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浜通り最北に近い相馬駅に降りたときは、雨雲はまだかろうじて滴の落下を堪えていた。しかし相馬中村城跡の妙見中村神社にたどり着いた時には、重要文化財の社殿を覆い隠すかのように大粒のシャワーが降り注いできた。華奢な傘はほとんど役に立たず、慌てて着込んだパーカーはみるみる水浸しである。ズボンも膝から下はぐっしょり濡れ、靴はとっくに水溜り状態だ。これではコロナウィルスも近づけないだろうと、せめて自分を慰める。
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浜通り北部は相馬郡と双葉郡から成る相双地域と言うらしい。鎌倉幕府開府以前から明治維新まで、29代740年にわたって相馬氏が統治した地である。気が遠くなるような「一所懸命」の地域支配だが、一族のルーツは平将門にあるというのだから、列島の表通りから外れた浜街道筋で、ひっそり生き延びた日本の中世なのかもしれない。行程上、この地で1泊したい私は、相馬市か南相馬市のどちらが地域の中心で、どちらに泊まるか迷った。
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私の脳内地図はほとんど小学生時代の記憶に基づいている。つまり65年ほど前の日本である。相馬市はちょうどそのころ、中村町が周辺の町村と合併して誕生した街だという。だが小学校の社会科で与えられた大雑把な地図帳には、この海岸線には「原町」しか表記されていなかったはずだ。今回、そこを探すのだが一向に見つからない。「原ノ町」という駅のあたりがかつての原町市で、近年、合併して南相馬市になったのだと、ようやく知る。
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城跡があるのだから中心地は相馬市だろうと選択したのだが、そこで聞いた人はいずれも「そうですねぇ、中心は原町でしょうか。人口も多いし、野馬追もねぇ」と隣町を立てるのである。人口は相馬市が34000人、南相馬市が52400人と、確かに南相馬市の方が多い。だがポイントは「野馬追」にあるようで、総大将出陣式こそ相馬中村神社で行われるものの、500騎が神旗を奪い合う祭りのハイライトは、南相馬の「雲雀ヶ原」が会場だ。
(桑原万里子「相馬馬追い祭り」相馬市立図書館にて)
毎年7月下旬に開催される「相馬野馬追」は、神事にして地域最大の祭りである。相馬は街の名だけでなく、大通りの名も伝統工芸・相馬焼の絵柄も「馬」だらけだ。実際に地域で飼育されている野馬追馬は数百頭に上るという。夕食を摂った寿司屋の若主人は、自らも参加有資格者であることが誇りらしく、寿司を握るより熱心に野馬追の由緒を語った。馬の飼育も武具の調達も全て個人持ちだといい、その費用はなかなかの負担であるらしい。
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この街は、中世からそのまま封建時代を生きているのかもしれない。街にはやたらと二宮尊徳像や「報徳訓」碑が目立ち、小学校の門柱には「以至誠報公」「以推譲安民」などと彫られている。江戸後期の藩主が導入した尊徳の「仕法」が、いかに民を救い愛郷を建設したかを訴えているのである。いまどき、柴を背負って書を読む金次郎像が現役である街に、甚だ違和感を覚えたのだけれど、下校途中の高校生に「こんにちは」と挨拶され、感心もした。
浜通りでは旨い魚を食べたいと思っていた。それで寿司屋に入り、勢い込んで「地の物が食べたい」と注文したのだが、親父は不機嫌そうに「ない」と言う。「大きな漁港があるのに、なぜ」と食い下がるのだが、親父は「ない」と言い張る。未だ試験操業のモニタリング下にあり、流通していないのだという。福島の漁業が放射能汚染で苦しんでいることはニュースで知っているはずなのに、軽々と忘れる他所者のお気軽さが恥ずかしい。(2021.6.24-25)
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浜通り北部は相馬郡と双葉郡から成る相双地域と言うらしい。鎌倉幕府開府以前から明治維新まで、29代740年にわたって相馬氏が統治した地である。気が遠くなるような「一所懸命」の地域支配だが、一族のルーツは平将門にあるというのだから、列島の表通りから外れた浜街道筋で、ひっそり生き延びた日本の中世なのかもしれない。行程上、この地で1泊したい私は、相馬市か南相馬市のどちらが地域の中心で、どちらに泊まるか迷った。
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私の脳内地図はほとんど小学生時代の記憶に基づいている。つまり65年ほど前の日本である。相馬市はちょうどそのころ、中村町が周辺の町村と合併して誕生した街だという。だが小学校の社会科で与えられた大雑把な地図帳には、この海岸線には「原町」しか表記されていなかったはずだ。今回、そこを探すのだが一向に見つからない。「原ノ町」という駅のあたりがかつての原町市で、近年、合併して南相馬市になったのだと、ようやく知る。
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城跡があるのだから中心地は相馬市だろうと選択したのだが、そこで聞いた人はいずれも「そうですねぇ、中心は原町でしょうか。人口も多いし、野馬追もねぇ」と隣町を立てるのである。人口は相馬市が34000人、南相馬市が52400人と、確かに南相馬市の方が多い。だがポイントは「野馬追」にあるようで、総大将出陣式こそ相馬中村神社で行われるものの、500騎が神旗を奪い合う祭りのハイライトは、南相馬の「雲雀ヶ原」が会場だ。
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毎年7月下旬に開催される「相馬野馬追」は、神事にして地域最大の祭りである。相馬は街の名だけでなく、大通りの名も伝統工芸・相馬焼の絵柄も「馬」だらけだ。実際に地域で飼育されている野馬追馬は数百頭に上るという。夕食を摂った寿司屋の若主人は、自らも参加有資格者であることが誇りらしく、寿司を握るより熱心に野馬追の由緒を語った。馬の飼育も武具の調達も全て個人持ちだといい、その費用はなかなかの負担であるらしい。
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この街は、中世からそのまま封建時代を生きているのかもしれない。街にはやたらと二宮尊徳像や「報徳訓」碑が目立ち、小学校の門柱には「以至誠報公」「以推譲安民」などと彫られている。江戸後期の藩主が導入した尊徳の「仕法」が、いかに民を救い愛郷を建設したかを訴えているのである。いまどき、柴を背負って書を読む金次郎像が現役である街に、甚だ違和感を覚えたのだけれど、下校途中の高校生に「こんにちは」と挨拶され、感心もした。
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浜通りでは旨い魚を食べたいと思っていた。それで寿司屋に入り、勢い込んで「地の物が食べたい」と注文したのだが、親父は不機嫌そうに「ない」と言う。「大きな漁港があるのに、なぜ」と食い下がるのだが、親父は「ない」と言い張る。未だ試験操業のモニタリング下にあり、流通していないのだという。福島の漁業が放射能汚染で苦しんでいることはニュースで知っているはずなのに、軽々と忘れる他所者のお気軽さが恥ずかしい。(2021.6.24-25)
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