赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

親鸞ゆかりの越後の国へ  4

2010年05月31日 07時14分28秒 | 海外旅日記
● 親鸞ゆかりの越後の国へ  4

古から農地の中に、
樹齢600年のコブシの古木の根元にあった五重の石塔は、
「偉い人のお墓」と言い伝えられて大事に扱われていたが、


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昭和31年恵信尼消息第8通「五重に候う塔」とある恵信尼公の
寿塔(存命中につくったお墓)に違いないとして、
昭和37年(1962)に「西本願寺国府別院」の飛地境内として整備されたそうだ。

恵信尼公の寿塔のそばには、親鸞の筆になると言われる南無阿弥陀仏の石碑、そして

恵信尼公のレリーフが並んで建てられている。

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将来はここにお堂も建てられる予定だと・・・・・
解説をしてくれた会長さんがおしゃっていた。

それにしても寒いです。
12~3度ぐらいのようで現地の方も春先の気温ですと嘆いたいた。


親鸞の妻 恵信の里記念館を見学する 3

2010年05月30日 07時49分30秒 | こころの日記
● 親鸞ゆかりの越後の国へ  3

上信越自動車道 中郷ICで降りると、今にも泣き出しそうな天候に、
あたり一面がかすんで見える。
雨が降らないように親鸞さんに祈って合掌する
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親鸞の妻 恵信の里記念館を見学する。
親鸞の妻 恵信尼は晩年をここで暮らし、この地で亡くなったという歴史的にも
実証されるものが発見され、記念館建設が進めれられたようだ。


建設に当ってはこの地の出身で大成功した佐川急便の創始者 佐川清氏が
建設費8億のうち5億ぐらいを寄付したそうだ。
感謝を表わす大きな記念碑が建てられていた。
佐川さんも故郷に大きな錦を飾ったんですね。
佐川さんは京都の人だとばかり思っていたが、京都でリヤカー1台から
運送革命を起こすほどの大成功を収めたんですね。

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建物や庭園は斬新なデザインで素晴らしい、
施設もミュウジュアムや多目的ホール、観光案内資料など充実している。

ミュウジアムには
恵信尼の生涯を分かりやすく綴った伝記絵
国宝級の絵像、書状などの資料が展示されていた。
聞くところによると、設計者も同じ人だし、
佐川美術館と良く似ているそうですね。


親鸞ゆかりの越後の国へ  2

2010年05月29日 06時16分46秒 | こころの日記
● 親鸞ゆかりの越後の国へ  2

滋賀観光バスは中央道をゆったりと走っているような乗り心地だが
かなりのスピードで日本列島を駆け昇っている。
神坂PAで休息をとったが、僕としてはここははじめてMISAKAと読むんですね。
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岡谷JCTから長野道に入り、梓川SAで再び休息する。
トイレ付きのバスだからといって
ノンストップではエコノミー症候群になりかねませんものね。

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バスはガイドさんの軽快な話術に引き込まれながら上信越自動車道へ侵入
姨捨SAで小休止、NEXTの地図エリアガイドを貰ってくる。
これもガイドさんの入れ知恵だ。
時計は11.30分、昼食場所の長野ICを出た所「 信州そば蔵長野店」へ急ぐ、
千曲川の畔、アルプスと志賀高原の山並みを眺めながら舌鼓を打つ。

親鸞ゆかりの越後の国へ  1 

2010年05月28日 09時44分29秒 | こころの日記
● 親鸞ゆかりの越後の国へ  1  

浄土真宗の宗祖 親鸞聖人は1207年、法然上人と共に念仏停止を命ぜられ
流罪に処せられた、親鸞聖人は、越後の国、国府に配流され7年ほどこの地に留まった。

その親鸞ゆかりの地を訪ねることができた。

2010年5月29日(水) 晴
亀崎にある古刹 浄土真宗大谷派 浄顕寺さんの役員研修旅行に参加させてもらった。

住職さん一同の引率で7:00亀崎をバスで出立した。
ここ尾張から越後の国までは日本列島を斜めに横断していくのだから、
今日は、数百キロのドライブになることでしょうね。

バスは滋賀観光のトイレつきの豪華なバスに乗車させてくれた。


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シート位置は普通の観光バスより一段高い、
見晴らしが良く快適です。
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それに今回のバスガイドさん、最近のガイドさんとは異なり、雄弁で雑学博士みたいな方で
ひっきりなしに説明をしてくれる。
飯田インター近辺ではあの黄金の家が名古屋の美宝堂さんの別荘ですよ!
今あの有名な会長さんが体調を壊したそうで静養しているそうです・・・
などと解説してくれる。
必死でカメラを向けたが、
遠方の黄金の別荘を捉えることができなかった。





親鸞ゆかりの越後の国へ

2010年05月26日 06時11分28秒 | こころの日記
● 親鸞ゆかりの越後の国へ

浄土真宗大谷派のとある寺の研修旅行で新潟上越地方を
廻ってくる。

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法然と共に越後に流罪された親鸞の足跡を
辿ってみる旅です。
興味がある旅です。

天候が良くないようですが親鸞上陸の地、妻恵信と住んだ竹之内草庵など
見学する予定です。
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どうしても見てみたいものに
親鸞が越後を去って関東へ行かれるときに名残りを惜しみ、
関東の方向になびいて片葉になったとされる、「片葉の葦」を
見てみたいなあ~。

小学校の運動会で

2010年05月25日 07時07分50秒 | こころの日記
●小学校の運動会で

近くの小学校の運動会に参加した。
プログラムの中の
ふれあい運動会 玉入れ競技だ。

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地区別対抗戦だったが、わがMAチームは2度とも
最下位だった。
僕はカメラを構えながら3個入れたんですがね~
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1年生もすっかり学校になれて名札を見なければ、
分らないぐらい成長していますね

体操着のパンツもう少し格好のよいものに出来ないものでしょうかね

Mちゃん修学旅行で沖縄へ

2010年05月24日 08時10分59秒 | こころの日記
●修学旅行で沖縄へ

つい先日入学したばかりだと思っていた、Mちゃんが沖縄へ修学旅行に行ってきた
と言ってお土産を持って来てくれた。
紅いもタルトと、それに探検ツアーで

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貰ったというマングローブの種を、
マングローブの種は面白そうなので早速蒔いた。
芽が出てくれるとうれしいなあ~
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JAlとANAに分かれて飛んで行ったらしいが、やはり飛行機の中では
機長さんの挨拶があったそうだ。

昨年秋、僕の乗った飛行機でも機長が挨拶していた。
高校生にとっては、機長からの挨拶は旅立ちとしてうれしいでしょうね。

Mちゃんの感想!
飛行機の離着陸は悲鳴の連続だったという。
暫くは飛行機は嫌だと言う生徒が多かったらしい。



ローカル線の旅はここで終わった

2010年05月23日 07時45分32秒 | こころの日記
●天竜浜名湖鉄道沿線を廻る  9

天浜線の東の終着駅新所原に到着した。
ローカル線の旅はここで終わった。
さすがうなぎの産地だね。

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駅の売店でもうなぎの蒲焼を売っているだもの
今日の旅を企画して案内をしていただいたAさんから
うなぎボーンをお土産に頂いてしまった。
Aさんは東海道線上り方面は、我々は西へとお別れして列車に乗車した。


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豊橋駅で途中下車しようとして、
途中下車要件の100km以上に、1kmほど足らず切符が改札に吸い込まれてしまった
トラブルがあったが、のんびりとしたローカル鉄道の醍醐味を味わうことができた。
今回も皆さんに感謝して筆をおく


湖の畔のカフェテラス サンマリノ 8

2010年05月22日 06時52分28秒 | こころの日記
●天竜浜名湖鉄道沿線を廻る  8


湖の畔のカフェテラス サンマリノだった。

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専用桟橋やミーティングルームなども備えた大きな店だ。
若いご夫婦が経営しているのだろう、奥さんと四方山話をする。
窓際には趣味のサボテン類がところ狭しと並べられていた。
差し芽でドンドン増やして行ったそうだ。

オリジナル プリンをオーダーした。
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東海道三大関所の一つ気賀関所 7

2010年05月21日 10時01分36秒 | こころの日記
●天竜浜名湖鉄道沿線を廻る  7

気賀駅で下車して、東海道三大関所の一つ気賀関所を目指す
近年復元されたのであろう新しさがそこここに残る関所だ。
牢屋や遠見番所、女改め、博物館などが再建されていた。


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関所の主な目的は江戸を守る為に不審者を検分していたのだが、
「入り鉄砲に出女」と言われるように「女改め」では関所の女性が
身体改めをしていたようだ。
これは大名の人質達が国許へ逃げ帰るのを防ぐ目的だったようだ

再び気賀の駅から乗車する。
気賀の駅は中華ラーメン屋さんと同じ駅舎だった。
ここの開店休業ですね。

天竜浜松鉄道沿線で景観の一番良いところだと言われる
寸座駅で途中下車。
まさに列車から降りると、ホームは浜名湖を見晴るかす展望台的な存在だ。
湖畔を歩いてみることにする。
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潮風が鼻をくすぐる、ここは淡水湖ではなく海なんだね。
行く手にレストランが見えてきた。
お茶をすることにする