自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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ボケてもがんでも 死ぬまで我が家   7  看取りの意味

2022-05-01 05:37:15 | 介護


以下、著者が看取りを終えてのエピローグです。
p.302 人間は元来「精神の生き物」です。
   病院はボロボロになって死にそうな身体をあの手
   この手で長持ちさせようと手を尽くしてくれます。

   ありがたいことではあります。けれどもいかにして
   最後まで「幸せに満ち足りて」生きるかまでは考えて
   くれません。

   死を目前にした患者が生きる意欲をなくし、不安と
   恐怖におののいたとしても、それらを癒す妙薬を処方
   してくれるわけではないのです。

   もちろんそれは個人個人の問題であって、医療者に
   期待すべきものではないでしょう。

   不治の病が進行し、積極的な治療をしないと決め、
   医療の出番が少なくなるにつれ、より一層あらわに
   なってくるのは「心模様」でした。

   共に生き、共に目の前に迫る死を見つめる。今生の別れが
   いかに悲哀に満ちたものであるか、そこに至るまでの道のりが
   いかに苦しみに満ちたものであるか。

   その時間をともに過ごし、夫と手をつないでいる手を時に
   強く握りしめてあげることがどれほど大切なことか。
   死の看取りとは自分と相手の心を深く見つめるかけがえのない
   時間
だったと思います。


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