今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1026 太田(群馬県)半世紀の変貌に驚く浦島太郎

2022-05-01 08:31:44 | 群馬・栃木
太田の記憶は微かである。50年前に一度訪れたきりなのだからそれは致し方ないことだが、それにしてもこの街は、この半世紀で大きく変貌したのではないだろうか。私の記憶の中の太田は、日光例幣使街道に沿った鄙びた商店街と、やたらと「呑龍さま」を自慢する市民気質くらいのものなのだが、今回、東武伊勢崎線の太田駅に降りて、高架になったモダンな駅舎にまずびっくりし、南口に広がる現代的なオフィス街にさらに驚かされたのである。



太田市は1971年、人口が10万人に達している。この年、社会人1年生として群馬に赴任した私は、太田を含む東毛地区で最も大きい街は、13万人を超す人口の桐生市であると覚え込んだ。一度覚えたデータはなかなか更新できないものだが、衰退する繊維産業(桐生)と躍進する自動車産業(太田)という主力経済の勢いの差は歴然として、両市の人口は間も無く逆転、太田市の人口はすでに22万人を超えている。いまさら驚く私は浦島太郎だ。



ただ私は、50年前を懐かしむために太田に来たのではない。近年、駅北口に開設された「太田市美術館・図書館」に興味があってやって来たのだ。もっと正確に言えば、昨年末の「2021ボローニャ国際絵本原画展」が見たくて計画した太田行が、コロナ第5波に阻まれたため、そのリベンジである。さらにもっと正直に言えば、絵本展もさることながら、私はかねてイタリアのボローニャという街に関心があり、街の匂いだけでも嗅ぎたかったのだ。



太田市美術館・図書館はさほど大きな施設ではないけれど、屋上にはガーデンテラスもある明るくおしゃれな施設だ。企画する展覧会もユニークで、人口20万人規模の街としては頑張っていると思う。ここの市長さんは舌禍事件を起こしたりするけれど、独自性のある政策で8期も続けるやり手だ。政府の構造改革特区の第1号としての英語教育を導入するなど、国際感覚あふれるまちづくりを進めているようで、ボローニャもその延長か。



ボローニャはイタリアの長靴の付け根中央にある街で、ヨーロッパ最古の大学があり、市民参加の市政経営もユニークらしい。交通の要衝で、ヴェネツィアからフィレンツェに移動する際、途中下車したことがある。いずれ1ヶ月程度滞在して、イタリア各地を回りたいと考えているのだが、コロナのせいで目処は立っていない。井上ひさし『ボローニャ紀行』を読むと、誰でも行きたくなるはずだ。絵本展を機に、太田の子供たちも行ってみたらいい。



美術館・図書館と同じ駅前広場に、新田義貞像が建っている。南北朝に風雲を起こした義貞は、上野国新田荘の出とされるから、街が「郷土出身の武将である」と掲げておかしくはない。私が群馬に赴任したころは「新田郡」は存在したのだが、含まれる町村は太田市などと合併して消えた。義貞像の背景に聳えるビルはSUBARUの群馬製作所だ。工業出荷額で地方都市上位に入る太田市の、「むかし義貞、いまスバル」という様相をよく現している。



太田へは空からも訪問したことを思い出した。太田市内ヶ島町にある東日本最大の「太田天神山古墳」を、上空から撮影したいとヘリコプターに乗せてもらったのだ。榛名山麓のヘリポートから太田まで飛び、古墳上空に差し掛かると操縦士は何度も旋回してくれた。しかしカメラを覗いている私はファインダー内の古墳がくるくる回って、一気に気持ちが悪くなった。「ここで降ろして」と叫ぶ私に、操縦士は「ダメです」と言った。(2022.4.28)











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