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東国者の私がこの街の名を耳にするのは、年に一度「航空祭が賑わっています」というニュースが流れる時くらいだ。だがそのおかげでこの珍しい街の名を、知らず識らず覚えたようである。とはいえ「かがみはら」だと思い込んでいた読み方は、正しくは「かかみがはら」なのだとは知らなかった。岐阜から名鉄犬山線に乗り、市役所前で降りて歩く。新築間もない様子の市役所に立ち寄ると、ロビーの隅に展示された小さな立像に「村国男依」とある。
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「むらくにのおより」の名に出会い、「そうか、ここが男依の故地だったか」と、日本古代史研究家を自称する身の迂闊さを恥じた。大海人皇子に仕える男依は、吉野で挙兵した大海人一行に先じ、美濃で近江の大友軍を阻み、東国の豪族を大海人側につかせることに功を挙げた。壬申の乱(672年)である。「美濃を制する者は天下を制す」とは、信長ではなく男依の勲功こそ相応しい言い回しである。男依は市北部の村国神社に祀られているそうだ。
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各務原市は木曽川を挟んで愛知県に接する岐阜県最南の街で、岐阜市に隣接する。四つの町が合併して市制を敷いて60年の若い街だが、岐阜や名古屋への通勤が可能なのだろう、人口は増え続け、今では岐阜市、大垣市に次ぐ県内3位の145000人が暮らしている。市域中央に航空自衛隊岐阜基地があって、戦闘機が上空を飛び回るのはいささかうるさいけれど、川崎重工など航空関連企業の製造拠点が集積し、財政力は県内トップの豊かさだ。
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旧中山道が東西に市域を貫き、鵜沼宿は大いに賑わったというから、新しい市名を考える際に「鵜沼市」なども候補に上がったかもしれない。しかし市民は古く「各務郡」が置かれた男依の故事から、明治半ばまで続いた郡名に思いを馳せたのだろう、そして平安時代の史書に「各務」に「加々美」の訓みが添えられていることから、それに従って「かかみ」と読むとしたのだろう。それにしても「カカミ」とは何か。「鏡」に関わる説があるけれど謎らしい。
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知らない街を訪ねることを老後の楽しみにしていると、暗く無愛想な建造物が通り相場だった役場が、明るく市民本位の建物に変わってきていることに気づく。旧中山道と飛行場通りの交差点に建ち、1ヶ月前に全面オープンしたばかりの各務原市役所新庁舎も、「連子格子の家並みが続く宿場町をイメージした」というそんな新しい役所だ。整然と並ぶ市民窓口は明るくて利用し易そうだし、「まちづくり推進課」からは市民の声が賑やかに響く。
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ロビーの「誰でもピアノ」で女性が奏でる、優しいメロディーを聴きながら庁内散歩をしていると、新庁舎建設事業を詳しく情報公開しているパネルを見かける。それによると「総事業費97億4千万円は、市債を一切発行せずに調達できた」とある。13億円近い防衛省の補助金を得られたことは基地がある特殊性だとしても、「借金せずに新庁舎を建設した自治体は少ない」と健全財政に控えめに触れているのは、もっと誇ってもいいくらいだ。
駅前のビルから犬山方面を望むと、江戸時代までは稲作不適の原野だったという「各務野」が広がっている。承久の乱では激戦の地になり、やがて天下取りを目指す信長が一帯の城を攻め落としていった野である。1917年には所沢に次ぐ国内2番目の飛行場が造成され、今では街並みがそれを囲む。街へのゲートウエイだという不思議なモニュメントが立つ。市と多摩美術大学の共同事業で、馬かと思ったら2頭の犬なのだという。(2023.12.20)
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「むらくにのおより」の名に出会い、「そうか、ここが男依の故地だったか」と、日本古代史研究家を自称する身の迂闊さを恥じた。大海人皇子に仕える男依は、吉野で挙兵した大海人一行に先じ、美濃で近江の大友軍を阻み、東国の豪族を大海人側につかせることに功を挙げた。壬申の乱(672年)である。「美濃を制する者は天下を制す」とは、信長ではなく男依の勲功こそ相応しい言い回しである。男依は市北部の村国神社に祀られているそうだ。
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各務原市は木曽川を挟んで愛知県に接する岐阜県最南の街で、岐阜市に隣接する。四つの町が合併して市制を敷いて60年の若い街だが、岐阜や名古屋への通勤が可能なのだろう、人口は増え続け、今では岐阜市、大垣市に次ぐ県内3位の145000人が暮らしている。市域中央に航空自衛隊岐阜基地があって、戦闘機が上空を飛び回るのはいささかうるさいけれど、川崎重工など航空関連企業の製造拠点が集積し、財政力は県内トップの豊かさだ。
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旧中山道が東西に市域を貫き、鵜沼宿は大いに賑わったというから、新しい市名を考える際に「鵜沼市」なども候補に上がったかもしれない。しかし市民は古く「各務郡」が置かれた男依の故事から、明治半ばまで続いた郡名に思いを馳せたのだろう、そして平安時代の史書に「各務」に「加々美」の訓みが添えられていることから、それに従って「かかみ」と読むとしたのだろう。それにしても「カカミ」とは何か。「鏡」に関わる説があるけれど謎らしい。
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知らない街を訪ねることを老後の楽しみにしていると、暗く無愛想な建造物が通り相場だった役場が、明るく市民本位の建物に変わってきていることに気づく。旧中山道と飛行場通りの交差点に建ち、1ヶ月前に全面オープンしたばかりの各務原市役所新庁舎も、「連子格子の家並みが続く宿場町をイメージした」というそんな新しい役所だ。整然と並ぶ市民窓口は明るくて利用し易そうだし、「まちづくり推進課」からは市民の声が賑やかに響く。
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ロビーの「誰でもピアノ」で女性が奏でる、優しいメロディーを聴きながら庁内散歩をしていると、新庁舎建設事業を詳しく情報公開しているパネルを見かける。それによると「総事業費97億4千万円は、市債を一切発行せずに調達できた」とある。13億円近い防衛省の補助金を得られたことは基地がある特殊性だとしても、「借金せずに新庁舎を建設した自治体は少ない」と健全財政に控えめに触れているのは、もっと誇ってもいいくらいだ。
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駅前のビルから犬山方面を望むと、江戸時代までは稲作不適の原野だったという「各務野」が広がっている。承久の乱では激戦の地になり、やがて天下取りを目指す信長が一帯の城を攻め落としていった野である。1917年には所沢に次ぐ国内2番目の飛行場が造成され、今では街並みがそれを囲む。街へのゲートウエイだという不思議なモニュメントが立つ。市と多摩美術大学の共同事業で、馬かと思ったら2頭の犬なのだという。(2023.12.20)
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