今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

519 カーメル(米国)

2013-09-03 08:31:56 | 海外
カーメル(Carmel-by-the-Sea)はモントレーの保養地的雰囲気をいっそう濃くしたような街だった。詩人やアーティストらが移り住んで来て、その感性にふさわしい(だから世のなか的には風変わりな)街を創ったらしい。俳優のクリント・イーストウッドが町長に選出されたことは日本でも話題になったけれど、この街では特に変わった出来事ではなかったようだ。そんな街で最も強い印象を受けた風景は、霧の中から現れた灯台だった。



私たちは街の自慢の白いビーチに近いB&Bに宿泊した。地元ではモントレー糸杉と呼ぶらしいが、おそらくビャクシンであろう巨木が木蔭を作る住宅地にあって、鎌倉か湘南に居る気分になる。海岸が似た雰囲気を作っているのだろうが、ビャクシンの林は、伊豆半島の付け根、沼津の大瀬崎そっくりの景観である。モントレー半島の別荘地の森は壮観で、太平洋から湧きあがる霧が、いかにその生育に必要か、といった解説もあった。



カーメルでの半日をどう過ごそうかと地図を見ていて、街の南方に「灯台」とあるのを見つけた。日本でも灯台を眺めるのが好きな私は、そこを目指してくれるよう、同行の彼女に頼んだ。私は運転のための国際ライセンスがないのだ。ところが岬をいくつも回り込んだのに、灯台は見当たらない。荒涼とした原野に長いフェンスが続く辺りで途方に暮れていると、海に立ち籠めていた霧が風に流され、うっすらと島影を浮かび上がらせた。



島の上に何やら建造物らしきものが見えて来て、やがてそれが灯台であると分かるほどに霧が晴れた。フェンスに「Point Sur Lightstation」と看板があって、週3回、ツアーで見学できるようなことが書いてある。帰国して調べてみると、Point Surは西海岸の海の難所で、ゴールドラッシュ華やかなりし19世紀、サンフランシスコを行き来する船の多くが難破したのだそうだ。そこで難工事の末に建設されたのがこの灯台だということだ。



思いがけず、米国建国当時の遺産に触れることになったけれど、カーメルの街は、その後のアメリカの繁栄をそのまま映し出しているように感じたものだ。なかでもペブルビーチの有料道路を走りながら、ゴルフコース沿いに点在する御殿のような別荘を眺めていると、この国の底なしの富を見せつけられているような嫌な思いに襲われた。何もこれほどまで豪華な居住環境を作らなくてもいいではないか、という貧しき者の思いである。



私にはどこか「偏った富は同じだけの貧しさを生んでいる」という観念がある。努力して財を成すことは悪いことではないけれど、しかし度を超して富を私することは、そのぶん社会に歪みを引き起こしていると考えるのだ。カーメルは、街の規模にしては異様に美術ギャラリーが多い。そしてそこにある作品の多くは、いかにも物欲しげな嫌らしさがあると私は感じた。別荘族の需要が、アーティストの堕落を招いているのではないか。



ただペブルビーチのゴルフコースには恐れ入った。夕暮れとあって人影がないことを幸いに、コース内に少し立ち入ってみた。ビロードのような芝のグリーンと、ウエッジが絡めとられてしまいそうなきめ細かな白い砂のバンカーが、何とも贅沢で美しい。そういえば全米オープンだったか、このコースで開催されたメジャー大会をテレビ観戦したことがあった。実に久しぶりに、コースに出たいという衝動が湧いて来た。(2013.6.26-27)









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