今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

518 モントレー(米国)

2013-09-02 15:30:15 | 海外
米国西海岸をサンフランシスコから南へ200キロほど下ると、モントレー半島という小さな岬が太平洋に突き出ている。その北側の入り江がモントレー、南側がカーメルという街になる。いずれも高名なリゾート地だということで、1泊の小旅行を試みることにした。知らない土地でハイウエーをひた走ったのはいささか無謀だったと今にして思うけれど、大都会にはないアメリカの素顔が垣間見られ、密度の濃い小旅行になった。



モントレー(Monterey)のルーツは漁師町である。世界有数の漁場であった沖合から運ばれるイワシは、ここで缶詰に加工された。モントレーは一大アンチョビ産業地だったのだ。そういえば太平洋を挟んで対岸の銚子もイワシの港だ。イワシとはありがたい魚だ。余りに一般的な魚種で有り難みが薄いけれど、海の食物連鎖で重要な役割りを担うばかりでなく、われわれの食卓を潤し、産業を興すほど安定して人間に尽くしてくれる。



何で読んだかは思い出せないのだけれど、江戸から明治にかけ、日本の漁師たちは黒潮に乗ってサンフランシスコ沖まで漁に来ていたという。どの魚種を追ってか忘れたが、漁師にとってはさほど冒険ではなかったらしいということを読んで、彼らの生業のスケールの壮大さに驚いたことがある。このモントレー半島沖で、米国と日本の漁師たちが腕を競っていた時代があったことに思いを馳せると、まことに海は人と人を繋ぐ道である。



Cannery rowという通りに出た。「缶詰通り」というわけだ。周りを見渡すと、建物はリゾート地らしくおしゃれに装われているけれど、貨車や工場のボイラーなどがモニュメントとして残され、第2次大戦後しばらくまではここがイワシの街であった匂いも残している。そうした日々のことは、この町出身のジョン・スタインベックが小説に仕立てているらしい。そして通りに「Jone Quock Mui」の業績を記した案内板が建てられていた。



Quock Muiは中国・広東省の漁師の娘で、モントレー半島の小さな入り江で生まれた。日本でいえば幕末のころである。日本の漁師がやって来ていた漁場であるから、中国漁民が来ていても不思議はない。そもそもがコスモポリタンである漢人は、すでにこの地に漁村を営んでいたようだ。Quock Muiは5カ国語を自在に操ったといい、この地にやって来る漁民たちに大いに重宝されたのだろう、闊達聡明そうなおばあさんの写真も貼られていた。



Cannery rowの突き当たりが評判の水族館だった。大きな缶詰工場の建家を活用し、屋内型の水族館に作り替えたのだ。展示の方法や内容が充実していると、米国でも評判の水族館らしい。イワシの大群が群遊する巨大な水槽は、かつてのモントレーの豊かな海を再現しているのだろう。米国では夏休みシーズンに入っているので、館内は家族連れで大変な賑わいだった。そうした光景は万国共通で、異国に居ることを忘れそうになる。



モントレーまで、私たちはサンフランシスコ湾の東側に沿ったRoot101を南下して来た。湾は途中、サンノゼの街で終わる。シリコンバレーに近い大都会と湾は、琵琶湖と大津市の佇まいをうんと拡大したような風景だった。ハイウエーはいつか一般道に変わり、車線も減ってチェリー果樹園の看板が現れたりして、自動車大国・米国にも田舎道があることを教える。そして私たちは、17マイルロードの海岸線で夕日を眺めた。(2013.6.26)







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