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↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/2(No.1074)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第18主日(マタイ14:13-21)
聖体をいただく私たちはイエスの手の中にあるパン
‥‥‥†‥‥‥‥
【期間限定】YouTubeで説教を視聴できます。
チャンネル登録歓迎します。
(ミサ再開のため、現在は古いもののみ視聴可)
‥‥‥†‥‥‥‥
「弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』」(14・17)人里離れた場所に五千人もの人が集まって、弟子たちは食べ物の心配をしています。しかし弟子たちは、イエスの起こす奇跡によって、自分たちがいる場所の見方が変わっていきます。
夏休みをいただいて、県内で小さな巡礼をしようと思います。最初は、もっと俗っぽいことを計画していましたが、一日千人を超える新型コロナウィルス感染者が出る状況では、計画は断念せざるを得なくなりました。計画は大幅に狂いましたが、最終的に巡礼に行くことになったのは、神様の考えがあったのでしょう。
巡礼地と言えば、焼罪殉教公園も立派な巡礼地です。最近カテキスタ委員会がかつて製作したという「カミロ・コンスタンツォ神父の殉教」を扱った紙芝居を手にしましたが、それによると海に突き出したあの丘は、対岸の平戸の人々から、カミロ神父様の火あぶりの刑がよく見えるようにと選ばれたのだそうです。実際にあそこが寸分違わぬ場所かどうかは分かりませんが、説明は理に適っていると思います。
この世の中には、「廃墟」に特別な興味を持つ人がいると言います。「廃墟女子」という言葉すらあるそうです。廃墟もかつては人が住み、生活感があり、活気に満ちていましたが、そののちに廃れた場所です。表面的には薄汚く、誰も寄せ付けない雰囲気を持っています。
しかしある人たちはその廃墟に、人間生活を読み取ります。廃墟に人間の営みが読み取れることで、おそらく廃墟を訪れる人にとって価値が上がるのでしょう。廃墟ですらそうですから、焼罪公園についてはなおさら当てはまるのではないでしょうか。
7月の中旬、けいこの時間に小学校上級生の子供達を連れて焼罪殉教公園に向かいました。この時カテキスタ委員会が作成した紙芝居も持って出かけました。最初に祭壇の前に子供達を集めましたが、子供達にとっては緑に囲まれた公園にしか見えなかったでしょう。紙芝居を読み終え、もう一度公園を見渡した時に、子供達にも少し、この場所が違って見えたはずです。対岸の平戸ザビエル教会とその周辺からこの丘が見える。その意味が、違って見えたと思います。
福音に戻ります。弟子たちは集まった大群衆の身体的疲労を心配していました。群衆をこのまま残らせるのは、群衆を危険にさらすことになると考え、解散を命じてくださいとイエスに促すのです。しかしイエスにはたとえどんな場所でも、イエスがおられる場所は豊かであることを証明します。
そのためにまずイエスは、これから起こることをあらかじめ言葉で知らせました。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(14・16)弟子たちはイエスの復活後もこの言葉を思い出したでしょう。イエスが共におられるから、弟子たちは群衆に食べるものを与えることができるのです。
それでも弟子たちは目の前の心配が拭いきれません。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」(14・17)直前のマタイ13章を重ねて考えると、「種を蒔く人」のたとえで蒔かれた御言葉が豊かに実を結ぶことを学んでいたでしょうし、「からし種」と「パン種」のたとえでも、あるいは「天の国」のたとえでも、大切なのはイエスが誰であるかを理解し、学んだ者として留まることだと気づいているはずです。それなのに、五千人の群衆という「大きな試練」が大切なことを忘れさせていました。
「それをここに持って来なさい」(14・18)。外国語の翻訳も参考にしてもう少し言葉を付け加えましょう。「それをここに、わたしの所に持って来なさい。」イエスの手の中に、五つのパンと二匹の魚が置かれた時、豊かになります。イエスと繋がりを持ったなら、その土地その人は豊かになります。
弟子たちはたんに五つのパンと二匹の魚の奇跡を見たのではありません。「イエスの手の中に置かれた五つのパンと二匹の魚の奇跡」を見たのです。私たちは当時の人里離れた場所に立ち会うことはできませんが、イエスの手の中にある五つのパンと二匹の魚を想像することができます。イエスの手の中にある時、それは五つのパン、二匹の魚のままでは終わらないのです。
私たちも、同じ経験ができないでしょうか。私たちが同じ経験をするとしたら、このミサではないでしょうか。そしてミサの中でイエスが五つのパン、二匹の魚となってくださり、私たちを満たし、私たちを通して驚くべきわざを行うのです。
私たちは日曜日ごとにここに集まっています。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」弟子たちが言う通り、ここには大勢の人を食べさせる食事はありません。けれども私たちがいただくパンは、司祭が、イエス・キリストの身分において父なる神におささげしたパンです。イエスの手の中に置かれたパンは、いつも大きな働きをします。私たちが日曜日ごとに御聖体に養われるなら、私たちが大きな働きをする手足となれるのです。
人里離れた場所で、あっと驚く教えを学んだ弟子たちのように、イエスは私たちにも呼びかけます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(14・16)今度は私たちが「イエスの手の中にあるパン」となって、絶望の中に希望を、悲しみの中に喜びを、暗闇の中に光をもたらしましょう。私たちが小さなパンとなって、人に配られるために出かけましょう。私たちはここ、イエスが招かれたこの聖堂で、人に働きかけるのに十分な力を受けたのですから。
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‥次の説教は‥‥
年間第19主日(マタイ14:22-33)
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ちょっとひとやすみ
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▼ジャパンネット銀行の口座を持っている。この銀行は店舗を持たないネット銀行なので、入出金の際に他行の提携ATMを利用する必要がある。最近、提携ATMの利用手数料を取られ、がっかりした。
▼こういうことだ。思いがけない臨時収入があり、それを入金しようと、ゆうちょATMを利用した。提携ATMの一つであり、身近な場所にあるので、必然的にここから入金することになる。前回がいつだったか覚えていないが、前回までは手数料無料だった。
▼ところが今回は330円、手数料を取られている。何ということだ!一年で100円も利子が付かないのに、一回の手数料で330円取られた。これで三年分の利子が吹っ飛んだ。それにしても、手数料330円とはたいした度胸だ。振込用紙は使っていない。月に何度提携ATMを使ったか考えたが、2回目だったかな。
▼納得がいかず、ネットで調べてみた。ちゃんと書かれていた。「3万円以上の入出金はいつでも手数料無料。3万円未満はその月の2回目からゆうちょ330円、セブン銀行イオン銀行ローソンATM他165円。」なんだって?「ゆうちょ銀行」がいちばん高いではないか。
▼臨時収入は2万円だった。手数料引かれて入金するくらいなら、3万円になるまで入出金は控えよう。どうしても利用しなければならない時は、これからはセブン銀行のATMをお借りすることにしよう。
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今週の1枚
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第681回目。LANケーブルを自作してみた。苦労したが、道具を選べば簡単らしい
ホームページもご覧ください。
http://ss104313.stars.ne.jp/
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今週の「笑える」
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「それって『ねみみず』だね~」「たぶんそれ、『寝耳に水』だね」
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/8/2(No.1074)
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「弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』」(14・17)人里離れた場所に五千人もの人が集まって、弟子たちは食べ物の心配をしています。しかし弟子たちは、イエスの起こす奇跡によって、自分たちがいる場所の見方が変わっていきます。
夏休みをいただいて、県内で小さな巡礼をしようと思います。最初は、もっと俗っぽいことを計画していましたが、一日千人を超える新型コロナウィルス感染者が出る状況では、計画は断念せざるを得なくなりました。計画は大幅に狂いましたが、最終的に巡礼に行くことになったのは、神様の考えがあったのでしょう。
巡礼地と言えば、焼罪殉教公園も立派な巡礼地です。最近カテキスタ委員会がかつて製作したという「カミロ・コンスタンツォ神父の殉教」を扱った紙芝居を手にしましたが、それによると海に突き出したあの丘は、対岸の平戸の人々から、カミロ神父様の火あぶりの刑がよく見えるようにと選ばれたのだそうです。実際にあそこが寸分違わぬ場所かどうかは分かりませんが、説明は理に適っていると思います。
この世の中には、「廃墟」に特別な興味を持つ人がいると言います。「廃墟女子」という言葉すらあるそうです。廃墟もかつては人が住み、生活感があり、活気に満ちていましたが、そののちに廃れた場所です。表面的には薄汚く、誰も寄せ付けない雰囲気を持っています。
しかしある人たちはその廃墟に、人間生活を読み取ります。廃墟に人間の営みが読み取れることで、おそらく廃墟を訪れる人にとって価値が上がるのでしょう。廃墟ですらそうですから、焼罪公園についてはなおさら当てはまるのではないでしょうか。
7月の中旬、けいこの時間に小学校上級生の子供達を連れて焼罪殉教公園に向かいました。この時カテキスタ委員会が作成した紙芝居も持って出かけました。最初に祭壇の前に子供達を集めましたが、子供達にとっては緑に囲まれた公園にしか見えなかったでしょう。紙芝居を読み終え、もう一度公園を見渡した時に、子供達にも少し、この場所が違って見えたはずです。対岸の平戸ザビエル教会とその周辺からこの丘が見える。その意味が、違って見えたと思います。
福音に戻ります。弟子たちは集まった大群衆の身体的疲労を心配していました。群衆をこのまま残らせるのは、群衆を危険にさらすことになると考え、解散を命じてくださいとイエスに促すのです。しかしイエスにはたとえどんな場所でも、イエスがおられる場所は豊かであることを証明します。
そのためにまずイエスは、これから起こることをあらかじめ言葉で知らせました。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(14・16)弟子たちはイエスの復活後もこの言葉を思い出したでしょう。イエスが共におられるから、弟子たちは群衆に食べるものを与えることができるのです。
それでも弟子たちは目の前の心配が拭いきれません。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」(14・17)直前のマタイ13章を重ねて考えると、「種を蒔く人」のたとえで蒔かれた御言葉が豊かに実を結ぶことを学んでいたでしょうし、「からし種」と「パン種」のたとえでも、あるいは「天の国」のたとえでも、大切なのはイエスが誰であるかを理解し、学んだ者として留まることだと気づいているはずです。それなのに、五千人の群衆という「大きな試練」が大切なことを忘れさせていました。
「それをここに持って来なさい」(14・18)。外国語の翻訳も参考にしてもう少し言葉を付け加えましょう。「それをここに、わたしの所に持って来なさい。」イエスの手の中に、五つのパンと二匹の魚が置かれた時、豊かになります。イエスと繋がりを持ったなら、その土地その人は豊かになります。
弟子たちはたんに五つのパンと二匹の魚の奇跡を見たのではありません。「イエスの手の中に置かれた五つのパンと二匹の魚の奇跡」を見たのです。私たちは当時の人里離れた場所に立ち会うことはできませんが、イエスの手の中にある五つのパンと二匹の魚を想像することができます。イエスの手の中にある時、それは五つのパン、二匹の魚のままでは終わらないのです。
私たちも、同じ経験ができないでしょうか。私たちが同じ経験をするとしたら、このミサではないでしょうか。そしてミサの中でイエスが五つのパン、二匹の魚となってくださり、私たちを満たし、私たちを通して驚くべきわざを行うのです。
私たちは日曜日ごとにここに集まっています。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」弟子たちが言う通り、ここには大勢の人を食べさせる食事はありません。けれども私たちがいただくパンは、司祭が、イエス・キリストの身分において父なる神におささげしたパンです。イエスの手の中に置かれたパンは、いつも大きな働きをします。私たちが日曜日ごとに御聖体に養われるなら、私たちが大きな働きをする手足となれるのです。
人里離れた場所で、あっと驚く教えを学んだ弟子たちのように、イエスは私たちにも呼びかけます。「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」(14・16)今度は私たちが「イエスの手の中にあるパン」となって、絶望の中に希望を、悲しみの中に喜びを、暗闇の中に光をもたらしましょう。私たちが小さなパンとなって、人に配られるために出かけましょう。私たちはここ、イエスが招かれたこの聖堂で、人に働きかけるのに十分な力を受けたのですから。
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ちょっとひとやすみ
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▼ジャパンネット銀行の口座を持っている。この銀行は店舗を持たないネット銀行なので、入出金の際に他行の提携ATMを利用する必要がある。最近、提携ATMの利用手数料を取られ、がっかりした。
▼こういうことだ。思いがけない臨時収入があり、それを入金しようと、ゆうちょATMを利用した。提携ATMの一つであり、身近な場所にあるので、必然的にここから入金することになる。前回がいつだったか覚えていないが、前回までは手数料無料だった。
▼ところが今回は330円、手数料を取られている。何ということだ!一年で100円も利子が付かないのに、一回の手数料で330円取られた。これで三年分の利子が吹っ飛んだ。それにしても、手数料330円とはたいした度胸だ。振込用紙は使っていない。月に何度提携ATMを使ったか考えたが、2回目だったかな。
▼納得がいかず、ネットで調べてみた。ちゃんと書かれていた。「3万円以上の入出金はいつでも手数料無料。3万円未満はその月の2回目からゆうちょ330円、セブン銀行イオン銀行ローソンATM他165円。」なんだって?「ゆうちょ銀行」がいちばん高いではないか。
▼臨時収入は2万円だった。手数料引かれて入金するくらいなら、3万円になるまで入出金は控えよう。どうしても利用しなければならない時は、これからはセブン銀行のATMをお借りすることにしよう。
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今週の1枚
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今週の「笑える」
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「それって『ねみみず』だね~」「たぶんそれ、『寝耳に水』だね」
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† 神に感謝 †