今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

750 ウィーン②【オーストリア】

2017-01-15 16:54:07 | 海外
ウィーンでは会いたい「女神」がもう一人いる。どんなにか美しいお方だろうかと、妄想を膨らませて久しい。ただしこの女神様、いささか高齢であられる。若く見積もっても20000歳、ひょっとすると25000歳近いかもしれない。自然史博物館の特別室の、特製ガラスケースにお住いのヴィレンドルフのヴィーナス(Venus von Willendorf)さんだ。身長は11センチほどと可愛いものなのだが、その豊満さは圧倒される女性美である。



ヴィレンドルフはウィーンから西へ、ドナウ川を100キロほど遡ったヴァッハウ渓谷に含まれる小さな街だそうで、100年ほど前、この地の旧石器遺跡から小さな石像が発見された。石灰岩を加工した女性像で、乳房・腹部・臀部が極端にデフォルメされている。頭部は帽子か髪か、網状の文様で覆われ、顔は隠されている。最もリアルなのは性器で、太古のアーティストはその表現に並々ならぬ情熱を注いでいる。大変な造形力である。



スペインのアルタミラ洞窟壁画より10000年は古く、フランスのラスコー壁画にほぼ重なる年代ということになる。つまりこのヴィーナスを制作した彫刻家はクロマニョン人なのだろう。たまたまこの旅行の1週間前、上野の科学博物館でラスコー展を観たものだから、復元された壁画を思い出しながらヴィーナスを見つめる。マンモスを狩りしていた時代、アルプス周辺の平原には天才芸術家を含む集団の暮らしがあったことになる。

(「ラスコー展」から)

そうしたホモ・サピエンスをじっくりと育んだのは大河ドナウであろう。アルプス北部のドイツ黒い森に発し、ヨーロッパ平原を西から東へ、2800キロにわたって10カ国を潤し、黒海に注ぐ大河である。その滔々たる流れは、古代人にとっては世界を遮る壁であったろうが、ひとたび流れに乗れば、民族間の移動を可能にする文明の道でもあった。ローマ帝国はドナウを北方蛮族に対する防衛線とし、その拠点としてウィーンが生まれた。

(「ラスコー展」から)

帝政ローマ軍の宿営地が置かれてから、ウィーンの歴史はせいぜい2000年。ではヴィーナス誕生からそれまでの20000年ほどは、中部ヨーロッパはどんな様相だったのだろう。自然史博物館には動くジオラマのような仕掛けがあって、青々とした草原をマンモスがゆっくり移動し、それを狩人たちが追って行く姿を見せてくれる。ラスコーに描かれたように、牛や鹿も豊富だっただろう。海から遠いこの辺りは、今も料理はもっぱら肉だ。



そうやってクロマニョン人は現生ヨーロッパ人に同化して行き、マンモスは姿を消した。オーストリア・アルプスの「アイスマン」は、5000年前に氷に埋もれた。ヨーロッパには、まだ知られていない洞窟壁画やヴィーナスが埋もれているのかもしれないし、日本でこうした痕跡が未発見なのは、地質の影響か、ただ「見つかっていない」だけなのかもしれない。自然史博物館には日本の縄文土偶にそっくりの土製人形が展示されている。



こうした人間の歴史に迷い込むと、いつも私を驚かせるのは人類の繁殖力の猛烈さである。6万年ほど前にアフリカからユーラシア大陸に渡った祖先が、西と東に進路を分かち、それぞれが行き着いたところがヨーロッパと極東である。人口密度は疎らで、平均寿命も極端に短かっただろう。それが今や70億人を超え、地球の隅々にまで定着して街を営んでいる。国境などと線引きしていがみ合うなど、バカバカしい限りだ。(2016.12.21-25)











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