こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第26主日(ルカ16:19-31)その生き方は父なる神の目に留まりますか

2019-09-28 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190929.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/9/29(No.1024)
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年間第26主日
(ルカ16:19-31)
その生き方は父なる神の目に留まりますか
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年間第26主日C年の福音朗読の頃は、決まって司祭団のソフトボール大会があっているようです。三年周期の主日の福音朗読を遡っていくと、大会直後は見事に金持ちとラザロの例えが朗読されています。まるでソフトボールの報告会をしなさいと言っているかのようです。

その司祭団ソフトボール大会ですが、4チームが出場しました。長崎からは、優勝を狙った選抜Aチームと、「その他」の神父様で構成するBチーム、上五島下五島合同チーム、佐世保平戸合同チームの4チームです。一回戦は第一試合が佐世保平戸チームと五島チーム、第二試合が長崎AチームとBチームでした。ここで勝ったチーム同士で午後は決勝戦、負けたチーム同士で三位決定戦が組まれます。

第一試合に出た佐世保平戸合同チームは五島チームと対戦し、練習をたくさんしたのであっという間に5対0とリードしました。「楽勝か?」と思ったのがいけなかったですね。試合は6対6の引き分けになりました。午後のために優劣を付けなければなりませんが、何と大会本部が「全員、打順で並んで、相手とジャンケンしてください。勝った人の多いほうが午後の決勝戦に回ります」と言うのです。運悪く、ジャンケンに負けてしまい、私たちは三位決定戦に回りました。

第二試合は長崎同士の対戦でした。まぁ、優勝を狙っているA選抜チームが順当に勝ちました。午後は第三試合が佐世保平戸チームと長崎Bチームで三位決定戦、最後の第四試合が長崎A選抜と五島チームで決勝戦となりました。三位決定戦で佐世保平戸チームは奮起し、「ヒットヒット、ホームラン」「ヒット、ホームラン」「満塁、ホームラン」みたいな感じで21対7で大勝しました。私も流れに乗ってホームランを打ちたかったのですが、2塁打止まりで、6打席3安打に終わりました。

最終結果はどうなったか?決勝戦に残ったチームが優勝と準優勝です。長崎A選抜が2戦全勝で優勝は当然ですが、五島チームはジャンケンで勝ち上がって決勝戦負けたので、1敗1引き分けなんですよね。それからすると三位決定戦で大勝した私たちは1勝1引き分けで三位。これには何となく不満が残りました。

今回私は初めてのポジションを守りました。キャッチャーです。何をするかというと、「締まっていこう」「おー、ワンナウト」「セカンド行くぞ」など声を出すことと、得点に絡む場面でホームを守るということです。声出しは必死にやりましたが、ホームでランナーをアウトにはできませんでした。

キャッチャーを初めてやってみて、困ったことがありました。メガネをかけてキャッチャーマスクをかぶるのは相当難しかったです。帽子までも邪魔になって、マスクがうまくかぶれません。そのうち帽子が邪魔になって、帽子を脱いでマスクをかぶりました。すると、大会終了後に何人かの先輩や神学院の院長をしている同級生から言われたのです。「お前、ちょっと頭見せてみ?あの暑い中、帽子かぶらずにマスクして、てっぺんに十字架の焼き印が付いてないか?」あれは心配して言ったのではなくて、きっと冷やかしで言っていたのだと思います。

ただ嬉しかったのは、必死に声を出してキャッチャーをしたことが、味方だけでなく相手チームや試合に関わっていない司祭たちの目にも留まっていたということです。正直に言いますと、私は今回どのポジションであっても「うるさい」と思われるくらいに声を出すつもりで乗り込んでいました。長崎市内の信徒の方が応援に来ていて、「あー、中田神父があそこにいるな」と意識させたかったのです。

観戦している人はどんなにか「うるさい」と思ったことでしょう。それでも、大声を出し続けました。私は応援の人を自分の意識から排除するために、大声を出していたのかも知れません。その甲斐あってか、最終打席はいちばん試合に集中できて、2塁打を打つことができました。

「この回押さえていこう!」私の叫び声はチームメートからも浮いていたかも知れません。それくらい大きな声を出して、できることを全力で果たしました。今年、ホームランは打てませんでしたが、やり切ったと思っています。

ここまで福音朗読にまったく触れなかったのですが、今回一点だけ触れたいと思っています。「その生き方は、父なる神の目に留まりますか?」ということです。金持ちで、毎日贅沢に遊び暮らした人は、父なる神の目に留まる生き方をしないで死にました。

一方、できものだらけのラザロは、金持ちの門前で野垂れ死にしましたが、日々、神の憐れみにすがって、神の憐れみが金持ちを通して与えられたらと願いながら最期を遂げました。いつも、片時も忘れずに神の憐れみをこい求めていたラザロは神の目に留まり、アブラハムの懐に迎えてもらったのです。

人それぞれ、置かれた環境で神の目に留まる生き方をどう実践するか、違いがあるでしょう。金持ちも、毎日贅沢するほど豊かであれば、お返しのできないラザロや同じような境遇の人に惜しみなく施すこともできたはずです。一度でも「私の生き方は、父なる神の目に留まる生き方だろうか」と考えたなら、事態は違っていたでしょう。

今回私はキャッチャーという初めてのポジションを言われて、応援の観客も、相手チームの雑音も、バッターボックスの打者も、すべて追い出すくらいに声を張り上げました。それでやっと、自分の務めを果たせたのです。人の目に留まるためではなくて、人の目も雑音もすべて追い出した時に、仕事ができたのでした。

私たちも考えましょう。今の生き方は、父なる神の目に留まる生き方でしょうか。その生き方を、どんな雑音を耳にしても曲げずに貫けるでしょうか。雑音を追い出せるでしょうか。あなたの生き方を見た誰かが見えない神を捉え、「神の目に留まる生き方をこの人は貫いている。私もその生き方を見倣いたい」と考えるでしょうか。どこに置かれても、神の目に留まる生き方を追い求める人でありたいのです。

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‥次の説教は‥‥
年間第27主日(ルカ17:5-10)
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ちょっとひとやすみ
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▼昔「笑うに笑えない話」を聞いたことがある。かつては「赦しの秘跡をお願いします」と司祭館を訪ねる人がいた(私も経験がある)。主任司祭はたまたま来客をもてなしていた時だった。ひとまず司祭は「よく糾明(自分の罪を振り返ること)をしておきなさい」と言付け、司祭館に戻った。
▼運悪く、来客の応対をしていた主任司祭は告解人が待っていることを忘れたらしい。来客と談笑し、送り出してから告解人のことを思い出した。慌てて聖堂に行ってみると、長い時間待たされたその人は辛抱強く司祭が来るのを待っていた。
▼ひょっとしたら、司祭が談笑している笑い声も聞こえていたかも知れない。それでも自分が忘れられているとは夢にも思わず、じっと糾明を続けていた。こういう場合、人にもよると思うが、「しびれを切らして帰る人」と「じっと待ち続ける人」とに分かれるだろう。ひょっとすると第三の可能性「待つには待つが、主任司祭に腹を立てる人」の可能性もあるだろうか。
▼皆さんは気の遠くなるほど待たされた場合、どのような態度に出るだろうか。感覚的には、私だったら腹を立てて待つと思う。だが腹を立てるのもそう長くは続かないだろう。腹を立てるのも通り越して、結果的に辛抱強く待てるかも知れない。
▼振り返って私は、「その時が来る」のを辛抱強く待ったことがあっただろうかと自問自答する。答えにたどり着くまで問い続けるとか、自分の血と肉になるまで掘り下げるとか、与えられるまで願い続けるとか。どれ一つ実践してこなかった。簡単に手に入る答えに飛びついて、その場しのぎの対処を繰り返して、与えられなければ目先を変えてきた。
▼神様は必要な体験があれば必ずそれを体験させる。「その時が来るのを辛抱強く待つ体験」は、きっと誰にでも必要な体験だ。それを避けてきたのであれば、神様は私を決して放っては置かない。「そのまま待て」と言われて、「よく待った。よろしい」と言われるまで待たせる体験を必ず要求する。
▼「そのまま待て」これがいったいどれくらいの時間なのか。一ヶ月か半年か一年か。誰にも分からない。だが私はただの一度も「辛抱強くその時を待つ体験」を積んでいないのだから、どれだけ待たされるか分からないけれど「よろしい」と言われるまで待つ体験をしてみようと思っている。
▼「御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ、はしためが女主人の手に目を注ぐように、わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ、憐れみを待ちます。」(詩編123・2)実際には「時課の典礼(教会の祈り)」の翻訳が親しみがあるが、主人(女主人?)の手に目を注ぎ、その憐れみを待つ。「近くに来なさい。」

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今週の1枚
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第631回目。隣の松浦市は「アジフライの聖地」を宣伝しているらしい。面白い。

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† 神に感謝 †
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