◆ここ、3、4日、このホームページ上の、あるいはBlog上の世界の「設定」を確定(*^_^*)しようと、苦悶していた。 「設定」、すなわち―― (1)記述内容は、いつのことなのか? (2)場所は、どこなのか? (3)中心人物(「わたし」「わし」)は、日頃、どんな仕事や活動をしているのか? 芸能人・政治家等のBlogが、結構、リアルに読めるのは、こういう「設定」がしっかりしている――というか、「設定」構築に対する本人努力の有無とは無関係に、大枠が既にさらされていて、こちらが、それを前提にして読むからだ。 それにひきかえ、わたしの「設定」は――わたしは、決して、正体を隠そうとしているわけではないし、ま、はっきりいえば、元来、正体不明の言論活動は認めない(これ、念のために断っておけば、他の人が自分の正体を意図的にぼんやりさせながら情報を発信するのを認めないというのではなく、自分がそういうことをやるのは認めないという意味)という立場なのだが、しかし、「設定」そのものは――1年半前から完全に崩壊している(ノ△・。)。 ◆幽霊にも――足はないかもしれないけれど――「設定」はある。 幽霊にも設定があるのに……と、しばらくメソメソ(ノ△・。)していたが、こうしてメソメソ(ノ△・。)しているくらいだったら、いっそのこと「教育課程」に、がんじがらめにしばられる「設定」にしてみるのもいいかかもしれない……と思い立ち、昨日、今日と、その気になりかけていたのだが、「教育課程」にしばられるということは「教特法」にもしばれてしまうということに気づく。 「教育課程」にしばられるのはかまわないけれども、「教特法」にしばられるのは困る……「教育課程」にしばられて「教特法」からは自由だというようなことは絶対にありえない……と、またまた逡巡→絶望。 ◆しかし、さっき、逡巡&絶望の果てに、あっとひらめくものが……。 わたしは、日頃、初対面の人と会うとき「『600字の教育学』を主催している■■××です」と名刺を出している。 名刺のトップにも、そう表記してある。 おお、これでいいではないか!(^^)! いったい、わたしは、なにを逡巡していたのか? これだと教育課程にも教特法にもしばられない。 日本教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」のおやじさん――「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント、ただ、しかし、すごく頑迷固陋のおやじさん(^_^)v。 このおやじさんが、今、この画像の場所で、Classic Jazzを聴きながら、ウィスキーを飲んでいる……これが「設定」だ(^_^)v。 にほんブログ村 にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |
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