サンフランシスコ湾は最長部が100キロ近くあって、琵琶湖を一回り大きくしたような姿をしている。北側はサンパブロ湾につながっているから、海水面全体は遥かに広大なのだが、わずかにゴールデンゲート海峡で外洋に接しているだけだから、まるで湖のような穏やかな風景が広がっている。湾を囲む地域はサンフランシスコ・ベイエリアと呼ばれ、東側のイーストベイは、サンフランシスコ市街と長大なベイ・ブリッジで結ばれている。
その橋を東に渡るとオークランド市で、その北にはバークレー市(Berkeley)、東側は私たちが滞在したオリンダ市になる。オークランドは湾岸に港や工場が立地するイーストベイの中心の街だが、治安の悪さで名高いらしい。これに対しバークレーは、西海岸屈指の名門大学・カリフォルニア大学バークレー校の街であり、オリンダは高級住宅地といったところだ。これらの街を繋ぐBartに乗ると、街の表情を垣間見ることができる。
UCバークレーは、10校あるカリフォルニア大学システムの旗艦校であり、リベラルな校風で知られている。なだらかな丘陵地に広がるキャンパスを案内してもらうと、ひときわ高い塔を中心に風格ある石造りの建物が点在し、米国というよりヨーロッパの古い街に迷い込んだような気分になった。しかし愛称の「Cal」をもじったポスターも貼られ、堅苦しさはない。米国学生運動の本家的歴史がそんな雰囲気を漂わせているのだろうか。
街は、大学を中心に形成されている印象だった。きれいに区画された通りはタイサンボクの並木が続き、白い大きな花の季節だったから、それが街をいっそう清楚に演出している。タイサンボクを街路樹に用いるなど、日本にはない発想ではないか。高層ビルがあるわけでもなく、ギャラリーなどおしゃれなショップが続くダウンタウンは、歩いていることが心地よい。そして親しみを感じる住宅地が続く、まことに暮らしよさそうな街である。
そしてこの街には、日本のガイドブックにも掲載されているレストラン「Chez Panisse」があって、その予約を1年前から待っているツアーもあるのだとか。私たちは「奇跡的に予約できた」ということで、ディナーに招待された。特段目立つ構えの店ではなく、店を始めた料理好きの女性が、地元の食材を極力自然のままに提供したことが評判となり、その調理法が「カリフォルニア料理」というカテゴリーを産み出したのだという。
確かに食事もワインもとびきりの美味しさだった。メインのステーキは、霜降りを好む日本人にはいささか物足りない赤肉だったけれど、サーモンのマリネとそら豆のサラダ、そして白ワインの薫りは絶品だった。この日はお世話になっているお宅の長男の誕生日祝いを兼ねていたのだが、彼の前にだけワイングラスがない。母親が「彼は今日から21歳なの」というと、店は慌ててグラスを用意した。米国の飲酒年齢は21歳からなのだった。
余談になるが、サンフランシスコ界隈を車で走っていて不思議だったのは、フランス車とイタリア車をまるで見かけないことだった。走っているのは米国車と、ひょっとするとそれより多い日本車、そしてドイツ車である。ごくわずかな韓国車も走っていたが、どうしたわけか仏車は全く見当たらなかった。バークレーに「Fiat」の看板を掲げるディーラーがあって、その近くで見かけたPandaが私が目にした唯一の伊車だった。(2013.6.23、27)
その橋を東に渡るとオークランド市で、その北にはバークレー市(Berkeley)、東側は私たちが滞在したオリンダ市になる。オークランドは湾岸に港や工場が立地するイーストベイの中心の街だが、治安の悪さで名高いらしい。これに対しバークレーは、西海岸屈指の名門大学・カリフォルニア大学バークレー校の街であり、オリンダは高級住宅地といったところだ。これらの街を繋ぐBartに乗ると、街の表情を垣間見ることができる。
UCバークレーは、10校あるカリフォルニア大学システムの旗艦校であり、リベラルな校風で知られている。なだらかな丘陵地に広がるキャンパスを案内してもらうと、ひときわ高い塔を中心に風格ある石造りの建物が点在し、米国というよりヨーロッパの古い街に迷い込んだような気分になった。しかし愛称の「Cal」をもじったポスターも貼られ、堅苦しさはない。米国学生運動の本家的歴史がそんな雰囲気を漂わせているのだろうか。
街は、大学を中心に形成されている印象だった。きれいに区画された通りはタイサンボクの並木が続き、白い大きな花の季節だったから、それが街をいっそう清楚に演出している。タイサンボクを街路樹に用いるなど、日本にはない発想ではないか。高層ビルがあるわけでもなく、ギャラリーなどおしゃれなショップが続くダウンタウンは、歩いていることが心地よい。そして親しみを感じる住宅地が続く、まことに暮らしよさそうな街である。
そしてこの街には、日本のガイドブックにも掲載されているレストラン「Chez Panisse」があって、その予約を1年前から待っているツアーもあるのだとか。私たちは「奇跡的に予約できた」ということで、ディナーに招待された。特段目立つ構えの店ではなく、店を始めた料理好きの女性が、地元の食材を極力自然のままに提供したことが評判となり、その調理法が「カリフォルニア料理」というカテゴリーを産み出したのだという。
確かに食事もワインもとびきりの美味しさだった。メインのステーキは、霜降りを好む日本人にはいささか物足りない赤肉だったけれど、サーモンのマリネとそら豆のサラダ、そして白ワインの薫りは絶品だった。この日はお世話になっているお宅の長男の誕生日祝いを兼ねていたのだが、彼の前にだけワイングラスがない。母親が「彼は今日から21歳なの」というと、店は慌ててグラスを用意した。米国の飲酒年齢は21歳からなのだった。
余談になるが、サンフランシスコ界隈を車で走っていて不思議だったのは、フランス車とイタリア車をまるで見かけないことだった。走っているのは米国車と、ひょっとするとそれより多い日本車、そしてドイツ車である。ごくわずかな韓国車も走っていたが、どうしたわけか仏車は全く見当たらなかった。バークレーに「Fiat」の看板を掲げるディーラーがあって、その近くで見かけたPandaが私が目にした唯一の伊車だった。(2013.6.23、27)
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