赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

29.下関の郵便ポスト

2023年07月31日 09時05分06秒 | デジカメ旅日記
●与次兵衛ヶ瀬碑
下関ポートウオークに豊臣秀吉
にまつわる石碑も立っていました。




名護屋に出陣していた豊臣秀吉は、大政所危篤の報に急ぎ、戻る途中関門海峡で、潮に流され「死の瀬」と呼ばれていた岩礁に座礁してしまいます。
長府毛利初代藩主・毛利秀元に助け上げれますが、秀吉の船の船頭は明石与次兵衛は、責任をとって切腹しました。その後、死の瀬は「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれる様になったと言う

29.下関の郵便ポスト

速達便ではない 水色です。



下関のメインキャラクター せきまるくんが乗っていました。


● 下関のマンホール



やはりふぐでした


春帆楼と日清講和記念館

2023年07月29日 13時26分32秒 | デジカメ旅日記
春帆楼と日清講和記念館

1895年日清講和会議と下関条約を締結した舞台となった春帆楼は

初代総理大臣伊藤博文が愛した

ふぐ料理公認第一号の老舗料理店です。

写真の左側に少し見えているのが日清講和記念館



下関条約と呼ばれる講和条約の歴史的意義を後世に伝えるため、1937年、講和会議の舞台となった春帆楼の隣接地に開館。
浜離宮から下賜されたといわれる椅子をはじめ、講和会議で使用された調度品、両国全権の伊藤博文や李鴻章の遺墨などを展示しています。


●安徳天皇を抱く尼

国道9号線を挟んで赤間神宮の前あたりに子供を抱いた碑が建っていました。

台座には平家物語の冒頭の祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きありが刻まれており、



幼き安徳天皇を二位尼に抱かれて壇ノ浦に身を投じる前の像のようです。

平家物語で描かれる悲しい場面です。


28.朝鮮通信使やザビエルも上陸の地碑

2023年07月28日 16時17分59秒 | デジカメ旅日記
28.朝鮮通信使やザビエルも上陸の地碑

朝鮮の方たちによって建てられた立派な朝鮮通信使上陸の地碑が建てられていました。





ある時期は日本の玄関口が下関だったんでしょう。ここから瀬戸内を通って京都へ向かったのでしょうね。


●宣教師ザビエル上陸の地碑

下関ポートウオークには多くの碑が見られますが、フランシスコ・ザビエル上陸の地碑もたっています。



ザビエルが1550年、京都に向かうため九州を発ち、下関に上陸、

直接京都には向かわず、大内義隆を訪ね、布教の許可を得たのち、数ヶ月の間山口県内で宣教活動を行ったそうです。


27. 海峡守護『碇』の由来

2023年07月28日 13時21分06秒 | デジカメ旅日記
27. 海峡守護『碇』の由来

古い碇が置かれそばに海峡守護 碇 の由来という立札が建っていました。



内容は、

 水天皇大神安徳天皇をまつる赤間神宮は、関門海峡の

鎮めの神と仰がれています。 今を去る八百年の昔、

源平壇ノ浦の戦いに、平家の大将知盛は全てを見収め、

碇を背に海中深く御幼帝のお供をして龍宮城へ旅立たれました。

それより「碇知盛」で能や歌舞伎に演じられ、

勇将振りがたたえられています

26.圧倒される 関門橋

2023年07月28日 03時50分36秒 | デジカメ旅日記
26.圧倒される 関門橋

手が届くほどの近さに見える 門司の家並み。





関門海峡を 行き来する 大型船や 小型船が 途切れなくくぐり抜ける 関門 橋は 下から見る 我々を 圧倒するような 重量感があります。ここちよい潮風を頬に受けながら関門海峡沿い

のボードウォークを散策してみます。

歴史を刻んだ石碑が多くあるようです。

21絶景⑦角島灯台公園

2023年07月27日 16時18分13秒 | 木曽三川でグラウンドゴルフ三昧
21絶景⑦角島灯台公園

明治9年 初点灯した 日本海側初の洋式灯台です。



灯台には入場料金300円で 登ることができましたが 公園を 散策 しました。

22. 浜木綿の群生地



角島灯台公園には の肝臓 などが咲いていましたが 浜木綿の群生地でも あるようです 花が咲くのは 4月半ば頃 のようですが 数輪は咲いていました。