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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/22(No.1261)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第29主日(マタイ22:15-21)
生き方で神のものは神に返す
‥‥‥†‥‥‥‥
「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」(22・18-19)イエス様のように私も問いかけてみましょう。「皆さん。ふだん使っているお金を見せなさい。」たとえば千円札は、だれの肖像と銘でしょうか。
毎日利用しているお金ですが、このお金に刷られている人物と私たちは、いったいどれくらい関わりがあるのでしょうか。千円札には野口英世が印刷されていますが、果たしてどれくらいお世話になった人物でしょうか。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(22・21)ユダヤの国をローマは征服し、支配していました。生活に行き渡っていた貨幣にはローマ皇帝の肖像が刻まれていましたが、当時の刻印技術ではぼんやりとした姿だったでしょう。そのように、人々とローマ皇帝との結びつきと言っても、ぼんやりしたものに過ぎませんでした。
それでも、何かしらの便宜は得ていたでしょうから、必要に応じて貨幣を使用することで世話になった分は返します。しかしそれよりも大事な「神のもの」は、どのように神に返せばよいのでしょうか。イエスは「できれば返してね」と言っているのではなく、強い命令として「神のものは神に返しなさい」と言っておられます。
ここで「どれが神のものか」を考えるのはあまり意味がありません。私たちの命は私たちが手に入れたものではないし、私たちに用意されている時間(人生と言っても良いですが)も、私たちが工面したものではありません。命と、どれくらい生きられるかの時間。どちらも神のものです。ですから私たちは命ある限り生きて、神にお返しをしなければなりません。
神にお返しをする生き方にもさまざまな形があります。森の木々は、成長する中で枝を伸ばしていきます。枝を切っても、また枝が伸びます。枝を神さまにお返しするものと考えるなら、木の幹は失わずに神さまにお返しすることができます。両立した生き方で神のものを神に返します。
ある人は、木の幹も最後に神さまにお返しします。自分の人生があるのは神様のおかげだったのだから、ありったけのものをお返しして構わない。幹の部分も喜んでお返しする人もいるでしょう。海外での話ですが、2022年、「パタゴニア」というキャンプ用品メーカー創業者が、すべての株式を環境団体に譲渡したことが話題になりました。毎年100億円を売り上げるメーカーですが、枝ではなく木の幹を手放しました。神さまが作られたこの地球環境のために、すべてを神に返したのです。
ここまでできる人はそんなにいませんが、これほど偉大な人でも、本人が生活に困るわけではありません。生きられなくなるわけではありませんし、時間も残されています。もし、本来なら残るはずの時間まで「神のものは神に返しなさい」と要求されたらどうなるでしょうか。
ほとんどの人は、「全財産を手放したのだから、時間まで手放す必要があるのですか?」と考えるでしょう。少なくとも、納得できないと返せないと考えるでしょう。人間ですから、「私の人生の残りの時間を、こんな形で返せと言われても困ります」そんな場面もあるでしょう。
無理とも思えるような形で「神のものは神に返しなさい」と言われて、私たちは従うことができるのでしょうか。「なぜですか」とさえ言いたくなる求めに、英雄的な形で応えた人々がいます。続きは、「牢屋の窄殉教祭」で話しましょう。どうぞ、おいでください。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第30主日(マタイ22:34-40)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼22日(日)は午後から牢屋の窄殉教祭のミサがある。打ち合わせもしっかりしたのに、私は殉教祭ミサの典礼を当日の朗読箇所と思い込んでいた。よく26聖人とか諸聖人とかで選ばれる「幸い」についての箇所だった。
▼年間第29主日の福音朗読に合わせてささっと原稿を書いて、Facebookにもアップしていたのだが、余裕の構えをしている時に限って何かが起こるものだ。慌てて修正を掛けること2時間。何とか、それらしく直した原稿ができあがった。神様は楽をしている人には厳しいのだとつくづく感じた。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第868回目。キンモクセイ。香りを思い出せる植物の一つ。季節はすっかり秋。
http://ss104313.stars.ne.jp/231022.jpg
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/10/22(No.1261)
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年間第29主日(マタイ22:15-21)
生き方で神のものは神に返す
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「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」(22・18-19)イエス様のように私も問いかけてみましょう。「皆さん。ふだん使っているお金を見せなさい。」たとえば千円札は、だれの肖像と銘でしょうか。
毎日利用しているお金ですが、このお金に刷られている人物と私たちは、いったいどれくらい関わりがあるのでしょうか。千円札には野口英世が印刷されていますが、果たしてどれくらいお世話になった人物でしょうか。
「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(22・21)ユダヤの国をローマは征服し、支配していました。生活に行き渡っていた貨幣にはローマ皇帝の肖像が刻まれていましたが、当時の刻印技術ではぼんやりとした姿だったでしょう。そのように、人々とローマ皇帝との結びつきと言っても、ぼんやりしたものに過ぎませんでした。
それでも、何かしらの便宜は得ていたでしょうから、必要に応じて貨幣を使用することで世話になった分は返します。しかしそれよりも大事な「神のもの」は、どのように神に返せばよいのでしょうか。イエスは「できれば返してね」と言っているのではなく、強い命令として「神のものは神に返しなさい」と言っておられます。
ここで「どれが神のものか」を考えるのはあまり意味がありません。私たちの命は私たちが手に入れたものではないし、私たちに用意されている時間(人生と言っても良いですが)も、私たちが工面したものではありません。命と、どれくらい生きられるかの時間。どちらも神のものです。ですから私たちは命ある限り生きて、神にお返しをしなければなりません。
神にお返しをする生き方にもさまざまな形があります。森の木々は、成長する中で枝を伸ばしていきます。枝を切っても、また枝が伸びます。枝を神さまにお返しするものと考えるなら、木の幹は失わずに神さまにお返しすることができます。両立した生き方で神のものを神に返します。
ある人は、木の幹も最後に神さまにお返しします。自分の人生があるのは神様のおかげだったのだから、ありったけのものをお返しして構わない。幹の部分も喜んでお返しする人もいるでしょう。海外での話ですが、2022年、「パタゴニア」というキャンプ用品メーカー創業者が、すべての株式を環境団体に譲渡したことが話題になりました。毎年100億円を売り上げるメーカーですが、枝ではなく木の幹を手放しました。神さまが作られたこの地球環境のために、すべてを神に返したのです。
ここまでできる人はそんなにいませんが、これほど偉大な人でも、本人が生活に困るわけではありません。生きられなくなるわけではありませんし、時間も残されています。もし、本来なら残るはずの時間まで「神のものは神に返しなさい」と要求されたらどうなるでしょうか。
ほとんどの人は、「全財産を手放したのだから、時間まで手放す必要があるのですか?」と考えるでしょう。少なくとも、納得できないと返せないと考えるでしょう。人間ですから、「私の人生の残りの時間を、こんな形で返せと言われても困ります」そんな場面もあるでしょう。
無理とも思えるような形で「神のものは神に返しなさい」と言われて、私たちは従うことができるのでしょうか。「なぜですか」とさえ言いたくなる求めに、英雄的な形で応えた人々がいます。続きは、「牢屋の窄殉教祭」で話しましょう。どうぞ、おいでください。
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年間第30主日(マタイ22:34-40)
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ちょっとひとやすみ
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▼22日(日)は午後から牢屋の窄殉教祭のミサがある。打ち合わせもしっかりしたのに、私は殉教祭ミサの典礼を当日の朗読箇所と思い込んでいた。よく26聖人とか諸聖人とかで選ばれる「幸い」についての箇所だった。
▼年間第29主日の福音朗読に合わせてささっと原稿を書いて、Facebookにもアップしていたのだが、余裕の構えをしている時に限って何かが起こるものだ。慌てて修正を掛けること2時間。何とか、それらしく直した原稿ができあがった。神様は楽をしている人には厳しいのだとつくづく感じた。
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今週の1枚
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第868回目。キンモクセイ。香りを思い出せる植物の一つ。季節はすっかり秋。
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