職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」の頑迷固陋のおやじさんがJazzを聴きウィスキーを飲んで

2010-09-08 14:23:52 | Weblog

10.09.08 教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」の頑迷固陋のおやじさん



画像は、日本教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」のおやじさん――「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント、ただ、しかし、すごく頑迷固陋のおやじさん。その「わし」^^;が、今、Classic Jazzを聴きながら、ウィスキーを飲んでいる場所=「設定」

◆ここ、3、4日、このホームページ上の、あるいはBlog上の世界の「設定」を確定(*^_^*)しようと、苦悶していた。

 「設定」、すなわち――
(1)記述内容は、いつのことなのか?
(2)場所は、どこなのか?
(3)中心人物(「わたし」「わし」)は、日頃、どんな仕事や活動をしているのか?

 芸能人・政治家等のBlogが、結構、リアルに読めるのは、こういう「設定」がしっかりしている――というか、「設定」構築に対する本人努力の有無とは無関係に、大枠が既にさらされていて、こちらが、それを前提にして読むからだ。

 それにひきかえ、わたしの「設定」は――わたしは、決して、正体を隠そうとしているわけではないし、ま、はっきりいえば、元来、正体不明の言論活動は認めない(これ、念のために断っておけば、他の人が自分の正体を意図的にぼんやりさせながら情報を発信するのを認めないというのではなく、自分がそういうことをやるのは認めないという意味)という立場なのだが、しかし、「設定」そのものは――1年半前から完全に崩壊している(ノ△・。)。

◆幽霊にも――足はないかもしれないけれど――「設定」はある。
 幽霊にも設定があるのに……と、しばらくメソメソ(ノ△・。)していたが、こうしてメソメソ(ノ△・。)しているくらいだったら、いっそのこと「教育課程」に、がんじがらめにしばられる「設定」にしてみるのもいいかかもしれない……と思い立ち、昨日、今日と、その気になりかけていたのだが、「教育課程」にしばられるということは「教特法」にもしばれてしまうということに気づく。

 「教育課程」にしばられるのはかまわないけれども、「教特法」にしばられるのは困る……「教育課程」にしばられて「教特法」からは自由だというようなことは絶対にありえない……と、またまた逡巡→絶望。

◆しかし、さっき、逡巡&絶望の果てに、あっとひらめくものが……。
 わたしは、日頃、初対面の人と会うとき「『600字の教育学』を主催している■■××です」と名刺を出している。
 名刺のトップにも、そう表記してある。

 おお、これでいいではないか!(^^)!

 いったい、わたしは、なにを逡巡していたのか?
 これだと教育課程にも教特法にもしばられない。

 日本教育界の片隅に棲息する「600字の教育学社」のおやじさん――「学校教育だけではなく、社会(地域・家庭)教育にも精通している」というのがセールスポイント、ただ、しかし、すごく頑迷固陋のおやじさん(^_^)v。
 このおやじさんが、今、この画像の場所で、Classic Jazzを聴きながら、ウィスキーを飲んでいる……これが「設定」だ(^_^)v。


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