職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

「黒板に向かってしゃべらない」たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師に

2010-09-10 15:13:38 | Weblog

10.09.10 「教育世界」と「日常生活」の壁を突破する




乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく。懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきた。きっちりと黒板を「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」っている。感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。画像は上から、T実習生・教室の子どもたち・乱氏

◆「設定」――自分のホームページの「時・人・場」の筋立て――に関する、長い、だらしない、苦しい、みっともない「逡巡」から、なんとか脱するきっかけになったのが、先日(8/15)の大須賀浜の出来事だ。

〈復習〉
(1)敗戦の日、戦没者を弔う旅の行程を組み立てているとき、2点、不思議なことがあった。
 ①行程のなかに、招魂社などに混じって、なぜか「大須賀浜」が入っている。
 ②毎年、敗戦の日に耳鳴りのように聞こえる「負けた、負けたと言うけれども、あたしは、そうじゃないと思うわ。ほろんだのよ。滅亡しちゃったのよ。日本の国の隅から隅まで占領されて、あたしたちは、ひとり残らず捕虜なのに、それをまあ、恥ずかしいとも思わずに、田舎の人たちったら、馬鹿だわねぇ」という声(太宰治・戯曲『冬の花火』の数枝の台詞)の聞こえ方が、なぜか、今年に限って切実、痛切に響く。

(2)はじめ、この2つの理由が、わたしにはわからなかったのだが、当日の夜になり、まず、②数枝の声の謎が解け、それに触発されるカタチで、①大須賀浜の謎が解けた。(解答の詳細、省略)

(3)それから、かなりの日数が過ぎた頃、ふと、「②数枝の声→①大須賀浜」の思考ルートではなく、その逆、すなわち「①大須賀浜→②数枝の声」ルートも可能だったのではないか?――、いや、むしろ、その思考ルートこそ、わたし本来の解決の仕方ではなかったのか?ということに気づく。

◆この(1)~(3)の経験が、ホームページの「設定」に関する逡巡から抜け出すヒントになる。
 逡巡の中核は、わたしの「日常生活」とわたしの「教育世界」との乖離だ。
 この詳細に触れると、また「書き助」&「書き魔」に陥るので、結論だけ――「②数枝の声→①大須賀浜」のように、あるいは「①大須賀浜→②数枝の声」のように、「日常生活」→「教育世界」、あるいは「教育世界」→「日常生活」と、どちらか一方を書き込むことにより――もちろん、両方について書き込んでもいいのだが――2つの世界の間にある壁が突破でき、もう一方の世界に至ることが可能なのではないか?

◆乱氏に誘われて大学生(教育実習生)の授業を観にいく。


◆T教育実習生が、懸命に「黒板に向かってしゃべらない」という努力をしていることが、よく伝わってきたし、その目標が、ほぼ完璧に達成されていた。
 下手な俳優は、親が息子の首根っこを押さえ「この親不孝者が!」とぶつ場面で、「セリフ」と「ぶつしぐさ」を同時にやってしまうが、上手な俳優はセリフのあと、そのセリフにこめられている幾種類かの思いをこめて、きっちりとぶつ演技をするといわれる。(この情報は、近時、TVから得たのか、インターネットから得たのか、もう出所を忘れてしまったm(_ _)m。)
 指導者が、板書事項を指して語る(説明する)場面もこれに似ている。
 きっちりと「指し」つつ、きっちりと生徒と目を合わせ、きっちりと「語」らなければならない。。
 きょうのT実習生は、これが出来ていた。
 感心、いや、感動に近い気持ちで眺めた。

 T実習生には、やや失礼な言い方になってしまうけれど、「黒板に向かってしゃべらない」という、たったこれだけの努力で、瞬間、瞬間に限定しての話だが、黒帯のプロ教師のように見えた。

◆指示・発問・語りのリズムもいい。
 ただし、そのリズムを重視したために、班や個人作業の達成状況の確認が、やや形式的に流れてしまった。

◆生徒への説明の過程で、重要部分や重要単語を押さえて、一斉音読させる場面について。

(1)「音読はパワー、いつでも音読、なんでも音読」。
 T実習生の指導者である公達研修主任が得意とする手法である。
 それを短期間でよくマスターしている。

(2)プロの教師がその手法を取り入れている授業ではなく、実習生がその手法を取り入れている場面を見て、ポイント音読の学習効果の高さを再認識した。

(3)「住居」を、生徒が「ジュウイ」と読む場面があった。
 欲をいえば、(ま、国語教師からすると)、ここは、正しい読み方を教えた上で、一斉音読させ、さらに「念のために」と、もう一度、一斉音読させてほしい場面だった(*^_^*)。(社国連携)

(4)生徒が一斉音読と個人音読の区別ができていない。
 個人で音読の指名を受けたときは、1人で学級全体に聞こえるように読むのだというギアの切り替えが必要で、このことの指導が今後の課題。

◆次に課題(=代案)を列挙する。

(1)逆接ではない、中止法の「が」は、指示場面では使わない。
 ×「教科書には~が書いてあるんですが、~ページを開きましょう」→「教科書には~が書いてあります。~ページを開きましょう」

(2)①発問し→②個人指名し→③解答を発表させて→④「はい、正解」とやるケースで、①発問が全体のものになっていない。③④「解答」が全体のものになっていない。

(3)さらに、④正解の生徒に対して「がんばりの認め方」がワンパターン。
 「いいですね」とほめるにしても、最低、3通り、いや、5通りはもちたい。
 「すごい」だって、同じ。
 ひとりひとりをほめる短い言葉を、たくさんもっていて、それを瞬間、瞬間、ポンポンと発する教師になってほしい。
 ほんの一言の、ことばがけが、子どもを成長させる。
 変容させる。
 

(4)上記の解答場面について。
 問題が3つのテーマに別れ、そのテーマごとに小問がいくつかあるという構成。
 わたしだったら、テーマごとに「全問正解した人?」「4問正解した人」とやって、達成状況をチェックする。(時間の関係もあるから、全テーマについて、やる必要はない。)

(5)授業はいくつかの段落で構成されている。
 新しい段落に移るときに、前段階をまとめ、次段階の目標を提示し、さあ、ここから新しいステージへいくんだという意識づけ、切り替えが必要。
 合わせ技として、同時に、机を整とんさせたり、姿勢を正させたり……ということもある。

(6)作業させるとき、当然、時間を指定する。
 このとき、教師が一方的に「2分」とやるのではなく、生徒自身に「自分だったら何分でできるだろう?」「先生は何分っていうんだろう?」と考えさせる、一瞬の間が必要だ。

(7)筆順がまちがっている漢字がある。国語教師として、わたしも、構造的責任を感じてしまうm(_ _)m。

 もちろん、プロ野球のピッチャーでいうと、9回完投というふうに、50分完投というわけにはいかなかったが、テレビドラマを撮るときのように、カット、カットでやると、いいドラマになるという授業だった。
 わたしが塾経営者で、その「ドラマ」を見せられたら、即、T実習生と契約するかもしれない。
 今後の活躍を祈るv。



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