今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

711 有松(愛知県)絞り上げ魔法のごとく染め上げる

2016-07-14 21:05:20 | 岐阜・愛知・三重
かつて桶狭間の古戦場を見物した折りに「有松」を案内していただいたことがある。街並みを見物しながら「絞り」の技法に接してみるのも一興です、ということだった。浴衣や暖簾など、製品としての「絞り染め」はもちろん知っているつもりだったから、何が一興かと思わないでもなかったけれど、実際に目にしたその工程は、唖然とさせられるほど手の込んだ緻密さだった。一興どころか、一驚させられたのである。



私より、織り染めに強い関心を持っている家内に、あの驚きを味わってもらいたいと、美濃から尾張へ南下して来た。有松は名古屋市南部になるけれど、多治見から1時間とかからない。こうした時に、高速道路網の整備の進展を実感する。国の借金の深刻さを思うと公共工事に投入される巨費に疑問が湧いてこないわけではないが、経済発展を果たした日本には、高速道や新幹線がもっと張り巡らされてもいいように思う。



自動車や高速道路といった目まぐるしいものがなかった江戸時代、弥次郎兵衛と北八が東海道を上ってきた。有松宿に着くと、道の両側に並ぶ店から声がかかる。「おはいり、おはいり、名物有松絞りお買いなされ」とうるさいほど。北八はやかましいやつらだと思いながらも絞り染めの魅力に惹かれ「おい弥次さん、浴衣でも買わねえか」と声をかける。ここから二人は、将棋に夢中の店主との珍妙な価格交渉を始める。



19世紀初頭、有松は絞りの名産地としてすっかり名が通り、十返舎一九は『東海道中膝栗毛』で「いろいろな染物を家ごとに吊るして飾り立て商っている」と描写している。しかしわずかその200年前は、人家はなく追い剥ぎが出没する街道の難所だった。尾張藩が免税特権をつけて移住者を募り、東海道に「間の宿」を新設したのだ。そして智慧者が豊後の絞り技法に目をつけ、地元産の手拭いを染めてヒットさせる。



といった宿の歩みを「有松・鳴海絞会館」で学ぶ。団体客の絞り体験教室の隣で、伝統技術者のおばさんが絞りの実演を見せてくれる。木綿糸を布に絡げては指で弾き、瞬く間に硬い絞りを作って行く。奥の展示室には江戸時代以来の伝統技法が展示してある。「ひしゃき縫い絞り」「蜘蛛入り柳絞り」と珍妙な呼び名が並ぶが、その絞られてロープのようになった布が、どうしてこんな見事な文様に染め上がるのか不可解だ。



人間は、なぜこれほどに衣を飾ることに執念を燃やすのだろうか。わずか1着の着物地を染めるのに、いったい何個の絞りを括っているのか。それは奄美大島で見た大島紬を思い起こさせる。大島紬には「締機(しめばた)」という工程がある。図案に従って絹糸を木綿糸で締め付け、その部分の絹が染まらないようにする技法だ。糸の段階で行う絞り染めとも言え、緻密な絣柄を実現するためのその手数たるや、目が眩む。



またしても絞りの手仕事に驚嘆させられて絞会館を出る。旧東海道の陽光で現実世界に戻されると、古い家並みの写生会にやってきたグループが、思い思いの位置に腰を落ち着けスケッチしている。有松は豪商の屋敷や蔵がよく残り、絵心がくすぐられるのだろう。風景を写す人も、伝統の絞りに挑戦する人も、圧倒的に女性が多い。楽しみを見つけ、時間を有効に活用するのは男より女性の方が数段上手である。(2016.6.22.)


















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