こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

四旬節第4主日(ヨハネ3:14-21)独り子を信じるという道が与えられた

2021-03-13 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2021/3/14(No.1110)
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四旬節第4主日(ヨハネ3:14-21)
独り子を信じるという道が与えられた
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「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3・16)復活の主日まであと三週間となりましたが、今週四旬節第4主日が復活の主日までの鍵となりそうです。

朗読された箇所はヨハネ福音書の3章、「ニコデモとの対話」という物語です。第3章ですから、イエスの御生涯のクライマックスではなく、割と早い場面でのやり取りです。イエスが語りかける相手はファリサイ派に属するニコデモです。朗読箇所よりもあとになりますが、ニコデモはイエスから「イスラエルの教師」と呼ばれていることから、かなり突っ込んだ話がなされていると分かります。

イエスはここでは多く語りますが、御受難に近づいてくるとほとんど語らなくなります。十字架上では、ついに何も語らなくなります。これからの三週間で、「多く語っているイエス」と「何も語らないイエス」、どちらも「神がお与えになった独り子」であることを理解する。この長く困難な道を歩く必要があります。

3月11日は東日本大震災が発生してから10年を迎える日でした。多くの命が奪われました。多くの人の生活基盤も失われました。また、新型コロナウィルスの脅威にさらされて、すでに1年が経っています。ここでも多くの命と多くの人の生活基盤が失われました。

幸いに、ほとんどの人が懸命に前を向いて歩いています。どれだけ基盤となるものを失われても、どこかに「決して失われないもの」があって、それをよりどころにしてここまで歩いてきました。計り知れない恐怖が二つ襲いましたが、それでもなお取り去られない基盤があることを体験によって学んだのです。

人によってはそれを「震災に負けない」「コロナに負けない」と表現するかも知れません。キリスト者であればもっと別の表現ができるでしょう。それは「独り子を信じる」という生き方、あるいは「道」です。

個人的なことですが、3月12日は55歳の誕生日でした。去年の誕生日に、新型コロナウィルスの影響でおよそ2ヶ月ミサが中止になるとは夢にも思いませんでした。司祭の生活の基盤はミサですから、私も生活の基盤を奪われたわけです。

それでも、ミサを休むわけにはいきませんので、個人的にミサを続けながら次のように考えました「ミサの奉納金がなくても、ミサをささげることが司祭の生活の基盤である。」痛みを伴って初めて理解できたのでした。

ミサの依頼があれば、「○○さんの依頼で、○○○○の為」という意向を持ってミサをします。公式のミサが中止になって、私は何の為に、ミサをささげるべきか。毎日考えました。私にできること、私が祈るべきことを考えさせられる期間でした。

そこで最後に得たことは、「イエス・キリストを信じる道」「独り子を信じる道」は、どんな困難の中でも決して奪われることがないということでした。人によっては同じことを「震災に負けない」「コロナに負けない」と表すかも知れませんが、私は「独り子を信じる人は負けない」と言い表せると思うのです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3・16)これまでの生活基盤は、ある時すべて奪い取られることがあると、経験によって知りました。それでも前を向いて歩いている人は、きっとこれまでの基盤とは根本から違う何かを、新しい基盤にして歩き始めているのです。

中田神父はそれこそ「独り子を信じるという生活基盤なのですよ」と伝えたいのです。多くの人が知らずに、新しい生活基盤に立って前に進んでいます。人はそれを「震災に負けない」「コロナに負けない」という言葉で理解しようとしています。知らずに頑張っている人に、「実はそれが、『独り子を信じるという道』なのです」と知らせたいのです。

想像を超える困難を経て、私たちは「元の生活には戻れないのだ」と、はっきり理解しました。失ったものも、壊されたものも、もう戻っては来ない。だから、別の道を選んでほしい。「独り子を信じる」という新しい道を選んでほしいのです。

私たちキリスト者にとって、この四旬節は神の望みにしっかり向き直る季節です。過去の生活基盤にしがみつくのではなく、「独り子を信じる」という生活基盤の大切さを噛みしめる時期です。ミサがなかった時、各自が違う形で「独り子を信じる」生き方を探したことでしょう。その体験は貴重な体験です。

できれば、生き方を通して、周りの人に、どんな困難に遭遇しても決して奪われない基盤を知らせることのできる人に育っていきましょう。「震災に負けない」「コロナに負けない」この思いをキリスト者である私はこう理解している。そんな証ができるように、ミサの中で恵みを願っていきましょう。

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‥次の説教は‥‥
四旬節第5主日(ヨハネ12:20-33)
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ちょっとひとやすみ
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▼およそ1年前、初聖体を延期した。新型コロナの「第一波」が襲ってきたからだ。都市部ではもっと早かったかも知れないが、3月下旬に、ミサなどの礼拝は中止となった。今年は少し状況が違っている。ただ一都三県は、まだ再開できないかも知れない。
▼1年前、最初の「公式ミサ中止」が通達された。心のどこかでは「思いがけず、時間を与えられた」と思ったりもしたが、遠足の前の日のような気分は1ヶ月中止になった中で吹っ飛んでしまった。次にミサが中止になれば、暗く沈んだ期間になるだろうと思った。
▼1年が経った。状況は少し改善している。そして心がけも、1年で変わってきた。初めて経験する困難を、まったく新しい取り組み、視点で乗り越え、学びとして次に伝えることを考えるようになった。どんな困難の中にも、私たちを新しくする材料が隠されている。

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今週の1枚
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第717回目。神社の鳥居じゃないよ。野外ミサで使いたい組み立て式祭壇。

http://ss104313.stars.ne.jp/210314.jpg
ホームページもご覧ください。
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