![]() ★〈twitter発言〉 3月中旬に、これまでの僕の仕事のやり方をいったんバラバラに――ま、いってみればガラガラポンの「ガラガラ」状態に――した。 ガラガラに身を投じたのは、今のやり方をこのままつづけていても、どうにもならない……という幻滅、自棄、絶望の判断があったからだ。 同時に、もうひとつ、「ガラガラ」の瓦礫を再構成し、新たな「ポン」に至れるという確信もあったからだ。 しかし、実際にガラガラに身を置くと、まるで先が見えなくなってしまった。 苦しんでいる。 後悔もしている。 「ポン」に至るには、これから相当なエネルギーが必要なようだ。〈twitter発言、以上〉 ★昨夜、こうやって鬱々としていると、お馴染みの、あしゅら堂主人からメールが届いた。 桜満開の大阪城公園を散策したようだ。 ご丁寧に散策ルートを示した画像が添付されている。 僕をうらやましがらせる魂胆だ。 トップ画像参照――画像中の「始」マークからスタートし、環状線・森ノ宮駅に至るルートだ。 僕のうちに既に刻印された大阪城風景と重ね合わせながら、あしゅら堂主人の散策ルートをたどって、内壕と東外壕に囲まれた梅林を抜け、図中「4㎞」の表示を過ぎたあたりだった。 『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌの匂いではないが、いきなり半世紀以上も前にタイムスリップした。 小学生の頃、ここをトボトボと歩いた。 ここ(大阪砲兵工廠跡地)がGHQに接収され、それが解除され、公園用地として整備が始まった頃だ。 見渡す限りの――子どもの実感としては歩いても歩いても――廃墟だった。 ひとりではなかった。 二人だった。 だれであったかははっきりしない。 もしかしたら同級生のあしゅら堂主人だったのかもしれない。 ![]() ★この画像は、もちろん大阪砲兵工廠跡地ではない。 東日本大震災後の有家駅付近だ。 僕の今の心境は、ここを陸中中野駅方向に歩き出したときの気分でもある。 ・★東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ ・★5月7日(土)のつぶやき おお、特殊自動閉塞ですかぁ~ ・★5月5日(木)のつぶやき 乱氏、瓦礫を越えて ・★5月2日(月)のつぶやき 「前よりいい町にしてやる」 ★さらにリアルな情報は僕の公式ホームページへ★ ★僕のWEB無人駅線ページへ |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます