職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

わが師・江藤淳と初夢の中で大阪寿司を食べているうちに、八戸の押し寿司を食べたくなり、八戸駅構内で購入

2010-02-04 11:44:52 | Weblog

10.02.04 辻邦生が見た20世紀末




◆ここ、しばらく、新しい書物の購入は「禁止」ということにして、DAKA古書店内の書物&ネット情報だけで暮らしています。
 唯一の例外が、『辻邦生を見た20世紀末』(辻邦生・信濃毎日新聞社)です。

 これは、辻邦夫が、信濃毎日に掲載したコラム集です。
 1回の字数が900字程度で、毎週金曜日に掲載。
 1990/8~1999/7まで、合計433回。

 これだけ書きつづけるのは、辻邦生の仕事はこれだけではありませんから、たいへんなことだと思います。
 奥様が「金曜コラムは、いつまでつづくの?」とたずねたら、「死ぬまで」と答えたそうです。
 そして、その通りになりました。

◆どうしても『辻邦夫が見た20世紀末』が読みたかった理由を列挙します。

(1)わたしの座右の書の1冊が『モンマルトル日記』(辻邦生・1974年刊)です。

 これを読んでいるみなさん(……といっても、お一人かお二人ですけど……)に、『モンマルトル日記』の感じをつかんでもらうために、冒頭付近の一節を引用します。

 ぼく自身パリでは、現実の中に、この「甘美なすばらしさ」を味わい、生きることが1つの目的だった。
 リルケのように深く、身をその「詩的感情」の中に沈めるのである。
 「詩」を予感し、つくりあげる場所へ、旅すること、その「詩」を味わうこと、それが目的である。
 刻々に「詩」をつくりだし、それを「空間の冷たさ」や「階段のかげ」などに媒介させ、それら「イマージュ」を深く「詩的なもの」として味わう。
 この「詩」をつくり、「イマージュ」を媒介して現実の「感じ」として味わうのが目的である。
 素材となった「歴史的事実」や「伝説物語」などはシェイクスピアに「観念」を与えたのであり、それを、この「一般具体物」によって分解していったのだ。
 (「子を失った父」「父を失った子」等)……「主題」なり「当面の題材」(たとえば「北アフリカの古代都市」とか「頽唐期のローマ」とか)なりが必然的にそれの「感じ」をよびおこす。
 と、その「感じ」にふさわしい「一般具体物=イマージュ」を並べてゆけば、そこに、「感じの長さ」がつくれるのだ。
 つねに「出来事の動き」によって「感じ」を支える。
 「波」や「船」や「波止場」や「大都会の夕暮れ」を想像し、心のなかに思いえがき、そうした「気分」を味わってみる。
 またそうした「気分」を予想して「サン・マルタン河岸」に散歩にいったりする。

 『モンマルトル日記』評を、自分で創出すればいいのですが、自信がないので^^;^^;、帯の解説から抜粋します(*^_^*)。

 小説とは何か? 
 なぜ書くのか?
 「生のすばらしさ」一瞬現われるこの強烈な閃きを自己の中に定着させる精神の働きとは一体何なのか?
 1968年秋、モンマルトルに移り住んだ著者は、思索の深まりの中で作品の構想が息づくのを感じる。
 異国での思索の苦悩と喜び。
 その精神の軌跡を日記にまとめた熱い報告書。

 この『モンマルトル日記』の著者が、『モンマルトル日記』から約30年後、1990/8~1999/7まで、1回の字数900字で、合計433回、いったい、何を書いたのか? どうしても読んでみたいと思いました。




(2)奥様が「金曜コラムは、いつまでつづくの?」とたずね、「死ぬまで」と答え、その通りになったのですが、辻邦生は、何を見、何を感じ、そして、どんな最後を迎えたのか? どうしても自分の目で確かめたいと思いました。

(3)1990~1999というと、わたしの人生では、プロフィールをみていただくとわかりますが、激動期に当たります。
 その激動期と重ねあわせながら、433回のコラムを、ひとつひとつ、読んでみたいと思いました。

(4)『辻邦夫が見た20世紀末』が終わる、1999/7というと、奇しくも、わが師・江藤淳の自刃と同じです。
 両者が、クロスするポイントがあるのか? ないのか? これも、ぜひ、確かめたいと思いました。




◆ネット・日本の古本屋で検索し、ピックアップされた数軒から1つを選び、購入しました。

 2009と2010をまたがるように、ゆっくり、ゆっくり……というか、気が向いたときにポツリ、ポツリと読みつづけ、先日、読了。

 感想を、ここに、まとめるつもりはありません。
 胸がいっぱいになったものを、自分の胸のうちにしまっておくつもりです。

 ただ、読みたいと思った観点(1)~(4)に即して2点。

 (1)&(4)については、わたしの読む力とも関係すると思いますが、これといった内容に突き当たることはありませんでした。

 (2)&(3)については、読書前に想定した「感じ」を超える、もう、ことばでは言い尽くせない、精神的時空間を経験することができました。




★画像は、八戸駅・小唄寿司です。
 先日、わが師・江藤淳と初夢のなかで大阪寿司を食べた話を記述しているうちに、八戸の押し寿司を食べたくなり、八戸駅構内の駅弁売り場で購入(*^_^*)。


★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! 
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