今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

710 多治見③(岐阜県)暑さなど負けてたまるかうながっぱ

2016-07-07 05:36:02 | 岐阜・愛知・三重
多治見といえば「暑い!」である。2007年には国内最高の40.9度(その後、高知県で41.0度)を記録、猛暑日日数でも関東の熊谷や館林と日本一を競っている。街の人はその話題になると「ホントに暑いんです」と、諦めたような顔をする。夏至のこの日、もうすぐ日没だという時刻の多治見駅前は、大きな温度計が28.6度を示している。この街が美濃焼の中心地になったのは、この鉄道と関係が深い。



愛知と岐阜の県境を挟んだ瀬戸から東美濃にかけては、よほど良質の陶土が産出するのだろう、古くから窯業が栄えた。瀬戸ほどではないだろうが、美濃にも加藤姓が多いらしいから、両産地は人の交流が盛んだったと思われる。美濃焼の窯は、多治見より土岐や瑞浪の方が多いようだが、多治見にはいち早く鉄道が通じた。輸出の花形だった美濃焼はここに集積し、名古屋港へ運ばれた。だから問屋も多治見に集まった。



この日、多治見市役所には市の人口が11万2902人であると表示されていた。市の統計によると、事業所数も従業員数も、そして出荷額においても「窯業・土石製品製造業」が街の工業の50%を占めている。この街を支えているのは、現在も陶磁器製造でありタイル産業なのだ。街を見晴らす虎渓公園の高台に建つ県の総合庁舎に「土と炎」の大きな文字が掲げられていることは、異様ではあるがこの街を語っている。



その公園で、一人の女性を見かけた。火曜日の午後のことだ。展望台に登って行くと、そこに佇んでいたのである。私に気付いて「こんにちは」と挨拶し、静かに降りて行った。20代半ばだろうか、服装は質素で化粧っ気も乏しい。しばらくして私も展望台を降りると、彼女はまだ公園にいて、ブランコに腰掛けようとしている。友人はいないのだろうか。一人っきりでブランコに揺れる、寂しげな様子が気になった。



翌朝、セラミックパークを再訪しようと住宅地を抜けて行くと、女子工員といった風情の制服姿の女性たちが坂道を登って行く。雰囲気からして日本人ではない。外国人技能研修制度で日本に来ている中国人女性ではと思い当たる。そして昨日の公園の女性も、そうだったのではと考える。遠く日本に来て、淋しさに耐えて働いているのだろう。たまの休日、展望台から異国の街を眺め、故郷の家族を思っていたのか。



孤独で、しかしそれに負けずに生きている女性に私は弱い。男なら「頑張れよ」と声をかければ気が済むのだろうが、女性だと、何もできなくても無性に励ましたくなる。女性や子供が孤立するような社会であってはならない、と思うからだ。こうした思いがひときわ強いのは、自分の生い立ちと関わりがあるのだろうか。展望台の彼女の顔はもう思い出せない。それでも多治見を考える時、いつもあの姿を思い出すのだろう。



ホテルで中国人団体客と一緒になった。観光コースとは言い難い多治見に何用だろうかと訝しんだが、美濃焼の作家から「このところ、ぐい呑を大量に買い込む中国人が多いのです。中国のお茶を飲むのにちょうどいいようです」と聞いて納得した。こんなところにも爆買いがあるのだ。日本一暑い街へ働きに来る人、買い物に来る人、趣味の好奇心を満たしに来る人(私)と、世界はぐるぐる回っている。(2016.6.21-22.)










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