今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

675 真鶴(神奈川県)半島で地中海の「青」を見る

2016-02-23 14:10:46 | 埼玉・神奈川
真鶴駅から半島の先端に向かう路線バスは、坂道を下ると湾に沿って「傾斜地に張り付いた港街」を走る。やがて道は上り勾配となり、松や広葉樹の森に入って視界が暗くなった。乗客は私一人である。だから若い運転手は気軽に観光案内をしてくれる。ぼんやり聴いていると「ここで降りるんじゃないんですか」とバスを停めた。「中川一政美術館前」だった。15分も乗っただろうか、鶴の姿に似ているのだという半島は、実に小さい。



中川一政という高名な画家が、その後半生の制作の場とした真鶴半島である。作品にはそこに建つ町立の美術館で会いたいと願ってきた。それはこの画家が、描く対象と20年も向き合い、通いつめて描いたからである。それを画家は「かいぼり」だと言った。あたかも井戸の堆積物を取り除くように描き続けていくと、澄んだ水が湧き出し、ようやく満足できる絵が描ける、と言うのだ。だから鑑賞すべきは「その場」以外にないことになる。

(福浦突堤)

そうやって描かれた「福浦突堤」も「駒ケ岳」も、私を金縛りにした。「福浦突堤」には「傾斜地に張り付いた港街」の体温を感じ、100号の大作「駒ケ岳」は、絵に包み込まれた。巨大な山塊「駒ケ岳」の風景がグングン拡大し、外から眺めていた私はいつの間にか絵の中の点景になっている。ぽっかりと浮かぶ白雲と戯れ、湖面を渡る涼風に身を委ねているのは私だ。この心地よさはどこから来るのか。これが芸術の持つ力というものか。

(駒ケ岳)

「かいぼり」によって湧き出した清流が、私の中にも堆積している泥を掻き出してくれているのだろう、気持ちが素直になっている。普段は忘れている意識が研ぎ出され、一見、粗々しい筆痕に安らぎさえ覚える。そして「そうか、やはり私はこういう絵が好きなのだ」と気づく。ルネッサンス絵画の美しさにため息を吐く一方で、ミロやクレーは楽しくてたまらない私なのだが、やはりこうした具象的なタッチに最も惹かれるようである。



復元されたアトリエで、97年11ヶ月の画家の人生に触れる。目下のところ、鑑賞者は私一人だ。時折り館員が、何か用を思い出したといった風情を装って私を監視に来るけれど、私は心ゆくまで絵と対話を続けている。たまたま息子が電話をかけてきたので、誰もいないのをいいことに展示室の椅子に座り、「こんな絵を見ているんだ」と詳しく説明する。息子は「ふーん、いいね」と言ったけれど、私の心意を理解したかどうかは怪しい。



真鶴半島は、箱根火山帯に含まれる火口からの溶岩で形成されている。岬近くは原生林に覆われ、小なりとはいえ鬱蒼としている。崖上の台地には公園が整備され、お年寄りがゴルフまがいの遊戯を楽しんでいる。こちらでは椿が、向こうの端では河津桜が満開で、ここはもしや極楽か? 冬晴れの今日は乾燥しているからだろう、空は地中海のごとく深い青で、シュロやヤシを見上げていると、気分はスペイン・アンダルシアである。



この半島と、東の三浦半島を結んだラインの内側が「相模湾」になるのだそうだ。では西側の湯河原・熱海・伊東と続く海岸は何と呼ぶのだろう。そしてそれらを包括した伊豆半島と房総半島の先端を結ぶ陸側は、太平洋ではなくて「相模灘」と呼ぶのだそうだ。洋・灘・湾の学術的関係性は知らないけれど、画家がこの地で油絵を描き続けたのは、日本では珍しいほどの陽光が溢れているからだろう。その気分は私にも分かる。(2016.2.16)







(スペイン・セビリア)










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