今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

509 鶴見(神奈川県)読経と工場の音交差して

2013-04-22 13:47:56 | 埼玉・神奈川
古い友人と久しぶりに会うことになった。彼は鶴見の住人なので、私が鶴見に出向くことにした。横浜には縁が濃いくせに、鶴見という街は通過するだけで立ち寄ったことがない。いい機会だから落ち合う前に街歩きをしてみようと考えたのだ。彼は「何にもない街だぞ」と言ったけれど、確かに思いのほか地味な街だった。それでも総持寺の広い境内を散歩したり、レトロな電車に乗って工場街を眺めていると、飽きることはなかった。



市街地を鶴見川が蛇行して流れ、京浜運河に注いでいる。だが街をもっとはっきり分断しているのは線路だ。JRの東海道本線や京浜東北線の電車がひっきりなしに行き来する鉄路は、鶴見駅近くの跨線橋から数えてみると9本もあった。大きな川が流れているようなもので、「向こう岸」に行くには跨線橋を渡るしかない。そして線路の東と西で、表情が全く違うのもこの街の特色かもしれない。西が山手、東が下町の風情なのだ。



駅の西口を出るとささやかな商店街があって、すぐに登り坂になる。横浜らしいなだらかな丘陵地に向かうことになるのだが、閑静な坂の町に広大な敷地を占めているのが総持寺だ。曹洞宗大本山・総持寺は、能登の門前町からこの地に移って102年になる。明治44年の鶴見がどのような街であったか想像できないけれど、すでに東海道線が開通して横浜港にも近い鶴見に、15万坪もの土地を確保した宗派の先見性に感心させられる。



曹洞宗では永平寺を開山した道元禅師を「高祖」、総持寺を開いた螢山禅師を「太祖」と仰ぎ、この二人を「両祖」と呼ぶのだそうだ。私の理解では、道元が体系化した教義を螢山が庶民にまで布教した、ということになる。およそ最強のタッグである。私はこれで永平寺、総持寺祖院、そして鶴見の総持寺を訪ねたことになるが、曹洞宗はことのほか個人の修行に集中する宗派なのだろう、境内は余計な飾りが少なく、いかにも清々しい。



鶴見駅に戻り、鶴見線に乗車してみる。高架ホームを出発した2輛電車は大きく左へカーブして、東海道本線など大河のような線路列を越えて行く。京浜工業地帯の真っただ中を進んでいるのだろう、大きな工場が次々現れる。昼近くの車内は本社から工場へ打ち合わせに向かうのか、スーツ姿のサラリーマンが停車するたびに少しずつ降りて行く。『千と千尋』の水上を進む列車にいる気分になる。20分ほどして終着の海芝浦駅に着く。



ホームの前は直接、京浜運河が広がっていて、大きなコンテナ船がゆっくり過ぎて行く。改札を通過しようとしたら、そこは「東芝京浜事業所」の連絡口で、社員証がないと入れない。ホームの先が小さな緑地になっていて「ようこそ海芝公園」と書いてあるものの、出口はない。つまり「外に出られない駅」なのだった。重化学工業・ニッポンを繋ぐ通勤電車というわけだ。東京方向に扇島の溶鉱炉が、反対側には横浜港が遠望された。



東では工場の機械音が響き、西からは僧侶たちの読経が流れて来る。地勢も佇まいも行く人の顔つきまで、線路を挟んで異なる街だった。言い換えれば、生産と思索という人間の活動の根源を、併せ持っている街だともいえる。総持寺境内の小高い山の上に、大きな観音像が建っていた。「以前は本堂の前に置かれていたのだが、東日本大震災後、丘の上から被災地を見守る位置に遷された」と、鶴見暮らしが長くなった友人が教えてくれた。(2013.4.12)












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