港区まち創り研究会(まち研)ブログ

港区まち創り研究会の活動の状況やまちづくりについての様々な情報をお伝えします。
海外の街あるきの報告もあります。

世界の街から67--チェコ プラハその2

2012-10-18 14:45:15 | チェコスロバキアの街から
遠くから見るカレル橋も趣きがある。
プラハ城は世界で最も古くまた最も大きい城である。10世紀にはほぼ今の大きさの城となっており、長さ570m、平均の幅は130mある。城は比較的装飾が少なく簡素な感じを受けた。たまたま、おごそかな衛兵の交代を見ることができた。城の中に聖ヴイート教会、聖イジー教会がある。聖ヴイート教会は堂々としたゴシック様式の建物、聖イジー教会はピンク色のかわいらしい建物で、聖イジ-教会の中ですてきな弦楽コンサートを聴いた。城から川の向こうの旧市街地が一望に見渡せる。
路地にカラフルな家が建ち並ぶ黄金の小道を歩く。ハブルスブルグ家のルドルフ2世が 黄金と不老長寿の薬をつくるためにつくったと言われる。カフカの仕事部屋として使った家もある。
再び、カレル橋に戻りプラハ城の夜景を見る。だんだん暗くなってきて城がライトアップされる。ライトアップされた城は、大きく見え存在感があり圧巻である。

カレル橋を遠くからみる

プラハ城入り口

プラハ城

衛兵の交代

ゴシック様式の聖ヴイート教会

聖ヴイート教会

聖ヴイ-ト教会内部

ステンドグラスが美しい

チェコの画家ミーシャのステンドグラス

城から旧市街地をみる

ロマネスク様式の聖イジー教会

聖イジー教会内部

聖イジー教会内部

黄金の小道

カフカの仕事部屋

暮れていくプラハ城

ライトアップされるプラハ城

プラハ城の夜景
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世界の街から66--チェコ プラハ その1

2012-10-16 06:56:34 | チェコスロバキアの街から
プラハはチェコの首都で人口120万人の大都市である。ヨーロッパで最も美しい首都と言われている。その美しさはプラハの持つ歴史に由来する。街の構造、一つ一つの建物が自ら歴史を物語っているようである。
 プラハは、長い歴史の中で政治的な変遷により、都市として果たす役割も変化している。小さな村落から出発し、9世紀に城が築かれ、14世紀カルロス4世の時、神聖ローマ帝国の首都となり発展し、当時ヨーロッパ最大の都市となった。カルロス4世により、新市街地がつくられた。1618~1648年の宗教戦争である30年戦争により、皇帝側が敗北し、首都はプラハからウィーンに移される。ハプスブルグ家の支配下に置かれる。
長い間、停滞する時代が続いたが1918年オーストリアハンガリー帝国から独立、チェコスロバキア共和国が成立し、プラハはその首都となり再び発展した。
 その後、第一次・第二次世界大戦で大きな被害を受けず、歴史的な建物、街並みが残された。第二次世界大戦中はナチスドイツの支配下にあり、大量のユダヤ人虐殺が行われた。戦後は、社会主義国チェコスロバキアの首都になり、1993年共産党政権は崩壊し、チェコとスロバキアに分離し、チェコの首都となった。
プラハは大きく3つのゾーンに分けられる。一つは、広場を中心に放射状の道路パターンにより構成される旧市街地ゾーン、ヴァルタヴァ川をはさんで旧市街地の反対にあるプラハ城を中心としたゾーン、旧市街地を取り巻くように形成された碁盤目状の新市街地ゾーンである。旧市街地ゾーンとプラハ城ゾーンの間を有名なカレル橋がつないでいる。
 プラハの特徴は三つある。一つは教会などの塔が多く、塔の街とも言われている。もう一つは、旧市街地・プラハ城周辺では歩行者空間が広がっていることである。もう一つは長い歴史を持つので、多様な建築様式の建物が混在している。
 私が訪れたのは約10年前であるが、特に気に入ったのは歩行者空間が広いことである。
旧市街地からカレル橋を渡ってプラハ城周辺まで、周囲の建物やお店などを見ながら歩行者空間をのんびり歩いていけるのはうれしい。ただ、スリが多く私もカバンの中を探られたが、何もとられなかった。旧市街地は広場が中心となっており、広場に行く道は歩く人で賑わい、大変な混雑になっている。旧市庁舎の天文時計のからくりが圧巻である。しばらく足を止めてその動きを見守る。広場はヤン・フスの銅像を中心に開けていて気持ちがよい。広場から目立つ二本の塔のあるゴシック様式のティーン教会が美しい。
広場に通じる道は少しカーブした道もあり風情がある。
プラハのシンボルの一つであるカレル橋を渡る。カレル橋ではいろいろな大道芸で行われていて楽しい。橋というより広場である。橋の欄干に30人聖像の彫刻が並ぶ。橋から見るプラハ城の景観がすばらしい。
以下次回へ

プラハの航空写真 グーグルより

旧市街地航空写真 グーグルより

絵はがきから 旧市街地の立体図

絵はがきから プラハ城周辺地区 立体図

旧市街地 広場にいく道

旧市庁舎

旧市庁舎の天文時計

旧市街広場とティーン教会

旧市街広場 中央にヤン・フスの像がある 

旧市街広場

ブリッジのある建物

聖ミクラーシ教会

緩やかなカーブの道

火薬塔

カレル橋

カレル橋の芸人

カレル橋の聖人像

橋からプラハ城を望む
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世界の街から8 --小さな歴史都市チェスキー・クルムロフ

2011-07-19 17:12:40 | チェコスロバキアの街から
小さな歴史都市チェスキ-・クルムロフを訪ねて(2002年)                              

 チェスキ-クルムロフは、チェコの南端部でオ-ストリアとドイツの国境近くにある小さな歴史都市である。

13世紀に豪族の城が建設され、16世紀に都市は繁栄の頂点に達し、その時代の建造物がそのまま、今も残されている。

1992年世界遺産に指定され、画家エゴン・シ-レが一時期過ごしたことでも有名で、世界各国から観光客が訪れる。

 オ-ストリアの国境近くのまちから、チェコの鉄道に乗り換えて、チェスキ-・ブデヨヴィチエに向かう。チェコの列車は古いロシア製のもので、オ-ストリアの列車に比べて、恐ろしく貧弱に見える。列車はがらがらであった。列車が国境付近にさしかかると警察官税関の役人、車掌が来て、パスポ-トや切符のチェックをする。チェコの警察官や役人は無愛想で権威的である。

 車外の景色はオ-ストリアを国境を越えると一変する。オ-ストリアの豊かな農村風景から、今にも倒れそうな家、ぼろぼろの車があるチェコの農村風景へと変化する。

 車窓の景色から国の経済力の差がこれほどはっきり示されるのに驚かされる。

 チェスキ-・ブデヨヴィチエに着く。ここからバスでチェスキ-・クルムロフに行くのだ。駅前の町並みはみすぼらしい。歩いている人も暗い感じで、笑っている人はほとんどいない。服装も粗末な感じを受ける。昭和30年代の日本のような気がする。

駅前のバスタ-ミナルはすぐみつかったが、どのバスバ-スがチェスキ-・クルムロフに行くのかがわからない。英語がまったく通じない。バスを待っている人からなんとなく探り出したバスバ-スで待つ。

30分後、やっとバスがくる。バス料金は、ガイドブックより高い値段を取られる。どうも荷物の持ち込みの料金をとられたらしい。バスは満員であるが、乗っている人で観光客はほとんどいないように思える。地元の通勤客が家に帰るのに、利用されているようだ。車がまだ、個人であまり利用されていないのであろう。

満員のバスにゆられて40分ほどで、チェスキ-クルムロフに着く。バス停から、少し歩くと、中世の町並みが突然現れる。

クルムロフとは、ねじれた川の草地という意味だそうで、川沿いにまちが形成されているので地形の低い部分に建物が集積している。そのため、上から見下ろす角度でまちなみを見ることができる。

クルムロフ城が遠くに見え、手前にオレンジ色の屋根の建物が重なり合っている。新しい建物は、視界から全くみえない。インフォメ-ション・センタ-でホテルを紹介してもらう。朝食込みで1泊2000円である。こちらはとても物価が安い。

ホテルは町中にあり、古い住宅を改造したものらしい。中庭を囲んで三階建ての建物となっている。やや古いが中庭を通って奥の部屋に案内される。部屋もこじんまりとしているがそこそこきれいで、シャワ-等の設備をしっかりしている。

外に出て、レストランで食事をとる。ビ-ルが安くまた、うまい。さすがにチェコはビ-ル発祥の地である。


 1 街の構成

  
 ヘアピンカ-ブが連続するようなヴルタヴァ川沿いにまちができているので、川をはさんで3つのゾ-ンによるまちの構成となっている。
北のゾ-ンがクロムロフ城や教会を中心としたゾ-ンとなっており、クロムロフ城は一番高い位置にある。
 真中のゾ-ンは生活中心地区で、町のメインのアプロ-チともなっている。主に公共施設、ホテル、レストラン、店舗、住宅などで構成されている。このゾ-ンの中央に大きな広場がある。
南のゾ-ンは、川沿いの大きな公園とわずかな市街地がある。
 なぜ、曲がりくねった川すじにまちが出来たのであろうか。多分、川が軍事の際、敵の侵入を防ぐ自然の要塞となるからであろう。川をはさんで城がある都市はヨ-ロッパに多い。今回の旅行で訪れたザルツブルグ、プラハ、ブダペストが皆そうであった。 車はところどころで、駐車しているが、町に中でほとんど行き会うことはない。安心して、歩き回ることができる。多分、一定の時間だけ車の通行を行っているのであろう。


2 建造物と町並み景観 
建造物は、14世紀頃の形を基本としており、オレンジ色の屋根のある3階建の切妻のものが多い。ファサ-ドは様々な装飾がほどこされており、色やデザインも多様である。ルネッサンス風のものも多く残されている。建物は比較的きちんと修復されており、歴史的な町並みの壊すようなデザインの建物は見られない。町並みは、ベルギ-のブル-ジュのように、隅々まで磨かれた観光地という感じはしないが、素朴で田舎じみた所が別な魅力となっている。
地形に高低差があるので、道のところどころで町を俯瞰できる場所があるのが素晴らしい。城や教会の塔が町並みのアクセントになっている。


3 路地空間と広場

  曲がりくねった路地空間


  路地の正面に城の塔が見える
  道は、あまり広くなくまがりくねっているので見通しはきかない。地形が複雑なので高低差が多く、階段や坂道となっている道もあり、立体的な迷路のようだ。突然、道の正面にクロムロフ城を遠くに現れる場所が何ヶ所もある。これは、町の道の構成が城を望むように計算されたものだろうか。もしそうだとすれば、城から、敵がまちに侵入した場合発見しやすいようにしたのか、あるいは住民が城をまちの象徴として意識させるようにしたのかもしれない。

 
 スヴォルノスト広場とまちなみ

まちの中央にスヴォルノスト広場という大きな広場があり、広場に面して、町役場、教会等があり、まさに広場が生活の中心となっている。あちこちに小さな広場空間がある道の幅が広がって広場のようになったところもある


4 川沿いの景観
 曲がりくねった川沿いの景観は、まわりの建物と調和して美しい。川の景観を眺めるために、アウトドアの庭やデッキのあるレストランが多くある。このレストランの一つでコ-ヒ-を飲む。このまちではやや値段が高い。川沿いがベストポイントになっているのであろう。


5 クルムロフ城

このまちの圧巻はなんといっても、クロムロフ城である。クルムロフ城は40の建物と5つの中庭と幾何学的な庭園から構成されている。建物が複合された大規模な建築物は、東西に細長く、一つの町並み景観を形成している。連続する要塞のように見える建物と塔の構成の外観は美しい。夜はライトアップされており、光に照らされより塔の美しさを増す。階段で塔に昇ることができ、塔から見下ろすと、まちなみが一望される。まるで、お伽の国のような景色である。

   クルムロフ城の夜景

 塔の上から見たお伽の国のような町並み
 クルムロフ城の中は見学することができる。一つ一つの部屋は大きくまた、優美な装飾や壁画がほどこされており、町並みのように質素な印象は受けない。内部は主にルネッサンス様式となっている。
 付属する幾何学的な庭は、花などがあまり植えられておらず、ウィ-ンのシェ-ンブルン宮殿の庭と比べるとさびしい感じがする。


6 おわりに
 チェスキ-・クルムロフのまちのほとんどは、ホテルとレストランとみやげものの店である。つまり、町全体のほとんどの人が観光で生計をたてていると考えられる。それと引き換えに、人類にとって大切な世界遺産を守っているのである。こんな町は世界でも数多くある。小さな歴史都市の生き方の一つのありかたを示している。
 
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