こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活節第4主日(ヨハネ10:27-30)わたしの羊はわたしの声を聞き分ける

2019-05-11 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190512.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/5/12(No.1003)
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復活節第4主日
(ヨハネ10:27-30)
わたしの羊はわたしの声を聞き分ける
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「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」(10・27)福音朗読箇所の冒頭の部分ですが、「誰かの声と誰かの声を聞き分ける」それだけではないようです。少し掘り下げて、今週の糧といたしましょう。

先週中田神父は、代表を務めている「声の奉仕会マリア文庫」の設立40周年記念ミサと交流会に出席してきました。このボランティア団体は、目の不自由な方々に、録音などの音訳を用いて情報提供しお支えするという活動をしております。事務所が長崎市橋口町にありますが、すぐ近くには県立の「長崎点字図書館」がありまして、長崎で大会を開くようなときには協力したりしています。

このマリア文庫の設立40周年記念ミサの説教で、ちょうど今週の説教につながるかなぁという話をしました。マリア文庫は「声の奉仕」を通して視覚障害者に貢献しております。「声」は単なる「音」とは違うと考えています。単なる「音」は、そこから何かの考えや思いを汲み取ることはできませんが、「声」はすでに考えや思いが込められているわけです。受け取る相手は、「声」に込められた考えや思いを理解します。

こうした、考えや思いの詰まった「声」で視覚障害者に40年奉仕してきました。十分評価できる活動だと思いますし、誇りに思ってよいのですと、会員の皆さんをねぎらいました。この話は、たとえとして、今週の福音朗読の学びにお役に立つのではないでしょうか。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」イエスが羊たちにかけるのは、「声」です。羊を呼び、また羊が迷わないように導く「声」です。「声」を聞く羊は、「声」の主(ぬし)であるイエスの考えや思いを理解します。「声」を理解する羊ですから、それはイエスを受け入れた人々です。イエスの声に、安心して自分を委ねることができると理解したとき、イエスの声に従う人に変わります。単に声を聞き分けるのではなく、その声に喜んで従うのです。

イエスの声を聞き分け、イエスに従う一方で、イエスは「わたしは彼らを知っており」と言っています。イエスが、「名前や顔を知っている」というような意味なのでしょうか。そうではありません。聖書、特に旧約聖書で「知る」という言葉は「愛する」という言葉と置き換えられます。創世記では、「アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み・・・」(創世記4・1)ほかにも「再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。」という例があります。

ヨハネは、旧約聖書を深く理解し、念頭に置いて福音書を書きました。ですから「わたしは彼らを知っており」は、「わたしは彼らを愛しており」に置き換えられるわけです。
そうすると、イエスの次の言葉もつながりが良くなります。「わたしは彼らに永遠の命を与える。」(10・28)「知っている」というだけの人に永遠の命を与えるというのはつながりがよくありません。「愛している」という意味であれば、永遠の命を与えるというのはよく分かります。このように、ヨハネ福音書の中で「知る」という言葉が「愛する」という意味合いを持っていることがあるのです。

「声を聞き分ける」「知っている」これらの言葉がもっと踏み込んだ意味を持っていることが分かると、私たちも自分の態度を見つめ直す機会になります。私たちはイエスとどのようなつながりを保っているのでしょうか。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」私たちはイエスの声を、単に聞き分けるだけのつながりでしょうか。それだけではいけないのです。イエスの声に耳を傾け、聞き従う人でなければなりません。

私たちが、イエスの声に聞き従うとき、イエスは単に私たちを知ってくださるだけではなく、私たちを愛して、永遠の命を与えてくださいます。踏み込んで、イエスとのつながりを持ちたいと望む人に、イエスも踏み込んで永遠の命を与えるのです。

私たちはイエスとのつながりをどのように保ちたいでしょうか。年に一回のつながりですか。洗礼を受けてから亡くなるまで、七つの秘跡それぞれで一回だけのつながりですか。イエスとの踏み込んだつながりを、「聞く耳のある者」となって、永遠の命を味わうつながりを保ち続けることにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
復活節第5主日
(ヨハネ13:31-33a,34-35)
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ちょっとひとやすみ
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▼1000号過ぎたよ。990号あたりでは、「今か今か」と思っていたのだけれども、いざ1000号になってみると、忘れていた。ほんと、情けない話。この「ちょっとひとやすみ」を読んでいる人の中で、有料版を購読しておられる人がいるはず。その方は名乗り出てください。1000号記念を差し上げます。
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▼大阪で田平の人を訪ねたことを何人もの人から声かけられた。「喜んだことでしょう~」とみんなが言っていた。甲子園とセットで行ったわけだが、それでも田平の人を訪ねていったことがこんなに話題になるとは。田平を懐かしむ人は、他にもおられる。機会を見つけて訪ねたい。

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今週の1枚
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第610回目。ツルバラ。もう少しアーチに巻き付いてくれたら。福見のように。

ホームページもご覧ください。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

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† 神に感謝 †
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