今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1039 魚津(富山県)浪漫と神秘に幻影米騒動

2022-06-11 09:55:17 | 富山・石川・福井

富山湾は「世界で最も美しい湾クラブ」のメンバーなのだそうだ。水深の深さと魚種の豊富さ、それに蜃気楼が発生することが選定の決め手だったらしい。湾は神通川が流れ込む富山市を中心に東と西に分けられそうで、東側へは滑川、魚津、黒部と似たような規模の街が続く。今回は「米騒動発祥の地」に興味があって魚津へ行ってみる。駅には「蜃気楼の幻影」「ホタルイカの神秘」「埋没林の浪漫」と、「魚津の三大奇観」のポスターが掲げられている。

着いたのが夕刻だったので、この日はまず「ホタルイカの神秘」を味わうことにする。産地なのにボイルしてあるのは、ホタルイカには寄生虫の危険があるかららしい。まあ神秘的というほどではないにしても、ホタルイカは美味い。翌朝、駅東側を歩いてみる。区画整理された街路が広がり、残雪が残る北アルプスが遠望される。山頂から海底まで3400メートル超の落差と、25キロしかない陸地の急傾斜が、この地に特異な「水の循環」をもたらす。

「浪漫」もこの水の循環のおかげである。2000年前に海に没した杉の樹根が腐りもせずに発掘されて、縄文の手触りを実感できるのは、この「水」が海水の塩分から根を守ってくれたからだ。そして大気の密度が光の屈折に影響し、実際とは違う風景を出現させる蜃気楼も、海面の温度に作用する水の循環が作る「幻影」なのだ。そんなことを魚津港近くの埋没林博物館で学ぶ。魚津はこの循環が一つの街で完結する、世界でも稀な地形だという。

「奇観」の謎を学んでいっぱいになった頭を、市中巡回の市民バスに揺られて「米騒動」の地に行く。大町海岸に残る木造の倉庫がそれだ。米商人が買い付けた俵を管理する当時の地元銀行の倉庫である。1918年7月、米価高騰に苦しむ主婦ら数十人が倉庫前に集まり、米の積み出しをやめるよう要求した。訴えに理があったのだろう、銀行は搬出を停止する。これが「女一揆」として全国に伝えられ、騒動が広まって内閣が総辞職する事態になった。

最近の研究では、水橋町(現富山市)の方が早かったとも言われるけれど、魚津の「発祥の地」は、海岸の「しんきろうロード」脇に歴史の証人として整備されている。「富山には江戸時代から、米価高騰の折には藩が助ける実績があった」という魚津市教育委員会の説明もある。魚津の主婦たちは決して暴力的ではなく、こうした伝統に則って願いを訴えただけなのかもしれない。それが全国的な騒動になったのは、政府の無策と言うしかない。

騒動の地から魚津城跡を通り、電鉄魚津駅まで歩く。裁判所の支部や県の総合庁舎もあって、「大町」というように魚津の中心街と思われるのだが、あまりの疲弊ぶりに次第に気分が沈む。私は「魚津大火」を微かに記憶している。1956年だから私は10歳。新潟大火の翌年だったので、火災の恐怖に敏感だったのだろう。1583戸が消失し、7219人が罹災した大惨事だ。復興したものの今は寂れが止まらない。街の中心は駅東に移ったのだろう。

また市民バスの客になって魚津駅に戻る。途中、防波堤の近くで大勢がカメラを構え、双眼鏡を覗いている。狙いはいつ現れるかわからない蜃気楼だ。今日のように少しぼんやりした天候の日が現れやすいのだとか。平日の日中だから、ほとんどがお爺さんだ。朝から待っているのか、疲れて座り込んでいる爺さんもいる。街には蜃気楼写真コンテストがあって市長賞も出るらしい。人口4万人の街で、蜃気楼という「幻影」追跡が続く。(2022.5.19-20)

 

 

 

 

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