詩人西脇順三郎はノーベル文学賞の候補に10回もなっている。
ノーベル文学賞の候補には谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫などがしばしば挙げられており、実際受賞しているのは、川端康成と大江健三郎の2名だけである。
詩人でノーベル文学賞の候補になったのは、西脇順三郎しかいない。まさに、世界的な大詩人である。
西脇順三郎のお宅は、白金台の八芳園の向かいあたりにあった。
家が近いので、私が小さい頃からよく我が家に寄っていた。父も西脇先生は尊敬していたので、別格のお客さんであった。
父からよく西脇先生のエピソードを聞いていた。
慶應大学を卒業する時、卒業論文をラテン語で書いて提出したが、読める先生はいなく卒業を認められたそうである。
今だったら、とても通らない話であるが、担当教官が後の塾長となった大物教授小泉信三であったので、卒業できたそうである。
ラテン語は当時の教養の高い英国人は読み書きができたそうで、それを日本の大学生が論文にしたのは驚きである。
そんな大詩人であったが、我が家に来た時は、気取らずジョークを言ったりして、面白い人という印象だった。
我が家のベランダに座ってぼーと庭を見ていたりすることが多かった。
道に生えている雑草の名前を覚えるのが趣味で、新しい雑草を見つけては喜んでいた。
世俗的なことがきらいで、教授会が苦手だそうで、いつも教授会では寝ていたそうである。
我が家で行っていた詩人の勉強会「三日会」は、ゲストでよく参加していた。
「三日会」には、藤富康男、新倉俊一、鍵谷幸信などが常連で池田万寿夫、富岡多恵子、白石かずこなどがゲストで参加していた。
西脇先生もとても楽しそうに議論に加わっていた。
私は、詩のことは全くわからないが、有名な「旅人かへらず」の天気という詩は好きだった。
天気
(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日