職員室通信・600字の教育学

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★ガラガラに身を投じたのは今のやり方を続けてもどうにもならないという自棄、絶望の判断があったからだ

2013-04-01 19:41:05 | 僕のモンマルトル日記

 

茫漠特急 お馴染みの、あしゅら堂主人からメールが届いた。大阪城公園を散策したようだ
2013
04.01


★〈twitter発言〉
 3月中旬に、これまでの僕の仕事のやり方をいったんバラバラに――ま、いってみればガラガラポンの「ガラガラ」状態に――した。
 ガラガラに身を投じたのは、今のやり方をこのままつづけていても、どうにもならない……という幻滅、自棄、絶望の判断があったからだ。
 同時に、もうひとつ、「ガラガラ」の瓦礫を再構成し、新たな「ポン」に至れるという確信もあったからだ。
 しかし、実際にガラガラに身を置くと、まるで先が見えなくなってしまった。
 苦しんでいる。
 後悔もしている。 
 「ポン」に至るには、これから相当なエネルギーが必要なようだ。〈twitter発言、以上〉

★昨夜、こうやって鬱々としていると、お馴染みの、あしゅら堂主人からメールが届いた。
 桜満開の大阪城公園を散策したようだ。
 ご丁寧に散策ルートを示した画像が添付されている。
 僕をうらやましがらせる魂胆だ。
 トップ画像参照――画像中の「始」マークからスタートし、環状線・森ノ宮駅に至るルートだ。
 僕のうちに既に刻印された大阪城風景と重ね合わせながら、あしゅら堂主人の散策ルートをたどって、内壕と東外壕に囲まれた梅林を抜け、図中「4㎞」の表示を過ぎたあたりだった。
 『失われた時を求めて』の紅茶に浸したマドレーヌの匂いではないが、いきなり半世紀以上も前にタイムスリップした。
 小学生の頃、ここをトボトボと歩いた。
 ここ(大阪砲兵工廠跡地)がGHQに接収され、それが解除され、公園用地として整備が始まった頃だ。
 見渡す限りの――子どもの実感としては歩いても歩いても――廃墟だった。
 ひとりではなかった。
 二人だった。
 だれであったかははっきりしない。
 もしかしたら同級生のあしゅら堂主人だったのかもしれない。


★この画像は、もちろん大阪砲兵工廠跡地ではない。
 東日本大震災後の有家駅付近だ。
 僕の今の心境は、ここを陸中中野駅方向に歩き出したときの気分でもある。

 
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