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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

文民統制が言論統制に変じる時

2008年11月12日 16時03分35秒 | 日本政治
田母神・前空幕長「村山談話は言論弾圧の道具」(朝日新聞) - goo ニュース
 昨日、国会にて証人喚問を受けた田母神前航空幕僚長の論文発表は、自衛隊の文民統制の観点から不適切とする見方がある一方で、政府の措置は、言論統制に当たるのではないか、とする反論もあります。それでは、どちらの言い分に理があるのでしょうか。

 そもそも、昨日の喚問でも明らかになったように、議論の土台となるべき文民統制の定義さえ、論者の間では一致していません。憲法では、閣僚の任命を文民に限っていますが、現在、どの程度の行為が、文民統制の逸脱に当たるのか、それを定めた法律は存在していないのです。誰もが自分の尺度で文民統制違反を唱えているのですから、議論は混乱するはずです。しかも、政府見解との不一致が問われたとなりますと、これは、単なる法律上の問題では済まされなくなります。政府見解とは、多くの指摘があるように、あくまで首相や官房長の談話であって法律ではないため、政府見解との一致を求めるとなりますと、国家が、歴史認識を国定し、それを個人に強要することになるからです。

 もし、批判者が主張ように、自衛官を含めてすべての公務員が、民間において、政府見解と異なる意見を述べてはならない、としますと、それは、国民の前で議論を尽くして法制化すべきであって、今回の事件のように、法律がないにも拘わらず”違反”をあげつらうのは、法のルールには反しています(法律は後からできるもの・・・)。また、昨日の証人喚問がNHKで国会中継されず、また、田母神氏が言及したネット投票(59%が田母神氏支持・・・)が打ち切られたことから判断しますと、政府やマスコミは、この事件を封じるために言論統制に踏み出したようで、うすら寒さを感じます。

 文民統制が言論統制に変じる時、それはやはり、国民の不幸の始まりのように思うのです。

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コメント (20)
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