こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第3主日(ルカ3:10-18)当たり前のことをする中に準備を織り込む

2018-12-15 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/181216.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)

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こうじ神父
「今週の説教」
18/12/16(No.976)
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待降節第3主日
(ルカ3:10-18)
当たり前のことをする中に準備を織り込む
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「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。」(3・18)今週の福音朗読の結びを読みながら、二度見したと言いますか、腑に落ちないなと私は思いました。「福音」はイエスがもたらすはずのものです。なぜイエスと出会う前に、洗礼者ヨハネは福音を告げ知らせていたと書かれているのでしょうか。

移転を控えている坊田公民館の前を通り過ぎる時に、道路反対側の小屋に面白い看板を目にしました。黒い下地に、目立つように白と黄色のペンキで、こう書いてありました。「天の国は近い。罪を悔い改めなさい。」念のため、写真を撮ってきました。

余程、私たち田平教会に対抗意識があるのでしょうか。坊田地区の人たちが悔い改めないから、強い口調で警告を発しているのでしょうか。その辺は分かりませんが、いつまでこの張り紙を貼るのか興味深いです。ご復活の頃にも貼ってあるなら傑作です。またその時期に注意して見てみたいと思います。

福音朗読に戻りましょう。悔い改めは洗礼者ヨハネのほうが専門家です。彼は自分には厳しい生活を課していましたが、集まってきた群衆には、それぞれの生活の中で、当然払うべき努力の範囲で生活を神に向け直すように促しました。決して無理なことを要求しませんでした。

もしかしたら、無理難題を要求した方が、受けが良かったかも知れません。ですがヨハネは決してそんな態度に出ませんでした。当時の宗教指導者たちが平気で背負いきれない重荷を民衆に背負わせていたのとは対照的でした。「イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。」(ルカ11・46)

ヨハネの示した方向に、福音があるのだと思います。来たるべき方を信じて歩く。無理難題の向こうに福音があるのではなく、徴税人も罪人も、イエスを信じて歩くなら、そこに福音があるのです。ヨハネは本能的にそれを理解していて、そのように民衆に説いたのです。

実際イエスも出会うすべての人に、ご自身を信じてついてくるようにと促しました。その中には徴税人も罪人もいました。決して受け入れようとしない宗教指導者たちにも、指導的立場に留まりながらイエスの示す方向に向き直るためあらゆる手を尽くしました。十字架の上でさえも、同時にはりつけにされている罪人に神に向き直るためのチャンスを与え、一人は回心しました。

ヨハネはまだイエスを見ないうちから、聖霊によってイエスの方向に人を向き直らせ、福音を告げ知らせたのでした。人をイエスの指し示す方向に向き直らせる時、すでにその人は福音を告げ知らせているのです。下着を二枚持っている者が一枚を分けてあげるとき。食べ物を分けてあげるとき。規定を守ってお願いするとき。自分の給料で満足し、感謝できるとき。すでにその人の中で、福音が芽生えているのです。

私たちは福音を告げ知らせる者でなければなりません。だれもが、イエスの示す方向に人を案内する者でなければなりません。それは日常を超えた特別な使命ではなく、今日果たすべきことを果たして、その先をちょっと眺めたときにイエス・キリストがおられる。その積み重ねなのです。

「だれか失敗して私にチャンスが回ってこないだろうか。」この考えの先に、イエス・キリストが待っておられるでしょうか。おられないと思います。「だれかに責任を負わせたら、私が責任を逃れることができる。」これまた同じことで、その先を見つめてもイエス・キリストは待っておられないでしょう。

私たちも今は、洗礼者ヨハネのように「わたしよりも優れた方」(3・16)を待っています。今の生活の積み上げの先に、イエス・キリストをお迎えする場所が用意できるでしょうか。たとえそれが家畜小屋のような粗末な場所であっても、誠実な準備を積み重ねているなら、イエス・キリストを迎えるのにふさわしい部屋を用意できます。

「わたしたちはどうすればよいのですか。」腰が引けるような大げさな準備は必要ありません。形式張ってだれかに言ってもらう必要もありません。あなたの今の生活の中で、救い主を迎える準備は必ずできるのです。

あと少し、人に親切にするとか、あと少し、怒りたい気持ちを我慢するとか、そんな身近な努力で、イエス・キリストを迎えるための静かで暖かい部屋を整えましょう。幼子としておいでになる救い主が、私たちの心を住まいとしてくださる日が近づいています。

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‥次の説教は‥‥
待降節第4主日
(ルカ1:39-45)
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ちょっとひとやすみ
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▼とうとう宗教家が金で解決する事態となった。大げさな言い方だが、金で解決したのはこれから書く三点である。
▼(1)ノートパソコンのイヤホンジャックにイヤホンを差したのに利用できなかったので、イヤホンジャックの細かな設定を探る努力をせずに解決できそうな備品を買ったこと。
▼(2)冬になり、重宝する靴下を探したが見つからず、また買ったこと。(3)バイクのバッテリーが上がってしまい、車庫から教会正門下までのスロープで3度押しがけを試したがうまくいかず、バイク屋さんを呼んでお金で解決したこと。
▼お金を出す前に、何とかできなかったかと思うが、特にバイクのバッテリー上がりは、この一週間急に気温が下がり、油断していてバッテリーの残量がみるみる減ったのだと思う。3回押しがけして、筋肉痛でお尻が痛くなった。
▼貧乏暇なし。23日は主日の説教、24日夜はクリスマス夜半の説教、25日朝はクリスマス日中の説教。30日は主日の説教、1月1日は神の母聖マリアの説教、2日は里帰りした人たち30人への黙想会説教。1月20日は佐世保地区で講座を受け持っていて45分の講話。貧乏暇なし。

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今週の1枚
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第583回目。「天の国」は近いそうだ。似たような看板をかつて五島でも見た。

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† 神に感謝 †
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