今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1043 豊田(愛知県)街づくり古い挙母(衣)は脱ぎ捨てて

2022-07-17 09:21:42 | 岐阜・愛知・三重
私は「挙母」という字面に微かな記憶がある。しかし読むことができない。1959年に「豊田市」と改称するまで、そこは「挙母市」と言った。わずか8年間の短命な市名だったのだが、雪国の地図好きの小学6年生だった私は、街の名を変えるという大胆さに興味が湧いて、遠国の新旧市名を覚え込んだのだと思われる。だがそのまま「記憶の引き出し」に仕舞い込んだものだから、未だに豊田市の位置がはっきりしない。63年を経て出向くとする。



「挙母」は「ころも」と読む。つまり「衣」だ。古事記の垂仁天皇記に、皇子たちを列記する中に「許呂母之別」「三川之衣君」という記述が登場する。これらが「参河国賀茂郡挙母」のことだという。実に古い地名であり、今も豊田市内には挙母城址が残り、挙母神社の鎮座地は挙母町という。市名の変更は「挙母は読めない」が最も大きな理由だったらしい。成長著しいトヨタ自動車の創業者名を市名にするという発想は、激しい論争を招いたようだ。



自動車産業は裾野が広く、関連の仕事に就く市民の比率がよほど高いのだろう、トヨタの本社地は「豊田市トヨタ町」に変更された。おそらくトヨタ自身が積極的に望んだことではあるまい。デトロイトでもシュツットガルトでも、GMやベンツのエンブレムが街を睥睨しているけれど、豊田の繁華街でトヨタのマークを見かけることはなかった。もっとも街の名前以上のプレゼンスはないだろうが、遠い時代を偲ばせる「挙母」が惜しい気もする。



多くの自治体が「人口ビジョン」といったものを策定している。豊田市の令和2年改訂版は「西三河地域は国内随一の製造業の拠点であり、日本の活力(経済)を支えている地域である。その中でも本市は、自動車産業の集積を基に全国から20歳代の若者を集め、30歳前後の家族形成期の世代を中心に近隣市町村へ供給する、いわばポンプのような役割を果たしている」と、自信に満ちた記述に溢れている。ここまで書ける自治体はそうないだろう。



自治体の豊かさを測る指標の一つに「財政力指数」がある。豊田市は毎年度1.4前後で推移しており、全国62の中核市でトップを続けている。およそ自治体の財政余力は、美術館や博物館・資料館など独自運営の文化施設を訪ねると、その雰囲気からある程度は感じ取れるもので、私は豊田市の豊かさを市美術館で実感した。著名な建築家によるシンプルモダンな外観で、挙母城跡の高台を広々と占めるスケールは「市立」のイメージを超えている。



展示室の回遊はスムーズで、時折り見晴らせる豊田の街並みが眼を休めてくれる。ただ運営に、金沢21世紀美術館のようなパワーは感じられず、収蔵品展示室を見ても美術館として目指すところがよくわからない。「市立」である以上、ローカルな活動も忘れないでほしいものだ。「くるまの街」だから、私のように徒歩で訪れる鑑賞者は珍しいのだろうが、長い坂を登るアプローチは苦行だった。佇まいが贅沢なだけに、わがままを言いたくなる。



私はなぜか、豊田を三河湾に面していると思い込んでいたのだが、街は西三河内陸部の、矢作川に沿っているのだった。40年近く人口増が続いた豊田市だが、このところ頭打ちになったのかもしれない。それでも42万人近くが暮らす大きな街で、名鉄豊田市駅と愛知環状鉄道新豊田駅の界隈が賑わいの中心らしい。二つの駅に挟まれてツインタワーのショッピングビルがそびえ、屋上ビアガーデンは働き盛りの市民で溢れている。(2022.7.8-9)





















コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1042 岡崎(愛知県)竹千代... | トップ | 1044 猿投(愛知県)古き窯... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

岐阜・愛知・三重」カテゴリの最新記事