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昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

812 竹橋(東京都)梅の香に「猫」もうたた寝竹の橋

2018-02-28 15:29:50 | 東京(区部)
竹橋に猫を観に行く。ここでいう「竹橋」は、地名でも町名でもない。皇居北の丸と一ツ橋1丁目とを分かつ濠に架かる橋の名である。地下鉄東西線の駅名にも採られているから、東京でタケバシといえば大方の都民は見当がつく。わざわざ観に行った「猫」は、眠っていた。東京国立近代美術館で開催中の「熊谷守一展」の猫である。ほぼ開館時刻に到着したから空いているだろうという思惑は、見事に外れた。すでに長い列ができている。



私もその一人なのだが、この風変わりな画家のファンは実に多いということであろう。晩年の、猫や庭に集う小さな生き物を描いた独特のタッチは、池袋近くの小さな自宅敷地から、ほとんど出ることなく暮らしたその生き方によって、いっそう仙人めいた彩りが加えられる。彩りを加えるのは鑑賞者の勝手な思い込みで、白い顎鬚の似合うご本人は、そんな世俗の人気など全くお構いなかったのだろう。そこがまた俗人を惹きつける。



没後40年展ということで、東京美術学校に入学する前後から最晩年までの、その画業全般が紹介されている。これが同じ画家の作品かと信じられないような、作風を大きく変える作家がいるものだが、この仙人などその最たる一人であろう。画学生のころの生真面目な習作は、アカデミズムそのものであることは当然としても、70歳を過ぎたころからの対象の抽象化は、絵画の常識(そんなものがあるとすればだが)を突き抜けている。



中年に差し掛かるころ、盛んに西洋の画風研究に耽ったらしい。その影響の痕跡を眺めながら、この画家はゴーギャンが最も好きで、その作風を自らの作品へと昇華させたのだと確信した。その理由の第一は対象の単純化であり、茶、緑を多用する色の使い方である。特にオレンジ色の効果だ。そして猫だけでなく、アリもハエもガマガエルも、単純な線で表されているのに、徹底した観察により見る側はその息遣いや微かな動きを感じる。



引き込まれる1枚があった。画面中央に青々と葉を繁らせる大樹が1本描かれ、葉の繁りは簡単な曲線で表されている。私は初めて観る作品で、タイトルは何とあったか、よく紹介される代表作群からは外れていて、ネットなどで探すのだが見当たらない。惜しむらくは「守一オレンジ」がどこにも使われていないことだ。背景の一部にオレンジ色を加えていてくれたら代表作入り間違いなしだと、いささか不遜ながら思ったものだ。

(猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」)

この美術館は、館蔵品の常設展示は写真撮影自由という大らかさがいい。今回は猪熊弦一郎の戦争画「泰緬鉄道」が、南方森林の湿潤な空気を見事に描いていると感心させられたので、私の写真コレクションに加える。この画家も、戦後、作風を大きく変換させた一人だ。そしてその画業の中間には、セザンヌやピカソらを貪欲に学んだ作品を残している。みんなそうやって「自分の芸術」を確立させるものなのだと、今更ながら得心する。



地下鉄竹橋駅は、橋の東詰めに建つ新聞社のビルに通じていて、皇居を廻る内堀通りはここから長い上り坂になる。この日は皇居マラソンが行われていて、道路の濠側は多くのランナーが、反対側は、地下鉄を降りて展覧会に向かう美術ファンの列が続く。まことに平和な風景である。関東大震災の日、ここを歩いて逃げた井伏鱒二は、濠に浮かぶ多くの死者を目にしたと書いている。今日、北の丸公園は梅が咲き誇っている。(2018.2.24)



(萬鉄五郎「裸体美人」)


(長谷川利行「タンク街道」)


(関根正二「三星」)








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