職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

『禅という名の日本丸』。口実を探し出し自身の衝動を抑制し日々が過ぎるのを待つ人間にいい仕事はできない

2010-09-29 16:46:13 | Weblog

10.09.29 鈴木大拙の衝動の伝播力!への羨望

◆ずっと以前(2005年頃)から、気になりつつ購入しなかった(たぶん、これから先も購入しないと思うけど……)『禅という名の日本丸』(山田奨治著)。

 禅ブームの火付け役、英語を自在にあやつる仏教学者、鈴木大拙。(学生時代のわたしは氏にあこがれ、心底、禅にのめりこんでいる^^;)
 この鈴木の発信内容が、「理想の自画像」を求める鈴木自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報であり、畢竟、日本文化の力を弱めてしまう結果となった……とする説。

 ――日本人は、自分自身をどうイメージしてきたか? 
 弓・石庭・禅など、日本文化の情報がどのように外国に伝わり、それが日本にどのように環流して、日本文化を組み替えていったか?

 ――人には他人からよく見られたいという欲求がある。
 しかし、自分の姿は鏡に映さなければ見ることはできない。
 われわれは、他人から見た自分の長所(たとえそれが誤解でも)に自分を一致させようとしているのではないか?

◆『禅という名の日本丸』の内容
第1章 ホンモノとイカモノのあいだ
第2章 弓と禅の謎
第3章 神話の解体
第4章 消された経歴
第5章 石庭はきれい?
第6章 鏡像の受容

 読んでいないので、これ以上のコメントは避けるが、わたしが引っかかっている……というか、心躍らせているのが「鈴木の発信内容が、『理想の自画像』を求める鈴木自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報」という箇所だ。

 3点。

(1)「情報を創り出」してしまうほどの衝動、「情報を変換」してしまう」ほどの鈴木の衝動に対する羨望の心が、わたしのうちに存在する。
 こういう「衝動」がないと、なにもできない。
 また「衝動」に、歪んでいない「衝動」などない。

(2)(鈴木大拙ではなく)わたしの教育に関する発信内容(知的で楽しい授業を創る基礎・基本の修業&学校・家庭・地域が連携・融合・協働できる教育システムづくり)も、いってみれば「自身が理想とする教育像」を求めるわたし自身の衝動からくる創り出された情報、変換された情報である。

(3)しかし、わたしの発信内容は、鈴木大拙の「情報」が外国に伝わり、それが日本に環流して、日本文化を組み替えていったほどの伝播力をもっていない。
 衝動力の差である。
 いろいろと口実を探し出し、自身の衝動を抑制し、日々が過ぎるのを待っているような人間に、いい仕事はできない(ノ△・。)。




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