こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活徹夜祭(マタイ28:1-10)あなたは2020年のもう一人のマリア

2020-04-05 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2020/4/11(No.1057)
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復活徹夜祭(マタイ28:1-10)あなたは2020年のもう一人のマリア
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主の復活おめでとうございます。ここには実は誰もいません。まるでそれは、イエスが復活した瞬間のようです。もしイエスが復活して墓から出られたのであれば、今宵のように、誰もいなかったのでしょう。私はここから、今年の復活徹夜祭の説教を始めたいと思います。

今年の小教区黙想会で、ベルゴリオ枢機卿が教皇フランシスコとして選出される直前に、カリタスの黙想会で語った言葉を思い出しました。彼はカリタスの黙想会参加者に「 (問題は)イエスを聖具室に縛りつけていること」だと語り、イエスが戸口に立って呼びかけるヨハネの黙示録の一節を引用して、この話はイエスが中に入れてくれと戸を叩いている話ではなく、内側に閉じ込められているイエスが外に出してくれと言っている話であると思うようになったと述べたのでした(黙示録30・20)。

まさに、今年の復活徹夜祭はその思いでこの場にいます。私は、イエスを聖櫃に縛り付けるような説教をしてはいけないのです。イエスが外に出て、大胆に語ることができるような説教をしなければならないのです。その助けになればと思い、一つの思い出話を紹介します。

私は、大神学生時代にあっと驚く神父様に出会いました。その神父様は私と、私の先輩を外に連れ出して、初めて見る物、初めて聞くこと、初めて味わうものを経験させてくださいました。これは宇都宮で本当にあった出来事です。

最初は最高級ランクのステーキをおごってもらいました。そのあと生まれて初めてスナックに連れて行ってもらい、お店の人と歌を歌いました。見るもの聞くものすべてが、あっと驚くものでした。

しかしその神父様自身はそのすべてにまったく流されることなく、連れて行ってくれる前も連れて行ってくれた後も、まったく変わらない神父様でした。今日の福音朗読で例えるなら、番兵に過ぎなかった私は見るもの聞くものすべてに恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったのでした。

神父様は圧倒的なお姿で教えてくださったのです。「恐れることはない(中略)。あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ(中略)。さあ、出かけていって弟子たちに告げなさい。」復活したイエス・キリストを知った人は、何にも縛られることなく、まったく自由にキリストを告げ知らせるのである。私はそのことを出会った神父様から教わったのです。

今や、イエスは何にも縛られず、復活してすべての時間、すべての場所、すべての国に福音を告げ知らせます。ミサが中止され、自分の殻に閉じこもっている場合ではありません。あなたも私も、復活したキリストを自分の殻に閉じ込めることなく、「私を出して、告げ知らせに行ってくれ」と叫んでいる復活したキリストのお手伝いをしましょう。このメッセージを聞いたあなたは、2020年にイエスを墓に訪ねたマグダラのマリアともう一人のマリアなのです。

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‥次の説教は‥‥
復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
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ちょっとひとやすみ
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▼主のご復活おめでとうございます。黙想会などが開催された小教区はそう多くはないと思う。平戸地区では紐差教会、田平教会、平戸ザビエル教会、上神崎教会が黙想会を開くことができた。その仕上げ、「赦しの秘跡」で笑うに笑えない出来事があった。
▼司祭と告白者がやりとりをする中で、告白者が司祭の声を聞き取りづらかったらしい。「よく聞こえません」と言って、接近したのが分かる。私も仕方なく接近して、少し声を大きくする。その状態で私が心の中で考えた。「これって、『濃厚接触者』の状態だよね。」
▼Instagram(インスタグラム)という道具(アプリ)がある。Twitter(ツイッター)とか、そういうたぐいのものだ。この「インスタグラム」は「インスタばえ」という言葉があるとおり、写真を投稿して楽しむ場所だ。
▼ところが、私は写真はあまり趣味ではない。「今週の一枚」も、文字だけではあまりに味気ないので写真を載せているだけで、写真の腕に覚えがあるわけでも何でもない。だから、正直言ってInstagram(インスタグラム)は苦手なのである。
▼ところが、このInstagram(インスタグラム)に、ときどきフォロワーが付く。いつ掲載したか分からない写真を見た人が、フォローしてくるのである。次にいつ写真を掲載するかも、その写真の出来栄えがどうなるかもまったく見通せないのに、フォローしてくる。写真を見たいなら見ても構わないが、フォローしなくても良いではないか。
▼そこで仕方なく、Instagram(インスタグラム)の使い方を考えてみた。まったく趣旨にそぐわないのだが、使い方を思い付いた。興味がある方は”thomas.k.nakada”という名前のインスタグラムユーザーを検索して欲しい。Instagram(インスタグラム)の効果的な使い方が理解できないおじさんが出した結論だ。

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今週の1枚
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第664回目。植物は奪われても奪われても復活する。来年また使わせてね。

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† 神に感謝 †
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