こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活節第6主日(ヨハネ14:15-21)わたしたちをみなしごにはせず、弁護者を遣わす

2011-05-29 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
11/05/29(No.536)
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復活節第6主日
(ヨハネ14:15-21)
わたしたちをみなしごにはせず、弁護者を遣わす
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今週の福音朗読で、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」(14・18)というイエスの御言葉に注目してみました。弟子たちは、イエスがこの世を去って御父のもとへ行くことに不安を覚えていました。先週の福音朗読で、トマスは自らの不安を打ち明けます。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」(14・5)

ですから、今の段階では、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」と言われても、なかなか「分かりました」とは言えない状況でした。わたしたちも、何か重なりあう体験がなければ、同じく信頼するのは難しいでしょう。「わたしたちをみなしごにはしておかない」そういう体験をどこかでしているでしょうか。

わたしは一度、「決して一人にはしておかない」という強烈な体験をしました。知らない土地で迷ってしまい、大変迷惑をかけた末に見つけてもらったことがあります。それは高校を卒業した直後に自動車免許を取りに行った春休みのことです。

わたしは縁あって、佐世保の自動車学校で免許を取りました。わたしの父も教習を受けた先生のいる学校で、1ヶ月間佐世保の親戚の家に下宿して、自動車学校に通い、免許を取ることになったのです。

親戚の家から自動車学校までは結構な距離があって、自動車学校が出している送迎バスに乗せられて学校に行きました。初日、入校式などいろんな手続きを受け、6時頃に送迎バスに乗って6時半に朝乗せられた場所で降ろしてもらいました。

この日は2月の中旬で、6時半と言えばもうすっかり暗くなっている時間です。わたしは降ろしてもらった場所から歩き出しましたが、初めての夜道で道が分からなくなり、10分くらい歩いては降ろしてもらったバス停に戻り、また別の方向に10分歩いてはバス停に戻りといったことを何度も繰り返したのです。

そのうちに完全に迷ってしまい、どうにもならなくなって思い付いたたった一つのことは、「自動車学校に戻ってみるかなあ」ということでした。今になって考えると、近くの公衆電話から五島の実家に電話をかけて、親戚の家の電話番号を聞き出し、迷子になりましたと電話をかければ済んだことなのですが、子供だったわたしはそこまで頭が回らなかったのです。

3時間ほど歩き続けたでしょうか。夜の12時過ぎた頃に下宿させてもらうおじさん夫婦が車でわたしを見つけてくれて、すぐに車に乗せて連れ帰ってもらいました。「寒かったやろう」と心配してくれて、その日のことは何も咎められることはありませんでした。結局学校を卒業して免許を取るまで、けっしてあの時のことを責められたりはしませんでした。

どれだけ探しただろうかと、今になれば痛いほどよくわかります。けれども当時は、迷子になり、一人ぼっちになった不安で、頭の中は真っ白になっていました。保護者の代わりをしてくださるおじさん夫婦にしてみれば、行方不明になるなど決してあってはならないことです。どんなことがあっても探し出さなければと、何度も何度も通学路を探したのではないでしょうか。

きっと、わたしが誰かを預かったとしても、もしその子が司祭館に帰り着かなかったら、どんなことをしても探し回ると思います。決してみなしごにはしておかない、そう思うと思います。こうした気持ちは、みなさんにもよく理解していただけるでしょう。

イエスは同じように、弟子たちに呼びかけました。「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。」この御言葉に、弟子たちが全面的に信頼を寄せるなら、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(14・16)という約束も信頼して待つことができると思います。

わたしは、「あなたがたをみなしごにはしておかない」という御言葉を、十分信頼できます。かつて自分が途方もない時間をかけて探してもらった経験と、今だったらわたしも同じことをするだろうということを重ねると、イエスは必ず約束を果たしてくださると信じることができます。

イエスは、弁護者を遣わすという形で約束を果たしてくださいます。弟子たちは、弁護者、真理の霊である聖霊をまだ実感していません。イエスの約束を確信するには、聖霊降臨を待たなければなりません。わたしたちも、聖霊降臨の祭日を、期待をもって待ち望みますが、わたしは今でも、弁護者、真理の霊を実感できるのではないかと思っています。

例を挙げておきましょう。先週の浜串での聖母行列、本当にこの日だけ天気に恵まれて、無事に外での行列を果たすことができました。わたしは、何人もの人から、「神さまはいるんだなぁと感じた」と言っているのを聞きました。ふだんの生活で、神さまを心から感じることができた時、その人には弁護者、真理の霊である聖霊が働いているのではないでしょうか。

生活の中で感じる「神さまはいるんだなぁ」という感覚を大切にしましょう。それは、イエスがあなたをみなしごにはしておかないしるしです。そして、弁護者、真理の霊を遣わして、いつまでも一緒にいるようにしてくださる証しでもあります。


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‥次の説教は‥‥
主の昇天
(マタイ28:16-20)
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ちょっとひとやすみ
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▼九州商船の新造船「フェリー万葉」に初めて乗船した。従来のフェリーと組んで運航しており、奇数日の運航と偶数日のダイヤがあり、奇数の月と偶数の月でまたそのダイヤが入れ替わるという、なかなかに覚えるのが難しい。
▼ダイヤを覚えないまま奇数の5月の偶数日に長崎からフェリーで帰ることにしたら、うまく12時10分発がフェリー万葉に当たった。船の外観もちょっと変わった感じがしたが、内部は昔作った船とは全く違うデザインになっていた。高齢者のためのバリアフリー船室があったし、一般客室もゆったりとした部屋割りになっていた。
▼ロビーも、バーカウンター風になって、甲板部分への出入り口は全面ガラスの自動ドアだった。おしゃれになったなぁと感心した。2階甲板に上がる階段の手すりに、最近病院でよく採用されている「波打つ手すり」が採用されていた。あー、これはいいアイディアだなと感心した。
▼テレビは従来のブラウン管テレビから、大型の液晶テレビになった。これは当然の流れだろう。ずっと前から思っていたことだが、このテレビを使って、ターミナルを離れる様子を提供してくれればいいのにと思っていたのだが、実写ではなかったが操縦室で見ているであろうGPS地図(衛星地図)で船のアイコンが出港・入港する様子を映像で流していた。
▼やっとこの思いが形になった。なぜかと言うと、船に乗船してから、しばらくは退屈するし、ましてや上陸するまでの10分くらいは、手持無沙汰で長い時間に感じていたからだ。これからは、船が陸を離れる様子、船が接岸する様子をモニターで見て楽しむことができる。やはり自分だけではなくて、ほかの多くの人も感じていたのだろう。
▼まだ、視察できていない場所がある。フェリーには2種類の客室がある。2等客室と、2等指定客室だ。2等指定客室には、古いフェリーでも最近利用したことがなかったので、一度お金を払って入ってみたいと思う。2等指定客室の利用者は立ち入り禁止部分がないが、2等客室の利用者は一部立ち入りが制限されている。機会があったらその辺もまた写真を提供したい。

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新企画今週の1枚
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第143回目。フェリー万葉。船内の様子
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