今日は、あの悪夢のような東日本大震災の日からちょうど1年が経ちました。
被災地の復興は、まだまだこれからのようです。我々も何とかお手伝いしなきゃと思いつつ、ほとんど何もできずに1年がたってしまいました。忸怩たる思いです。
今日、私(安藤)の古い知り合いであるMITの建築計画の教授の神田駿先生からメールをいただきました。神田先生の東北被災地支援活動が「アーキテクチャル・レコード」誌にとりあげられたことが書かれていました。
その内容を少しご紹介したいと思います。
昨年、7月MITの教職員と学生のチーム(29名)は、災害復興計画の研究と実践のために津波で甚大な被害を受けた被災地南三陸を訪れた。日本の大学ともコラボレーションしている。
神田先生は「我々は、計画を進めるには住民参加と住民との対話の必要性を理解した」とのコメントがあった。
被災地の解析には、米国連邦緊急事態管理局によって開発された評価法を適用した。
建築、エンジニア、造園計画の学生たちは、被害の状況、植生、土壌、環境の状況などを記録した。
神田先生がまず行った提案は、仮設住宅地はただアルミ製の仮設住宅が並んでいるだけで、お互いおしゃべりするスペースもない。仮設住宅と仮設住宅の間に、木製の床をわたし、透明なポリカーポネートの屋根をつくり、小さなコミュニティスペースを5つ作ったことである。日本の路地空間の再現である。おばあさんがおしゃべりできるように「ばば通り5丁目」となずけている。
これは、復興のとっかかりとなるわずか2000ドルのプロジェクトであるが、これを種に今後も復興の計画を進めたいと神田先生は言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9c/a34a0860d0aa6ce50787b0a21615ab23.jpg)
神田先生とMITグループの現地調査(アーキテクチャルレコード誌より)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/c7/e90bb9988abc6666987a92063fa0c33c.jpg)
ばば通り5丁目プロジェクト 日本の路地空間の復活 (アーキテクチャルレコード誌より)
被災地の復興は、まだまだこれからのようです。我々も何とかお手伝いしなきゃと思いつつ、ほとんど何もできずに1年がたってしまいました。忸怩たる思いです。
今日、私(安藤)の古い知り合いであるMITの建築計画の教授の神田駿先生からメールをいただきました。神田先生の東北被災地支援活動が「アーキテクチャル・レコード」誌にとりあげられたことが書かれていました。
その内容を少しご紹介したいと思います。
昨年、7月MITの教職員と学生のチーム(29名)は、災害復興計画の研究と実践のために津波で甚大な被害を受けた被災地南三陸を訪れた。日本の大学ともコラボレーションしている。
神田先生は「我々は、計画を進めるには住民参加と住民との対話の必要性を理解した」とのコメントがあった。
被災地の解析には、米国連邦緊急事態管理局によって開発された評価法を適用した。
建築、エンジニア、造園計画の学生たちは、被害の状況、植生、土壌、環境の状況などを記録した。
神田先生がまず行った提案は、仮設住宅地はただアルミ製の仮設住宅が並んでいるだけで、お互いおしゃべりするスペースもない。仮設住宅と仮設住宅の間に、木製の床をわたし、透明なポリカーポネートの屋根をつくり、小さなコミュニティスペースを5つ作ったことである。日本の路地空間の再現である。おばあさんがおしゃべりできるように「ばば通り5丁目」となずけている。
これは、復興のとっかかりとなるわずか2000ドルのプロジェクトであるが、これを種に今後も復興の計画を進めたいと神田先生は言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9c/a34a0860d0aa6ce50787b0a21615ab23.jpg)
神田先生とMITグループの現地調査(アーキテクチャルレコード誌より)
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ばば通り5丁目プロジェクト 日本の路地空間の復活 (アーキテクチャルレコード誌より)