![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/2c/405fb0dc87a2990488aa1a166dc1e557.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/d1/415be7476e33d17bc9e819cdaa39c9f0.jpg)
写真はドロミテと全く関係のない、ベトナム・ハロン湾です。
「ベトナムはあれで終りなの~??」という質問がきて、思い出しました。
あの時は、世界遺産・ハロン湾見学がメイン目的だったのです。
本日の主題はタイトルの本の説明です。
角田光代・著 2004/7 岩波書店
副題はイタリア・アルプス・トレッキング
友人や親戚から「イイよぉ~」と聞かされ続けているドロミテ山塊。
私の旅は、そんな知り合いからの情報にアンテナが反応したら、
自分で本を探すことから始まります。
この本の良いところは、ただのガイドブックではなく、
登山は初心者だけれど、物書きである著者が、色々な切り口で
山・自然の素晴らしさを伝えてくれることと、
登山ガイドのルイージ・マリオ氏について詳しく書いてくれていること。
マリオ氏がClimberであり、僧侶であることに大きな親近感を覚えました。
いつものように、私の心に残った言葉の数々をメモっておきます。
***************************************************
P.159
彼は「キリスト教は自分には違和感があった。」そして
「仏教には(その違和感を)感じなかった。」そうです。
仏教の何がよかったか?
「仏教は禅を組む。そうして悟りの境地をずっと待つ。それは自分にしか
わからない。禅の先にあるものは、自分でいって、自分で見ないとわからない。
見たことのないものを、ただ言葉で説明されて、
これを信じなさいと言われても、私には信じることができない。
自分の目で、体で、見たり知ったりしていないから。
けれど仏教は違う。
見たり、感じたりできなければ、わからないまま、知らないまま、
捜していかなくてはならない。
仏教のそういうところが、自分の性にあったんだと思う。」
私もまったく、このタイプなのです。
***************************************************
P.164
「山に登っていると、頭のなかが空っぽになる。禅も同じ。
禅を組んでいると、自分自身が空っぽになる。
それで、自分以外の何か大きなものと一体になるという実感がある。
山と禅はよく似てるんです。」
***************************************************
P.189
「自然、という言葉を持ち出すとき、大切にしなければならないもの、
私たちが守るべきもの、とどうしても考えてしまう。
けれど今回、私が目にした自然は、あまりにも巨大で、
私の理解をはるかに越えていて、
<大切にする><守る>ような対象ではないと知った。
私たちは守るのではなく、守られなきゃならないのだ。
やさしいだけではないし、美しいだけでもない自然に、守られて暮らす。
そういう敬虔さを、だれもが持っていた。」