新PC、未だ届かず。どうやら諸々の遅れにより日曜日には間に合わなかった
らしい。その旨が月曜の昼に電話でかかってくる。仕事のため出られず、
留守電で確認できたのは夜になってから。その電話では改めての配送時刻を
話し合いたいので、折り返しの連絡を請う旨も含まれていたが、それは例えば
深夜とかでも大丈夫なものなのかと、意地悪な疑問がわく。
個人的には電話が未だに契約や連絡のための手段として、権威のようなものを
保っていることに疑問を禁じ得ない。個人的に非常に電話が嫌いというのが
正直大きいが、相手と直接、即時のやりとりを行えるというメリットがある
だけで、留守電を入れれば必ず聞いているだろうとか、かければいつでも繋がる
だろうとか、かけることに意味があるとか、そういう信仰めいた思いこみが
膨らみ気味なのではないかと思う。
個人的には不在のおしらせを入れてくれるだけで十分で、あとはこちらの都合に
合わせてことが運ぶことになるだろうから、それを望むのであるが、正直電話を
留守電の音声の内容からメモをとって、それに応じてかけ直すのは面倒すぎる。
話した方が早いという場面はもちろんあって、そんな時には電話は非常に便利だ。
しかし、それだけである。それ以上を期待したり、あると信じるのは、少々おかしい。
それにしても、電話嫌いは身の回りでも何人か見てきたが、何でこんなにも電話が
嫌いなのか自分自身でもよく解っていなかったりする。
かかってくるのも、かけるのも嫌である。
らしい。その旨が月曜の昼に電話でかかってくる。仕事のため出られず、
留守電で確認できたのは夜になってから。その電話では改めての配送時刻を
話し合いたいので、折り返しの連絡を請う旨も含まれていたが、それは例えば
深夜とかでも大丈夫なものなのかと、意地悪な疑問がわく。
個人的には電話が未だに契約や連絡のための手段として、権威のようなものを
保っていることに疑問を禁じ得ない。個人的に非常に電話が嫌いというのが
正直大きいが、相手と直接、即時のやりとりを行えるというメリットがある
だけで、留守電を入れれば必ず聞いているだろうとか、かければいつでも繋がる
だろうとか、かけることに意味があるとか、そういう信仰めいた思いこみが
膨らみ気味なのではないかと思う。
個人的には不在のおしらせを入れてくれるだけで十分で、あとはこちらの都合に
合わせてことが運ぶことになるだろうから、それを望むのであるが、正直電話を
留守電の音声の内容からメモをとって、それに応じてかけ直すのは面倒すぎる。
話した方が早いという場面はもちろんあって、そんな時には電話は非常に便利だ。
しかし、それだけである。それ以上を期待したり、あると信じるのは、少々おかしい。
それにしても、電話嫌いは身の回りでも何人か見てきたが、何でこんなにも電話が
嫌いなのか自分自身でもよく解っていなかったりする。
かかってくるのも、かけるのも嫌である。