日記のネタなどを思いついた時、忘れないうちにメモ帳に記すのであるが、
論を展開していくのが面倒になったり、時間をおいてみたら大したことの
ない内容だったりで、没になるものが多い。
いきおいメモ帳は文字で溢れるのであるが、ぼんやりそれを改めて眺めて
みると、それなりに趣があると感じる。
内容に対してではない。書かれた字そのものに対してである。
元々字はうまくない上に、自分だけ読めれば良かろうと走り書きで記して
いるために、自讃も弁護もしようのない、かけらの美しさもない代物であるが、
なればこそ泥臭さや生活臭のようなものを醸し出していると思われた。
その他にも、メモ帳には文字以外の、思い付きレベル以下の落書きも多数あり、
今風に分かりやすく言えば『ぼくの考えた妖怪(選外)』のような
クリーチャーがひしめいていたりもする。
所々に、ふと突然『腕を曲げた時にあの角度から見たらどうなっていただろうか』
的なことを思い立った際に、アレコレ確認の為に描いたものであったり、ある
ものを正しく描く為には、ここを基準としてどうこう…というような正しい
用法におけるメモも一応有るにはある。
今でも十分に、これらアナログ的に書かれたものをブログなどにアップする
ことは可能であるが、現状手持ちの道具ではアナログで書いたものを取り込んで
画像にするという手順を踏まねばならず、不便が勝る。
さりとて液タブなどで、最初からデジタルで書くとなると、どういう訳か気負いの
ようなものが生じ、きちんと書かねばという気持ちから非常に時間がかかって
しまい、アナログでの最大の良さであるライブ感や勢いが死んでしまう。
とはいえ、そもそも汚い部類に属するこれらを、趣ありと好意的に受け取るのは
少数派で、多くの人はそんなもの望んでいない可能性も捨てきれない。
実際の所はどうなのだろう。
論を展開していくのが面倒になったり、時間をおいてみたら大したことの
ない内容だったりで、没になるものが多い。
いきおいメモ帳は文字で溢れるのであるが、ぼんやりそれを改めて眺めて
みると、それなりに趣があると感じる。
内容に対してではない。書かれた字そのものに対してである。
元々字はうまくない上に、自分だけ読めれば良かろうと走り書きで記して
いるために、自讃も弁護もしようのない、かけらの美しさもない代物であるが、
なればこそ泥臭さや生活臭のようなものを醸し出していると思われた。
その他にも、メモ帳には文字以外の、思い付きレベル以下の落書きも多数あり、
今風に分かりやすく言えば『ぼくの考えた妖怪(選外)』のような
クリーチャーがひしめいていたりもする。
所々に、ふと突然『腕を曲げた時にあの角度から見たらどうなっていただろうか』
的なことを思い立った際に、アレコレ確認の為に描いたものであったり、ある
ものを正しく描く為には、ここを基準としてどうこう…というような正しい
用法におけるメモも一応有るにはある。
今でも十分に、これらアナログ的に書かれたものをブログなどにアップする
ことは可能であるが、現状手持ちの道具ではアナログで書いたものを取り込んで
画像にするという手順を踏まねばならず、不便が勝る。
さりとて液タブなどで、最初からデジタルで書くとなると、どういう訳か気負いの
ようなものが生じ、きちんと書かねばという気持ちから非常に時間がかかって
しまい、アナログでの最大の良さであるライブ感や勢いが死んでしまう。
とはいえ、そもそも汚い部類に属するこれらを、趣ありと好意的に受け取るのは
少数派で、多くの人はそんなもの望んでいない可能性も捨てきれない。
実際の所はどうなのだろう。
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