今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

077 小値賀(長崎県)・・・国産みの島でわが身も蒼一色

2007-09-06 09:33:30 | 佐賀・長崎

「おぢか」と打ち込んで変換キーを押すと、ちゃんと「小値賀」と表記される。Microsoft Word ですら認識するこの島の名を、私は知らなかった。古事記の国産み神話にも登場する「由緒ある」島であることさえ、行って初めて知った無知な私である。そこは長崎県・五島列島の北から2番目に位置する島で、小値賀町という人口3000人余の暮らしがある。島は、碧い空と蒼い海に抱かれて、青く染まっていた。

羽田から長崎空港まで90分、そこからバスで佐世保まで90分、佐世保から高速船で90分。およそそんな行程で、東京から半日をかけてたどり着いた。そうまでして私は、島の入り江に沈む海底遺跡を見学するためにやって来たのである。古代、中国大陸に向かう遣唐使船などにとって重要な寄港地であった小値賀島は、大陸との交易地、あるいは中継地としての歴史が続き、寄港する帆船から陶磁器が廃棄されるなどして海中遺跡が形成された。

私はダイビングはできないから、もっぱら陸上、水上からの見学であったが、この大海の点のような島に、長い歴史の痕跡が記されていることが興味深く、弥生時代の墓所、鎌倉時代の地割り、中世の城跡と、島のあちらこちらを案内されて飽きることがなかった。余りに熱心に考古学と取り組んだために、東シナ海の落日を堪能できなかったことだけが心残りである。

小値賀本島の東に野崎島がある。本島と同じくらい大きな島なのだが、今は無人となり、野生のシカや野生化したヤギが跋扈しているらしい。島の中央部、かつての集落の一角に「野首教会」がある。明治41年に建設された日本最初のレンガ造りの教会で、写真で見る限り実に味わい深い姿だ。

世界遺産の暫定登録地だそうで、無人の島に残照を浴びて建つ天主堂は、どんなにか美しいだろうかと、遠望しながら夢見た。「墓地の島にしたらどうですか」と、役場の職員に提案した。無人の島で世界遺産の天主堂に見守られ、シカとヤギを供にして眠る。年間管理料によって、町のお年寄りが墓に花を絶やさないようにしてくれる。

そうした魅力をセールスし、全国的に売り出したらどうか。墓参の家族で島は賑わうだろうとも考えたのだ。職員は「考えたこともなかった。なるほど、放棄された墓地もあるし・・・」と思いをめぐらせていた。

五島の島々にあって、珍しく農地が多い小値賀は、石高から言えば優に1万人以上の人口が養える島らしい。事実、戦後しばらくはそうした人口が維持されていた。島で目立つ黒松の林は、風害と塩害から農地を守るために、島人総出で手入れを怠らないおかげだ。しかし島を出て行く若者は後を絶たず、「島内で結婚式があったのは、いつだったかしら」という現実がある。

半島や離島は地域を維持することが地勢的に難しい。だから振興法による支援がなされているのだが、長崎県は全域が半島と島でできているような地域だ。ありきたりの発想では活力維持は難しいだろうが、それに勝る自然と歴史がある。頑張って欲しいものだ。

小値賀島の場合、何といっても野首教会が魅力である。だからイザナギとイザナミが産んだ「大八島の国」の、最後から二番目に生まれた「知訶(ちか)島」で永眠するというのも、悪くないではないか。(2007.8.25-26)

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