象を受けた。
ウィーンは長い歴史を持ち、13世紀からハプスブルグ家の支配下にあり、長い間、ハプスブルグ家のオーストリア帝国の首都として発展した。
 ウィーンの都市構造の大きな特徴は何と言っても、旧市街地と新市街地を分けている環状道路である。
19世紀には、最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は自らまちづくりを立案し、城壁と堀を壊わし、環状道路を整備し路面電車を走らせ、道路に沿って公共建築物を配置した。
この皇帝の計画力はすごい。市内を環状に連絡する路面電車は、今でも便利に利用されており、ウィーンの一つの名物になっている。しかも、環状道路に沿って、王宮、オペラ座、美術史博物館、市庁舎、国会議事堂、ウィーン大学、市立公園など主要な公共施設が配置されて、街の構造がわかりやすい。
シュテファン寺院とハースハウス
 旧市街地の真ん中にあるのがシュテファン寺院である。14世紀に建設されたゴシック様式のこの寺院は均整のとれた美しい建物でまさに、ウィーンの象徴でもある。特に、モザイク模様のある三角形の屋根がよい。
 この向かいに、円柱のガラスに覆われたポストモダンの建築ハースハウスがある。最初に、これを見た時、シュテファン寺院の向かいという場所でよくこんな建築が建てられたと驚いた。オーストリアの現代建築家ハンス・ホラインの作であるが、一見、周囲の街並みとは全くあっていないように見える。
案の定これが建てられた時、市民から不評の声がわきあがったそうである。せめて、旧市街地ではないところに建ててくれればよかったのにとの意見であった。今は、そのような批判はないとのこと。よく見ると、伝統的は周囲の建物のフォルムを現代風にアレンジし、建物自体のデザイン主張がはっきりしており、優れた作品であることがわかる。
デザインした建築家とこのデザインを認めた行政担当者の勇気に、驚く。
 オーストリアには、オットー・ワグナーなど時代に先駆けた建築家を輩出した土壌があるのであろう。
環状道路(リンク道路)
リンク道路の幅員は広く自動車走行レーンが片側3車線、路面電車、広い歩行者路、緑地帯などから構成されており、車のための道路というより路面電車や歩行者を中心に考えられた道路という感じがする。うらやましいほどゆとりがある。
ケルントナー大通りとグランペン大通り旧市街地でオペラ座とシュテファン寺院を結ぶ繁華街のメインストリートであるケルントナー大通りとケルントナー大通りから王宮に向かうグランペン大通りは歩行者のために解放された空間となっており、ぶらぶら散歩しても気持ちがよい。ベンチやカフェ、花屋などが通りにでている。いつも賑わっておりイベントも行われることもある。沿道にはおしゃれな店がならぶ。ウィーンの魅力の一つとなっている。


ウィーンの航空写真 リンク道路が都市の構造を定めている googleより

14世紀のシュテファン寺院 三角の屋根が美しい

ハンス・ホラインのハースハウス ポストモダンのデザイン

旧市街地の街並みとハースハウス

リンク道路

リンク道路

リンク道路

歩行者に開放されているケルンストナー大通り

グランペン大通り
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世界の街から12---オーストリアのハルシュタットに学ぶ観光地のありかた

2011-08-06 21:26:42 | オーストリアの街から
オーストリアのハルシュタットに学ぶ観光地のありかた


今日は、暑い東京の夏を離れて、涼しげなオーストリアの湖水地方小さな街ハルシュタットの話をしてみよう。
ハルシュタットは、オ-ストリアの湖水地方ザルツガ-マ-グ-トのハルシュタット湖のほとりにある小さなまちである。世界の湖岸の町で最も美しいまちであると言われている。有史以前から人が住みついて高い文明を築いていたという、長い長い歴史を持った村である。1997年世界遺産に指定されている。
ハルシュタットは、欧州では有数の塩の産地で、かって塩が金と同じ位価値があった時代にこの村やハプスブルグ家に大きな富をもたらした。
 バ-トイシュルから列車に乗って、ハルシュタットに向かう。車窓から見え隠れしている湖水の景色を楽しんでいると、30分程度でハルシュタット駅に着く。
 駅を降りると林があり、細い小道が続いている以外には、駅前には店もなければ何の標識もない。
 駅を降りたのは、わたしだけのようなので、人に尋ねるわけにいかず、細い小道をわけわからずに進む。
 少し歩くと、あっと驚く。美しい湖水の景色が突然現れ、はしけに一艘の舟が止まっている。 すでに、10人位の人が乗り込んでいる。わたしも、この舟にのるしかないと思い、料金を払って舟に乗る
 舟は対岸に向かって進むにつれ、対岸に家並みが見えてきた。ここでやっと理解してきた。
対岸の家並みが行こうとしているハルシュタットの村なのだ。


舟から見た村の景観
 振り返って、来た方向を見ると、湖水と樹林地と遠くの雪をいただいた山並みが見えるだけである。 つまり、わたしが駅に着いたあたりは、完全に自然が保護されている区域となっているようだ。


保護された自然景観
舟が岸に近づくにつれ、家並みが次第に大きく見えるようになる。映画の1シ-ンを見ているような演出である。
 舟をおりると、マルクト広場があり、広場に面して大きな教会がある。
 マルクト広場には、大勢の人が集まっており、やっと観光地らしい雰囲気となった。

マルクト広場あたりの建物

湖水のまわりには、平坦な土地の部分があまりなく、いきなり急斜面となっている。
この急斜面に沿って建物が重なるように建てられている。
 一戸一戸の家は、木造で3階建ての切妻屋根の建物が多い。建物の多くはバロック様式でパステルカラ-に外壁が塗られている。湖水に面している家には、舟を入れる舟屋がある。建物はかなり古そうに見えるものもあり、比較的新しく見えるものもある。日本の漁村集落に似ているようなところがある。

漁村集落に似た建物
 しかし、どの建物も同じような外観であり、違和感のある建物は見られない。
 以前ドイツの小さな歴史都市シュベ-ビシュ・ハルの役所を訪れた時、この都市で建物を新築、改築する際守らなければならない建物の色、形、材料などの詳細な規定を示す地区計画の図面を見せられたことがある
 多分ここでも、厳格な地区計画が定められて、それに合わせて建物が建てられているのであろう。建物の用途は、ここに住んでいる人たちの住宅だけかと思っていたら、どうもほとんどが民宿のようなホテルとなっているようだ。


木造3階の建物が多い。デザインは統一されている。
湖水沿いに遊歩道があり、美しい湖水の景色を見ながら歩くので、いくらあるいても苦にならない。
 湖水沿いもほとんど人通りがなく、ベンチに腰掛けて対岸の絵はがきのような景色をしばし眺める。
 湖水に面した瀟洒な建物があり、芝生の庭に、アウトドアのイスが置かれている。ホテルなら泊まって見たいと思い、通りかかった人に尋ねるとこれは、ホテルではなくプライベ-トな別荘だそうだ。

プライベートな別荘
こんなところで週末を過ごす人たちはどんな人たちなのだろう。うらやましさを感じる。
しばらく歩いた後、湖岸に面したレストランに入る。アウトドアのテ-ブルに席につく。素晴らしい湖水と山の景観が目の前に飛び込んでくる。湖水でとれる鱒料理を注文する。ここでは、何を食べてもおいしいように感じる。まさに、景色がごちそうになる。
昼食の至福の時間を過ごした後、さらに湖岸沿いを歩く。もちろん、車とは行き会わないようになっている。遠くにロ-プウェイが動いているのが見えたので、乗ることにしたが、乗り場がわからない。乗り場の表示を大きく示さないのが、こちらのやり方である。何となくその方向に歩き、乗り場を見つけてのる。ロ-プウェイは、結構長く、相当高いところにいく。
 上から見る湖水と山の景観はまた素晴らしい。遠く、アルプスの山々を遠望することができる。
 近くにあるレストランからハルシュタット湖の景色が一望できる。

ロープウェイの頂上から見た景観
自然環境の保全と観光
 日本の観光地の駅でまず思い浮かべるのは、広場がありタクシ-やバスが何台もとまっており、駅前にレストランや自動販売機があり、スピ-カ-などでいろいろな宣伝をしている風景である。
 ハルシュタットの駅前はまったく何もないのである。看板一つない。ここは観光地なのかと目を疑う。なにもない理由は、おそらくここが自然保全区域となっているからなのであろう。
 ハルシュタット湖の周辺で家が建てられる区域はほんのわずかで、ほとんどが自然保全区域になっているように思われる。そして、保全区域において厳格にル-ルが守られているのであろう。
 日本の場合は、観光振興が優先されるため、自然環境保全のル-ルの適用があまくなり、その結果貴重な自然資源を失い、観光地としての最も大事な魅力を失ってしまう。
 ハルシュタットは世界遺産であり、有力な観光資源であるにもかかわらず、最大限に客を呼び込み、だれも最大限に利益を得ようとしていないように見える。例えば、渡しの舟であるが、せいぜい50人位しかのれないように見えるし、しかも1時間に1本しかない。 宿泊施設も低廉な民宿形式が多く、大きなホテルはない。
レストランやコ-ヒ-ショップのようなものも要所、要所にあるが、決して数は多くあるわけではない。
 あちこちの家に花が飾られている。

道から見える手入れのよい花
ここにいて感じるのは、どうぞかけがいのない自然の景観と町並みを十分楽しんでくださいよという地域のもてなしのこころである。どんどん人を呼び込み、その場の経済性のみを考えるような日本の観光地のあり方はいずれ行き詰まってしまのではないかと思った。  文責 安藤 洋一   
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世界の街から6--特異な地形を生かした街 ザルツブルグ オーストリア

2011-07-10 18:42:27 | オーストリアの街から

ザルツブルグは、オ-ストリアにある人口約15万人の都市であるが、オ-ストリアでは比較的大きな都市になる。 

ザルツブルグは、ウィ-ンから列車に乗り、3時間ほどで着く。駅からバスに乗り旧市街地に10分位で着く。ザルツブルグの美しさを絶賛する人は、多い。「極楽か天国のように美しい」と言ったシュ-ベルトを初め、作家ジェイムス・ジョイス、エドワ-ド8世、指揮者トスカニ-ニなどの人々がザルツブルグの美しさを褒め称えている。

  まちに入ると、まず気がつくのは、市街地の真ん中にあるザルツァッハ川と平行している高さ100mを越える連続する岩壁であった。旧市街地の町並みと岩壁が奇妙に調和した景観となっている。




 岩壁の上に聳えるホ-エンザルツブルグ城が威圧するように存在する。川の左岸にあたる旧市街地は、岩壁と川との間の幅はわずか数百メ-トルしかない狭い地区である。このわずかな空間に歴史的な建造物が詰め込まれている。岩壁は城の自然の要塞となっており、また、岩壁のへりにある建物は、岩壁をくり抜いて利用している。この旧市街地が世界遺産に指定されている。



ザルツブルグのまちができたのは、およそ1300年前で、最初に岩壁の近くにセントピ-タ-寺院や修道院がつくられた。ホ-エンザルツブルグ城が建てられたのは、その後で11世紀後半になる。いずれにせよ、旧市街地は千年の歴史を持つまちである。

 

ザルツァッハ川の景観は素晴らしい。川の土手に高い木が植えられており、自転車道と歩道が続いている。土手の下は草で被われている。遠くに雪をいただく山が見える。川には、古い橋と新しい橋が架けられている。特に、新しい橋は、軽やかで美しいデザインとなっている。ザルツァッハ川はかっては、何度も氾濫し、大きな被害をもたらした。19世紀に高い堤防がつくられてから、川は治められたと言われる。その時、町の役人はまっすぐな運河をつくることを計画したが、一人の画家がふるさとの原風景を破壊することに反対し、ザルツァッハ川の景観が残されたと言われる。

 



 

 橋を渡ると、すぐにザルツブルグの中心商業地であるゲトライデガッセに入る。ゲトライデガッセは曲がりくねった道で両側に4、5階建の商店が並ぶ。道幅が3mと適度に狭く、雰囲気がある。ゲトライデガッセの商店の鉄細工の看板はそれぞれ個性があり面白い。ゲトライデガッセに面してモ-ツアルトの生家もある。ゲトライデガッセから広場に向かう道は建物の中をくぐり抜ける不思議な路地空間が面白い。

 
 



 
 ゲトライガッセと岩壁との間は、宮殿レジデンス、教会、大聖堂など大きな建物と広場で構成されている。

 岩壁をくり抜いて教会、音楽ホ-ル、レストランなど様々な用途の建物がある。岩壁に建物のファサ-ドだけがあるのもあり、面白い。音楽ホ-ルは、世界のア-ティストが訪れる有名なザルツブルグ音楽祭の会場になる。






 

 橋を渡り、ザルツァッハ川の右岸にいくと、川のそばにミラベル庭園がある。映画サウンドオブミュ-ジックの舞台にもなった有名な庭園である。季節が春なので、パンジ-とチュ-リップを主体に植えられている。花の色の構成がとても美しい。季節になるとバラが咲くとさらに素晴らしいのではないかと想像される。庭園の中をぶらぶら歩いている時、 はっと一つのことに気がついた。ミラベル庭園の中央の道の延長にホ-エンザルツブルグ城が見えるのである。ヨ-ロッパの都市づくりの一つの手法である軸線がここにも見られたのである。高台にある城が町のシンボルとして、都市景観の重要な役割を果たしている。

 おわりに

 ザルツブルグは、音楽祭が開催されるまでは、あまり知られていない地方都市であった。一人の熱心な市民の運動により、1920年に初めて音楽祭が開催され、演劇、オペラ、コンサ-トなどが上演された。モ-ツアルトがザルツブルグの出身であることも幸いし、ザルツブルグ音楽祭は世界中から人がくるようになった。音楽祭というイベントを通し、世界に発信する交流都市となった。

 世界中の人を集めるイベントを企画できれば、まちおこしになる一つの例となる都市である。

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世界の街から4--美しく小さなまち オーストリア バート・イシュル

2011-07-05 18:06:25 | オーストリアの街から
美しく小さなまちバ-ト・イシュル


 バ-ト・イシュルは、オ-ストリアの風光明媚な湖水地方ザルツカンマ-グ-トのほぼ中央にある、温泉保養都市である。
 ザルツブルグから、美しい湖水地方を見ながら、1時間半ほどバスに乗るとバ-ト・イシュルというまちに着く。
 バ-ト・イシュルは、オ-ストリア帝国の最後の皇帝フランツ・ヨ-ゼフが夏をここで過ごしたことから、ヨ-ロッパでは有名な保養地として発展した。
 私は、何の予備知識なしにこのまちを訪れたが、少し歩いただけで、すっかりこのまちの魅力のとりこになり、1泊の予定が2泊することになり、さらに帰るのが名残惜しくなるような気持になってしまった。
 町の中心から20から30分も歩くと、市街地の外に出てしまうような小さなまちである。市街地は、温泉場(カイザ-・テルメ)、住宅地、別荘地、ホテル、ク-アハウス(劇場)、商店街などからなる。
 ここは、温泉保養地なので、お年寄りや障害者が保養やリハビリに多く訪れる。まちのポリシ-がまさに「お年寄りや障害者が人が快適に過ごせるようにつくられたまち」となっているのである。このような人達をまちが暖かく、やさしく迎えるようにできたまちになっている。このまちの魅力をいくつかあげてみよう。

 山や川の美しい自然景観を生かす

 このまちの魅力の一つは、フランツ・ヨ-ゼフが散歩したといわれるトラウン川沿いの道(エスプラネ-ド)である。雪をいただくアルプスの山々を遠く望み、白鳥やかもが舞う川のせせらぎをいつまで見ていてもあきない。
川沿いの道は遊歩道と自転車道となっているこの道のベンチにいつまでも腰掛けている老夫婦の姿がほほえましい。


▼美しい山と川の景観


▼川沿いの遊歩道


2 人が快適に歩くためのまち

 このまちは、車のためにつくられたまちではなく、まさに人が快適に歩くためにつくられたまちである。これは当たり前のことのように思うが、日本には少なくとも現在ではこんなまちはない。人が快適に歩くことができるように、いくつかの原則があるがこのまちでは忠実に守っている。
その1 市街地部の一定ゾ-ンについて、車の速度を30km以下としている

 このゾ-ンにおいては、人が道をわたると車の方がとまるようなル-ルになっているようだ。信号はほとんどないが、このル-ルを車が守ってくれるので危ないと感じることはない。よく考えると、信号は車が速度を出して走れるためにある。車がいつも止まってくれるのであれば、信号はいらない。


▼同じようにペイブされた歩道と車道

その2 市街地部のほとんどの道を一方通行または時間制限の歩行者専用路としている。

 市街地部の道路のほとんどが一方通行または時間制限の歩行者専用路としているので、安心して歩ける。
 また、商店街の通りでは、車道と歩道を同じような材料でペイブしているので、車道でも歩道を歩いているような感覚になる。

その3 広い歩道や自転車道が確保されている。

 一方通行にしたため、残りのスペ-スを歩道と自転車道に開放しているので、必然的に歩道は広い。自転車道は、サイクリングに使われるために主にあるようで、走っている自転車はあまり見かけなかった。
 右の写真では、右から歩道、自転車道、車道、歩道の構成となっている。車は、決められた場所であれば駐車することができる。


▼一方通行で確保された歩道と自転車道


その4 道路に段差が少ない

 お年寄りや障害者のために、道はできるだけ段差を少なくしている。いわゆるバリア-・フリ-に配慮したまちとなっている。
 交差点においても、歩道の高さに合わせて、車道が高くなっているところもある。このような交差点では、車イスが簡単に渡ることができる一方、自動車は、遠慮しながら交差点を渡るような仕掛けとなっている。


▼段差がない道路

その5 小さな広場とベンチを確保

 まちのあちこちに小さな広場や花壇があり、だれでも歩き疲れたら、休めるようにベンチが置かれている。お年寄りがよくベンチに座っている光景をみかける。
 都市は、経済活動の場だけではなく、人が生活するためにあることが実感できる。


▼町の広場で休むお年寄り

3 花と緑と美しい町並み

 建物の高さを3~4階程度に揃えられており、圧迫感がない。建物のデザインや質も一定の水準が保たれており、町並みの一体感がる。もちろんぎらぎらした看板やネオンもない。緩いカ-ブのある通りが多く、まちなみが歩くにつれ変化し、歩く人をあきさせない。公共施設は、すべてトレジアン・イエロ-に塗られており、すぐそれとわかるようになっている。 町全体に緑のオ-プンスペ-スや街路樹が多くあり、さらにまちのあちこちにきれいに飾られた花壇が多く見られる。どこの花壇もきちんとデザインされ、管理も素晴らしく行き届いている。

▼街角を飾る花

 ク-アハウスも公園の中にあるように、花や緑に囲まれている。大きな建物のまわりは、緑や芝生のオ-プンスペ-スがある。まさに、花と緑に囲まれてまちである。


▼花と緑に囲まれているク-アハウス

4 おしゃれ

 このまちのキ-ワ-ドは、「おしゃれ」である。町並みもおしゃれであるが、歩いている人もおしゃれである。温泉保養都市にありがちな暗い感じや年寄りくささがない。もちろん、日本のやぼな歓楽街のようなところもない。
 歩いている人の中には、特に、着飾っておしゃれにしている人が目立つ。オ-ストリアの伝統的なファッションである、襟のたった緑色のス-ツを着て、歩いている男性をよく見かける。これは多分フランツ・ヨ-ゼフの狩猟服からデザインされたもので、バ-ドイシェルの店で仕立てたものだろうと推測される。


▼洗練された店舗のデザイン

 この服を着て、街を歩くことが、ステイタスになっているのかもしれない。女性もやはりこちらの伝統的なデザインの服装で歩いている人もいる。観光地に見られるいわゆるTシャツ、短パンといったラフなスタイルの人は少ない。日本の刹那的なレジャ-の過ごし方ではなく、長期に滞在してゆったり余暇を過ごすというライフスタイルを垣間見ることができる。
町並みも美しいが個々の店舗やレストランの飾り付けも雰囲気があり、洗練されておしゃれである。


▼雰囲気のあるレストラン街

5 おわりに
一般的に小さなまちは魅力がないといわれるが、ここを訪れると、そんな常識が一変してしまう。小さなまちだから、人間の生活を大事に考えることができ、また小さなまちでしかできない様々な仕掛けが、まちをこんなに楽しく快適にしてしまうのかを実感する。
   まちづくりには、難しい理論は必要ではないように思える。人間が安全に、快適に生活を楽しむことを最優先に考えれば、きっと世界中がこのバ-ト・イシュルのような素晴らしいまちになるのではないだろうか。





 
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