赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

7.小豆島から高松桟橋へ

2020年05月12日 06時20分17秒 | 65年前の高校修学旅行
7.小豆島から高松桟橋へ
小豆島の観光は寒霞渓、オリーブの歌以外何も記憶していませんが、
島を去るときは盛大な見送りを受けた写真が残っていました。

高松に戻り、夜行便で船内で一泊翌朝大阪港へ、そして半田へと帰ってきたようです。
今振り返ればものものすごい強行日程で、
2泊5日の修学旅行を無事終えました。


私たちが帰宅した翌日、
宇高連絡船紫雲丸が沈没、小中学校修学旅行生など168名が亡くなった
衝撃的な事故があったことは鮮明に覚えています。


コース概要
1日目
半田→名古屋→大阪→広島

2日目
広島→原爆ドーム→宮島→船→厳島神社→船→松山→伊予鉄道→松山城→市電→
道後温泉泊り

3日目
道後温泉→松山駅→予讃本線→高松駅→屋島→栗林公園→バス4→金毘羅宮泊り

4日目
琴平→バス→高松桟橋→小豆島~島内観光→高松桟橋
夜行便で
高松桟橋→船→大阪港

5日目
大阪駅→国鉄→半田

6.高松桟橋から小豆島へ

2020年05月11日 06時56分06秒 | 65年前の高校修学旅行
6.高松桟橋から小豆島へ

M君のメモでは
金比羅さんから高松までの移動手段は何も残されていませんが、
バスか琴電で高松桟橋まで移動小豆島へ渡りました。

小豆島内はバスで寒霞渓を見学しました。

M君のメモにケーブルカーと書かれていますからケーブルカーから寒霞渓の絶景を堪能しながら
昇ったと思います。


昨年6人で小豆島へ旅行しましたが,当時のことを少々思い起こさせてくれました。
中でも友人たち押しなべての記憶はオリーブの歌をガイドさんから教わったこと、
車内で歌ったことでした。
友人の一人は「かわいいガイドさんだったよね」と呟いていました。
淡い恋心を抱いたのかもしれませんね。


私のカメラに残っていました。


1 夢も楽しいそよ風に
  みどり明るいオリーブの 
  枝がさやさやゆれている 
  ああ 恋を知り恋に泣く
  島の乙女の胸のよに

5.屋島、栗林公園を見学

2020年05月10日 06時35分54秒 | 65年前の高校修学旅行
5.松山から予讃本線を高松へ


「7:40分松山駅を汽車で出発、瀬戸内海に沿いながら走る予讃本線を6時間かけて高松駅へ来る。
屋島、栗林公園を見学後、18:00ごろバスで金毘羅宮前の旅館へ来る」

栗林公園


恩師とガイドさん


屋島展望

旅館


金刀比羅宮

私の記憶では、
金比羅さんのすぐ近くの旅館に泊まりました。
朝出発までに個人個人自由に参拝するようにとのことでした。
勿論785段の階段を昇り参拝してきましたが当時の旅行は自由行動が結構あったんですね。



4.宮島から松山へ

2020年05月09日 06時21分20秒 | 65年前の高校修学旅行
4.宮島から松山へ

M君のメモでは広島市内見学後午前8時には宮島へ渡っているようです。

3時間ほどで
海に浮かぶ大鳥居の前で記念写真を撮り、厳島神社などを見学したようです。

船上での弁当風景が写真に残っていますから、松山へ向かう船の中で昼食を食べたようですね。
松山高浜港からは伊予電車で松山城へ向かい城内を見学しました。

雨に降られて衣服が濡れたと書かれていますが、私は全く記憶していないです、


昨年行ったハイカラ通り

M君は道後温泉では 「道後ハイカラ通り」を数人で歩いたと書いていますから旅館は
道後温泉の中心街にあったんでしょうね。

3.宮島へ、厳島神社へ

2020年05月08日 06時12分37秒 | 65年前の高校修学旅行
3.宮島へ、厳島神社へ


「午前8時広島市内からバスで宮島口に来る。
宮島へ渡り鳥居など見学する。






今11時、また船で3時間ばかり瀬戸内海を走る。
気分の良いことこの上な~い!やっと修学旅行の感じがする。



15:00時四国 高浜港へ入港、松山城を見学する。
雨に降られて、宿に帰り濡れた服を干す。
眠りが足らぬ日だったので23:30分ごろごろ床に入る。
 それまでに土産屋の軒が並ぶところを幾人かでひやかす。
道後温泉は、もう2日ばかり疲れた体に風呂なしだったなので天国のようであった。
目方を計ったら18貫300だった」

2.広島原爆ドームを見学

2020年05月07日 06時07分10秒 | 65年前の高校修学旅行
2.広島原爆ドームを見学

1955年5月7日(土)
M君は一睡もせず広島まで時間を気にしたり、通過駅を見たりしてメモを残していたようですが、
多分僕も一睡も眠ることはできなかったと思います。


広島への到着時間は書かれていませんが、どこかで朝食をしてから

広島市内をバスで原爆ドーム,原爆平和記念館を見学しました。


Mくんのメモには書かれていませんでした。

1.夜行列車で広島へ

2020年05月06日 06時55分55秒 | 65年前の高校修学旅行
1.夜行列車で広島へ
国鉄半田駅を13:50出発し大阪へ向かいます。

Mくんのメモはここから始まります、
「木曽川の清い流れに架かる鉄橋をゴーゴーと言う音をたてながら列車は通過します。
愛知県と岐阜県県境です。時16時15分です。
17時30分には岐阜・滋賀、県境を通過し、20時40分大阪駅に到着しました。」

M君はここまで書くのに、列車が揺れて書くことが来ませんと、
一時はメモを放棄したようですが再び書き始めた様子が別のメモに残されていました。
大阪駅構内で2時間35分待って広島行き夜行便に乗ったようです。

当時の遠距離移動は中学校の東京修学旅行でも夜行利用でしたから、
これが当たり前だったんでしょうね。

M君のメモは続きます
「23:15分発 広島行き準急列車に乗車、席は上等場所を獲得(確保)した。
車両は真新しく乗り心地は上々、車内は明るい、大阪よ さようなら!
大阪よ しばらく。
姫路発1:5分、4時夜の帳は開けはじめ空は白み始めたようだ。
吾一夜徹夜す!
放送劇などで聞く尾道を過ぎ、幾多の歴史を秘めた名所の駅を今は過ぎて瀬戸内海が見えまじめた。
瀬戸内海の海岸線を一路広島へ向かう、海には島が幾つも見え、雲海のように霧が立ち込めている。
5時20分 日の出だ、太陽の光は島の上に輝きだした、瀬戸内海は静かだ。」

65年前の高校修学旅行

2020年05月05日 06時46分00秒 | 65年前の高校修学旅行
⦿ 65年前の高校修学旅行
はじめに

たびたび顔を合わせている高校時代の親しい友人たちと談笑中、
広島四国地方を旅した修学旅行の話が話題に上りました。

どのようなコースで、どこに泊って、どこを観光したか?
それぞれの記憶がバラバラで、確かなことは思い出せませんでした。
すると次回集まったとき、
Mくんが当時の修学旅行の学習資料とメモ書きを持ってきました。


黄色くなったメモ欄に走り書きしたものです。
ラガーマンで豪放に見えるMくんが良くも保存しておいたものだと、
友人たちは驚き感心したものです。
僕もアルバムをめくってみました。

この機会にM君のメモ書きを基に、僕のカメラで撮った写真を参考にしながら
65年前の修学旅行記を思い起こして見たいと思いキーを叩きます。